好きな芸術作品の傾向について

現代美術の展覧会に行きました
ああ、この作品は好きだなと思う一方でよく分かんないなという感想が何度か湧いたので、自分が好きだと思う作品の傾向について、少しメモを残しておこうと思います

僕は大きな作品が好きです
だから、たいていのパブリックアートが好きです
というのはあまりにシンプルすぎますね
何故、大きいものが好きなのか少し考えてみます

これは僕だけじゃないと思うのですが、大きいものを見ると嬉しくなったりワクワクしませんか?
それは一目見ただけで、未知のもの或いはこれまでの人生に無かったものだとパッと分かるからなのかもしれません
僕が展覧会に行ったり、映画を観に行ったりするのは、人生を変えるような出会いがあるかもしれないと思っているからです
どうか良すぎてこれからの人生が滅茶苦茶になりますようにと願っているからです
良いものは外から来ると思っているので、未知の存在である大きな作品は肯定的に感じます
大きなものは自分でコントロールできないというのも重要なのかもしれません
制御できない、強制的に何かを変えられるというのは怖い反面、神聖さや畏れに近い部分がある気がします

また、パブリックアートは触れることができる作品が多いというのも嬉しいです
作品にはできれば触れて感じたいと思ってしまいます
美しいものって存在が不確かだから、この世に存在しているのかを確認したくなりませんか?
本当に今、目の前にあるのか不安になりませんか?
だから触れることができるパブリックアートは貴重ですし、助かるなと思います
それに触ることで得られる情報は少なくないなと思います
作品って材料が書かれていることがほとんどなので、だいたいどんなテクスチャになっているか分かるなと思っていたこともあるのですけど、全然嘘でした
触れることで温度や作られた工程が少しは浮かんで、よりリアルな記憶として紐付くので嬉しいです

しつこいのですが、パブリックアートが好きな理由はもう一つあって、時間帯や天気で表情が変わって見えるのが良いなと思います
初夏の夕焼けに照らされている時と冬の澄んだ朝の空気の中では、違って見える気がします
逆に室内で温度も湿度も保たれている作品を見るときは自分の心の状態の影響が大きいので鏡になって良いのかもしれませんが
好きな作品の色んな姿が見れるってなんだか嬉しくないですか?
何回も訪れる言い訳にもなります
それに、パブリックアートは風化や摩耗といった時間の経過が前提となっている作品もあって、常に変化していくから一生見ていられるんです
とまで書くとちょっと情熱的すぎますけど、でもそんな感じなのかもしれません
パブリックアートって人間に似ていますね

しつこくパブリックアートへの愛を吐いたのですが、別にパブリックアートだけが好きなわけではなくて、最近見た作品だと李禹煥のインスタレーションやターナーやミケル・バルセロ、白髪一雄の絵画、フィンユールの椅子も好きです
そういった作品と触れる中で、僕は僕に持っていないものが好きだと思っていました
けれど、現代美術はだいたい新しい風ではあるのに、全ての作品を好きなわけではないのは何か理由があるんでしょうね
雑な感情としては僕は岩や海に存在する自然の曲線と直線が好きなので、美しい曲線の具現化であるようなミケル・バルセロやフィンユール、白髪一雄が好きなんだろうなと思います
全然知らないのに語ってしまって恥ずかしいですけれど、備忘録なのでどうか許していただけると嬉しいです

全然まとまらなかったのですが、今日はここまでにしておきたいと思います
これが好きってことはこれも好きだと思うよ!という意見があればいただけると大変嬉しく思います

自分が何を好きなのかを理解することで自分という人間を理解したいという試みは、あまりにも遠回りなのかもしれませんけれど、他にいい方法も思いつかないので、しばらく続けたいと思います
生きているだけで、こんなにも素晴らしい存在に会えるって本当に幸運な時代に生まれましたね

では、また

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