『ピンチはチャンス』の正体

『ピンチはチャンス』という言葉、
使い回された挙句に待ち受けていたのは、
結局『ピンチはピンチ』なのではないかという疑惑。
手のひら返しがひどいと思いませんか。
『ピンチはチャンス』を信じて行動し、
しかしピンチをチャンスにできなかった者どもは絶望した。
「ピンチはチャンスじゃなかった。本当はピンチはピンチだったんだ!」
・・・こんなところでしょうか。

さて、どっちだ。
ピンチはチャンスか、ピンチか。

さっきからピンピンチャンチャンうるせー。

いったいなんなんだ。
とりあえず調べておこう。

ピンチとは、
「追い詰められた苦しい状態」
「苦境」
「窮地」
「危機」
だそう。

一方チャンスとは、
「物事をするのにいい機会」
「好機」
だそう。

ピンチはチャンスかどうかを考える。
数学で教わりましたね。難しい時は簡単な数字を入れてみようって。
Xに1を、Yに2を入れてみちゃおう的な。

ピンチの具体例からチャンスか判断してみよう。

ChatGPTなるものに聞いてみた。
ピンチの具体例を5つください。

①突然の健康問題:急な病気やケガにより、身体的な制限や経済的な負担が生じることがあります。
②突然の失業:仕事を失ったり、収入が途絶えることで、生活や家族への影響が生じることがあります。
③自然災害:地震、洪水、台風などの自然災害により、家や財産が被害を受けたり、生活基盤が崩れることがあります。
④突然の人間関係の変化:友人や家族との関係が悪化したり、離婚や喧嘩などが起こることで、心理的なストレスが生じることがあります。
⑤突然の経済的困難:財政的な問題や借金、投資の失敗などにより、生活の安定が揺らぐことがあります。

・・・どれもこれも全く具体じゃないよ。
どれもこれもただのピンチだよ。チャンスじゃないよ。

『ピンチはチャンス』とは、楽観主義の戯言に聞こえてくる。
ピンチはピンチと捉えることから逃げているだけじゃないのか。
現実から目を背けているだけではないのか。

いや、そうではないのだ。

『ピンチはチャンス』において大切なことはまず、
『ピンチはピンチではない』には変換不可能だということだ。

ピンチがピンチであることが絶対なのは変わることはなく、
そのうえで、ピンチはチャンスになる可能性を持っているという話なのだ。

解釈の問題だ。
ピンチな事実は事実として変わることはない。
しかし、その事実をチャンスと解釈することは可能という話なのだ。

『ピンチはチャンス』の最大のキーワードは、
『試練』だ。
そして、
『成長』だ。

ピンチ=試練
チャンス=成長

この変換こそが『ピンチはチャンス』の正体だと私は睨んでいる。

苦境、窮地、危機…。
そのような状態・状況がピンチであることは絶対だが、
それらを試練であると解釈し、
その試練を乗り越えた時、
または乗り越えようとする様そのものが、
自身に成長をもたらしてくれる。

成長をもたらしてくれる機会、
それは明らかに好機!
そう、チャンスだ。

『ピンチはチャンス』が成り立つのだ。

何度も言うが、
ピンチという状態・状況そのものがチャンスというわけではない。

結論、
『ピンチはピンチ』であるが、
(試練と捉えることができた者にだけ、)
『ピンチはチャンス』が成り立つ。

以上。
『チャンス』より『オポチュニティ』が好き。

終わりにしようと思ったがもう少しだけ。

「試練と捉えられるかがカギだ~」みたいな言い方をしましたが、
それはなんか勝ち負けとかがありそうな場面とか、
「成長成長!!」って意識高く生きたい人向けの場合。
試練試練言っていたら疲れちゃうよねー。
成長成長言っていたら疲れちゃうよねー。

もっとフランクに、適当でいいよね。
楽観主義ってわけではなく、ロジカルに。

わたし個人的には、
『ピンチ=試練』よりも『ピンチ=経験』を推したい。

ピンチという名の経験は、
希少な経験ができる機会だ。
そう、つまり、チャンスだ!

以上!



チャンスなのか?

否!

って言われて喜ぶ場合もあるからね。

熱すぎなのかもしれない。

以上。

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