誰かが見ている
今日、先生に褒められました
貴方は凄いねって
クラスにある男の子がいるのですが、その子は少し周りから距離を置かれている子なんです
仲の良い友達がいる訳でも無く、グループ活動では役割を与えられることもあまり無く、ただグループに存在しているだけのような感じに見えていました
今までは、そんな感じだったのですが私のグループになってから変わったと
私がその子に出来る役割を与えていたこと、グループの一員として話しかけていたことに先生は凄いなと思っていたそうです
そう言われて、私はとても嬉しかった
今まで、作品のことを褒められて貰えることはよくありました
だけど、人間的に見てくれていて褒められることはあまり無いから
先生にそういう部分を見てくれていたことが、素直に嬉しいと思った
私がその子に何故そのように対応をしていたのか、考えました
別に、「助けよう」とか何かしてあげようというふうには思って無かったんです
ただ、この子と1人の人間として接したい
純粋にそう思いました
皆平等に、皆と仲良くなんて言いたいけれどなかなか難しいですよね
皆んなに優しくしないといけない
皆に良い顔をしたいといけない
そんなことではない
クラスの一員とかグループの一員でも無く、1人の人間として接することが平等に接するということなんじゃないでしょうか
その子には苦手な事もあり、私はそれを把握した上で役割を与えたり、良く話しかけたりすることをして「貴方と私」で向き合うことを心がけていました
そんなふうにしていくと、その子はよく話しかけてくれて積極的にグループ活動に参加してくれたり今では笑顔を見せてくれるようになり嬉しかったです
私がやってあげたとか、先生によく見られたいからとかそんなことではないですよ
1人の貴方として対話が出来ていることを感じてただ嬉しいと思ったんです
そしたら、それを先生が見てくれていたから
やはり見ている人はこうやって陰ながら見てくれているのだと
この話を母に話すと、何よりも嬉しいと
そう言ってくれました
そして同時に、小学生の時に書いてくれた色紙を思い出しました
そこには、
・口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう。
・目は人のよいところを見るために使おう。
・耳は人の言葉を最後まで聞いてあげるために使おう。
・手足は人を助けるために使おう。
・心は人の痛みがわかるために使おう。
と書いてありました
当時は小学生だったので何だろうと思ってましたが、不思議と鮮明に覚えているもんでビックリ
こちらは、腰塚勇人さんという方の5つの誓いだったそうです
私がこのような対応が出来ていたのはやっぱり父母の魂レベルが清らかで高く、美しいものだったからだと思います
20歳までは親や周りの人に積んでもらった徳によって運良く生かせて貰えましたが、これからは私自身が運貯金をして魂レベルを磨いていかなければなりません
最近、精神的にもしんどく学校を休んでいましたが、何だか見てくれていたことが嬉しくてまた少しずつ頑張ろうと思えました
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