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【エジンバラ 大学留学:後期】スポーツとメディア番外:メディア論の名著30① (ちくま新書)

こんにちは。

スポーツとメディアを学ぶにあたり、恥ずかしながら全くメディアの知識がないことに気づき、表題の本を買いました。

新書なので読みやすいです。嘘です、新書なので書きやすく書いていてくださっていますが、ちゃんと読まないと理解できません。(僕は新書なので読みやすいというコメントに非常に懐疑的です)

全部を読む必要もないので、気になるところから読んでいき、面白かったところを記録していこうと思います。

この週は、Ⅵ 情報社会とデジタル文化について読みました。

Ⅵ 情報社会とデジタル文化

目的:メディアの流れ、昔から今の流れ、メディアの役割を理解する

キャロリン・マーヴィン「古いメディアが新しかった時」

マーヴィンによれば、メディアのスタートは、電信にある。市民と大衆社会の関係は第一次大戦時に開始されたもの。
電灯によって、家と外の境界が曖昧になった。(家は暗いものだった)
昔は、家でのことは秘密だった。メディアとは、文化に組み込まれている慣習、信念、手続きから構成される複合体である。

<感想>
電灯によって、家と外の境界が曖昧になったというところが面白いなと。つまり、コミュニケーションの発達すると、プライベートとパブリックの境界が曖昧になるんだなと。これって今の時代を考えるとその通りですよね。コミュニケーションツールが発達していくほど、人は秘密が持てなくなるんですよね。人は秘密に惹かれますよね。それがなくなる世界は果たしてワクワクする世界なんでしょうか。もちろんいい側面もあります。例えば、ブロックチェーンの発達で情報が共有されることで、不正(1部の人の秘密)がなくなると。犯罪抑止には役に立つでしょう。一方でいろんな意味で秘密とは人間らしさの根源でもあるので、人間らしい生活から無機質な生活になるのでしょうか。そのため現代社会(特に西側諸国)がプライバシーを重視しているのではないでしょうか。
また、この本にはメディアが発達すれば、人は外に出る必要がないため家に閉じこもるという記載もありました。この考察もかなり本質的な私的だと思います。

フリードリヒ キトラー 「グラフォン フィルム タイプライター」

ドイツの学者が、ドイツの歴史をメディアのハード面(テレビ)から分析したものです。(欧米はメディアの文化的側面などのソフト面からの分析が多い中、ドイツはハード面のメディア論が盛んなようです)
この本によれば、テクノロジーの進歩とともにメディアは進んできた。
そして、テクノロジーは時代の要請から生み出された。例えば、軍事的な目的のようなものですよね。これは非常に示唆に富む考察ですよね。ソーシャルメディは、どんな時代の要請があったのでしょうか。Sports and Mediaの授業のテーマでもあります。
19世紀以降の世界情勢特徴として①国民国家の形成と②情報の国際化という2つの潮流があることもきちんと頭に入れておこうと思いました。

<感想>
マスメディアの発達で、大衆が同じ情報を入手できるようになりました。
一方現代は、インタネットの発達で、みんな違う情報をそれぞれの好みでえていますよね。そう考えると、各地でそりゃあ分断が起こるよねと。
日本はどうでしょうか?個人的には、小さな分断はあるものの、日本人がアクセスできる情報は、かなり限られているので分断の程度は欧米なんかと比べて少ないんじゃないかと思います。とはいえ逆を言えば、これは多様性が少ないとも言えるわけですよね。多様性と分断の違いについて考えないといけませんよね。おそらく違いとしては、違いを認めるのか違いを拒絶するのかの違いだと思います。日本はどうでしょうか。どちらかと言えば、違いを拒絶する性質ではないでしょうか。
Nikeの在日コリアンの少女のCMのように日本の中で、分断的なメッセージが流れれば流れるほど、分断する可能性はありますよね。
分断の情報の根本要因:民族、アイデンティティ、貧困

マクルーハン 「メディア論」

マクルーハンはメディアを、メディアを人間の感覚器官の外的拡張と考えました。また、メディアを以下の2つの分類に分けました。
①熱いメディア:情報たくさん 単一感覚で処理される 解釈の余地なし(例えばラジオ)
②冷たいメディア:いろんな感覚で処理される 色々な解釈の余地がある。参加者により意味が決まる(解釈の余地がある情報というのは時に、虚偽の情報が混じり人々を混乱させる)

<感想>
メディアを人間の感覚器官の外的拡張と考えるって、つまりメディアの発言を、結局誰か個人の意見ということですよね。メディアの意見は、さも大衆を代表しているように捉えてしまいますが、冷静にこれは個人の意見と思って聞くのが大事ですよね。さらに、なんでこの個人は、この意見を言うのだろうという意識を持つと。

次にインタネットメディアを考えると、これは冷たいメディアでしょう。情報の質がバラバラで、かつ多すぎますよね。そして、参加者により意味が決まっていきます。世論がいつの間にか形成されます。(実はネットで発言している参加者は一部だと思うんですよね)。メディアはあくまでも個人の感覚機関の拡張ということを我々は忘れがちです。しかし、インタネットでは、個人が特定できないから、みんなの意見がいつの間にか、みんなが考えている考えとなり、これが、その結果、世界中でポピュリズムの台頭を生んでいるのではないでしょうか。

名著と言われるだけあって、現代に書かれていませんが、まるで現代の問題を予見している本が多くあります(著者の方が意図的そのような本を選んでいる可能性はありますが)。とはいえメディアの本質を考えるのにはとても良い入門書だと思いました。

他の章も読んだから追記していこうと思います。

では


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