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以後よしなに。

初めまして。V座敷童の這々底寝、以後よしなに。
そんな挨拶を始めて早2年が経過した今更ながらの自己紹介記事を、こうして筆を取ろうと思う。

偶然にも巡り巡ってこの記事に辿り着いたあなたはすぐにブラウザバックするか、興味があるなら、この記事を読み進めてみるのもいい。
なるべく退屈しないように文面にも気を遣おうと思うので。

さてなぜ今更Vtuber2年目で自己紹介を?と思うかもしれないけれど、個人的にTwitterは、あくまで這々底寝の発言でしかないのだ。
発言と記事は違う。
発言はどれだけ取るに足らないところであったとしてもその個人の、あらゆる属性、性格、容貌、性質を伴った主張になってしまう。
便利な文脈である個人の意見ですという修飾をしてあげたところで、そのキャラクターは、個人は、存在はそういった考え主義主張思想を持ち合わせているんだということになる。あ、これも個人の意見です。

冗句はさておき、自分自身はかなり活動方針自体は趣味とはいえ(実際チャンネル登録はほぼ気にせず、収益化も特に目指してない)在り方は、存在は自分であらねばならないと思っている。
わからねえよ簡潔に言えと言われればまあ人生をかけたロールプレイだよで伝わる?伝わればいいなぐらいの気持ちだ。

趣味ならそこまで一生懸命じゃなくていいじゃないと言われるかもしれないが、それは違う。
産みの親がいるのに、その存在をないがしろにしていいものか。いい加減に扱っていいものか。
セルフ受肉した方々にはこの文脈は当てはまらないのだけれど、けれど創作し、できた作品は親にとっての子であり、大切に扱いたいという想いがあった。
親から子に託すなら、託された子には物語があるだろう。あってしかるべきだろうと感じた。

よくお前が始めた物語だろという言葉を耳にするけれど、まあその通り。
物語を始めたなら、物語の責任は自分で取るしかないのだ。
そう考えると、自分はTwitterでこういったことを話す気にはなれなかった。あくまで思考をつらつらと書き連ねていたとしても、フォロワー各位のお目にとまってしまうのも申し訳ないし。

しかし記事ならば、違うだろう。
気になる人しか見ないだろうし、なんなら話しの途中でさっと戻ることもできる。これほど便利なものはない。そんなわけでこうして記事ではこうした嗜好、考え、指向性などを話していったり、これまでに遊んだゲームの深堀りをしていければなと思っている(むしろそっちがメインかもしれない)

というわけで、ここまで一読下さった方は本当に貴重な時間を割いて頂いてありがとうございます。
物語は定期的に呟いている這々底寝ディスコードサーバーにて一読できるので、是非。

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