それはミニスカート

小学生の頃だろうか。
衝撃的な詩を目にした。
なにか深く心に突き刺さった。

谷川俊太郎
『生きる』の一文。

いま生きているということ
それはミニスカート

・・・!?
引き込まれたぜ。
その世界観に一気に引き込まれた。
理由が知りたくてウズウズしたよ。

生きているということの一つに、
すべての美しいものに出会うということがあるらしい。

わかる。

問題はその美しいものの例だ。
この詩の中では、美しいものの例として、
ミニスカート
プラネタリウム
ヨハン・シュトラウス
ピカソ
アルプス
と続くのだ。

一つ目に置くミニスカートの潔さよ。
ピカソとアルプスの間に入れたってどうせバレる。
そう、レンタルショップ屋で全男性が経験したであろう、
あのサンドイッチ方式。それをやらないなんて。
谷川俊太郎は漢だよ。
あえてのトップバッター。
素晴らしいじゃない。

確かにミニスカートは美しい?が、
なにと並べてんだって気持ちにはなる。

もうちょっとちゃんと詩を読むと、
「すべての美しいものに出会うということ」には、
「そしてかくされた悪を注意深くこばむこと」と続く。

なんだなんだなんなんだ。
謎が深まるばかりじゃないか。
ミニスカートからどう着想を得るとこうなるんだ。

美しいものに出会うということ。
ミニスカート・・・。
絶対領域の話なわけはないよね。
それでは癖が強すぎる。

ミニスカートといえば、
わたしは女子学生を想像する。

(なんていうと必ず湧いてくる「ババァはミニスカ履くなって言いたいのー!???」とか言ってくるババァに言いたい。履くな。ババァはミニスカ履くな。正確には、自分のことをババァだと思うのならミニスカ履くな。自分のことをババァだと思わないなら100歳でもミニスカ履いたらいい。きっと美しい。
セーラー服を着た人を想像して、「海兵」とか言い出すタイプは人生大変だぞ。「セーラー服ってもともと~」とか続けて話し出したら友達が消滅するぞ。わたしは少数派の意見をとても大切にするが、少数派の意見はあくまで少数派の意見であり、その時点では多数派の意見にはなり得ないことを理解できない人に苛立ちを覚えます。)

はい、
ミニスカートといえば、
「わたしは!」
女子学生を想像する。
うん。JKだね。

きっと谷川俊太郎という漢は、
美しいものに出会うということの一つに、
「青春」を入れたのではないかとわたしは睨んでいる。

迷える男子目線で、
「青春」を「ミニスカート」と
変換したのではなかろうか。

いま生きているということ
それは青春
それは娯楽
それは音楽
それは芸術
それは自然
すべての美しいものに出会うということ
そして隠された悪を注意深くこばむということ

どうだろう。
隠された悪についてはまたいつか。

以上。

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