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【エジンバラ 大学留学:前期】①科学哲学:パラダイムを学ぶ。爆笑問題の京大での講談のケース。

パラダイムについては、前期の授業で取り扱ったので、本来もうまとめていないといけないのですが、まだまとめていません。

後期中に、面白そうなトピックがあればわせて書いていこうと思います。今回は、パラダイムの理解が大切だなと思ったことがあったので、この授業のまとめ第一弾として書いていきます。

皆さんは、以前NHKで放送された”爆笑問題のニッポンの教養 爆笑問題×京大 独創力!”という番組をご覧になったことがありますか。僕は爆笑問題さんが好きなので、色々見ています。

僕は最近再び見て、面白いなあと思いました。

この番組で面白かったのは、独創性とは何かの議論だけでなく、番組の途中で自然科学の教授、社会学の教授と爆笑問題の太田さんが議論のところだと思います。(半ば喧嘩になっている)

議論のざっくりした内容は以下のとおりです。()の中は私見。

太田さん:
もし生徒から先生の学説を否定する新しい学説が出たときに、それが仮に正しくても、真っ先に先生達は、否定しますよね。実際あのガリレオも否定されていたじゃないですか。(多分、学者は偉そうに真実!というけど、歴史を見れば真実は変わっていく、学者ももう少し謙虚になりなさいよという主張)

自然科学系の先生達:
新しい知識の発見は喜ばしいことですよ。ただ、定説を否定する新説が出た場合は、多くが間違っていることが多い(ため、否定するような傾向にあるのではないか)

太田さん:
そんなのは嘘だ。だって、自分の人生が否定されているわけだから、反対の学説を認めるはずがないじゃないか。

社会学の先生:
社会学の立場からは真実というものはないと言います。最後は信じるしかないと思う。

自然科学系の先生(小山先生):
そんなことはない。科学は実証されたきた。方程式を解けば誰が解いても同じ結果になる。(これこそが真実であり、人類が積み上げてきたものだ)

太田さん:
真実なんて誰もわからないじゃないか。方程式が正しいとも言えないじゃないか。あくまでも実証だって仮説の枠を出ていないじゃないか。金星だって実は生きているかもしれないじゃないか。

自然科学系の先生(小山先生):
君とは議論ができない。。

結局議論は喧嘩っぽくなり終了します(テレビ的にはいいのでしょうが)

これってみんな正しそうなことに聞こえるけど、うまく噛み合ってる気がしないですよね。

何故でしょうか。なんとなくみんな説明できるけど、今回は前期で学んだパラダイムという考え方で整理をしていきたいと思います。

パラダイム(主義)とは

パラダイム(主義)とは、世界の捉え方だと思っています。

興味のある方は、パラダイムのウィキで見てみてください。

パラダイム(主義)を考えるとき、世界はどこまで広がっているかということと、その世界をどうやって認識するかという2つの要素を考える必要があります。

存在論(Ontology):世界の存在範囲はどこまでかの話。
認識論(epistemology):それをどうやって把握するかの話。

響きが難しいですよね。とりあえず二つのことを考えるってことだけでOKです。

パラダイムと存在論、認識論の関係ですが、あるパラダイムという立場をとると、存在論、認識論は自動に決まりますよということです(自動というか整合するように決まる)。この辺りはフーンという感じでいいと思います。

重要なのは、パラダイム(持っている主義)が違うと、世界の存在範囲(目に見えているものが真実なのかどうか)や認識の方法が違うということを理解するということです。

Positivism(実証主義)とInterpretivism(解釈主義)について

大まかに分けるとパラダイムには、Positivism(実証主義)とInterpretivism(解釈主義)に分けることができます。(その他色々ありますがそれはまた今度記載します)。ざっくりいうと客観的なことを重視するのか主観的なことを重視するのかということでもいいのかなと思います(多分)。

Positivism(実証主義)
目に見えているものが真実で、Objectivism=客観的に把握できるはず。なので、実験で実証して何度も同じように確認できれば、それが世界の法則(真実)だみたいなイメージです。

世界は我々と独立して存在しているので、実験の条件が一緒であれば、もちろん同じ結果が得られます。

Positivistの目的は、世界の法則の発見、一般化にあります。

一般的には、自然科学の先生は、この考え方に立脚していると考えられます。

Interpretivism(解釈主義)

世界はとても主観的だから、見る人で世界は変わるよね、だから真実はいくつも存在するよねという立場のことです。

君は君、僕は僕。どちらの意見も、真実だよねということですね。社会学は、元々この立場に立脚しています。(後の研究により、これとより一般化を目指し、Positivismを融合させていることもあるパラダイムも出てくるがここでは触れません)。

皆さんの中には、社会学について、いくらでも反論できじゃないかと疑問をいただいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。事実、僕は生意気にもそう思っていました。笑。

ただ、これはおそらく社会学と自然科学のパラダイムのがごちゃごちゃになっているからではないでしょうか。Interpretivism(解釈主義)に基づく研究の目的は、事象の深い理解であって、法則の発見ではないのです。

真実はいつも1つという立場であれば、Positivism(実証主義)であり、いや、真実は人によって異なるという立場であればInterpretivism(解釈主義)となります。

この例で言えば、コナンくんはPositivism(実証主義)ですね。

興味のある方は、ご自身で正確な定義や歴史をお調べください。

個人的には、科学哲学への招待 (ちくま学芸文庫)
がとてもわかりやすく、内容も充実し、エジンバラの授業とも整合していたと感じました。(私見です)

まとめると、各自の持っているパラダイム(世界観)が違うと、そもそものスタート地点が違っているので、議論が噛み合わなくなります。

議論を整理する

議論の内容を見ると、

自然科学の先生:
真実は存在する、実証でそれを解明する、方程式は誰が解いても同じという発言から、Positivism(実証主義)の立場であることがわかります。

社会科学の先生:
物事に真実はないという発言から、社会学の先生は、Interpretivism(解釈主義)の立場であることがわかります。

太田さん:
おそらくInterpretivism(解釈主義)の立場ですが、色々と示唆に富む発言もあるので、少し詳しく見ていきます。

太田さんは、ガリレオの例を挙げて、”今までを全く変えるような独創性のある新しい学説が出てきたとき(これをパラダイムシフトと言います)、既存の先生達はまず否定するだろう”と主張します。

この主張は、どう思いますか。僕は、新しいパラダイムシフトが起きたとき、既存の先生たちがこの新しい学説を否定するということは、理解はできます。人は理解できないものを否定したくなるからです。そのため、人の性質に対する太田さんの意見には賛成します。

これに対して、自然科学者の先生たちは、そんなことはないと言いますが、少し暴論のように聞こえてしまいました。ここは、もう少し丁寧に、

”新しい学説が、きちんとした手続き、実証できて、それが認められれば、我々は絶対に認める。何故なら、実証研究を認めなければ、それはPositivism(実証主義)の立場と自己矛盾を起こしてしまうからだ。すなわちそれは科学者として失格である”
と言えばよかったのではないでしょうか。クールに。

ただ、当時なら太田さんは、それでも現実は違うはずだと食い下がりそうですけど(笑)。

しかしながら、僕は、ガリレオの例は極端な例であって、むしろ科学は、実証主義に従い、反証などを通じた発見をウェルカムに受け入れてきたからこそ、発展していると思います。

またここでは、別の切り口として、パラダイムの理論的な整理と現実問題(感情の問題)を分けて議論すればよかったのではないでしょうか。

感情部分の話(気に食わないから認めない)という話は、答えは出ないと思います。

まとめると、以下のように整理をすればよかったのではないでしょうか。
①まず理論的なパラダイムの整理をする
②太田さんのパラダイムを確認する
③ガリレオの例に対して、反証をあげる
④理想(理論)と現実(感情)の部分に分けて整理をする

Discussionの重要性について思うこと

イギリスに来て思うのは、とにかくDiscussionを重視することです。
これはどこで意見が食い違っているかをきちんと整理して、物事をさらに進めていこうとする姿勢の現れだと思います。

あとは、太田さんも学者の先生もそうですが、どちらかが正しいという姿勢はよくないのかもしれません。僕もよく相手を打ち負かしてやろうと思ってしまうので、反省をしました。

大事なことは、違いを見つけて、認めあい、より良い方向へ進むことですもんね。
大事なことなのでもう一度記載しちゃいます。

議論の目的:
①意見の分岐点を探すこと
②より良い方向にいくために、どうするか。打ち負かすことは目的ではない。

さて、今回の動画では、パラダイムを使うと混沌とした議論でも、より明確に整理できるのではないでしょうかと思った次第でした。

では!




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