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凶暴なレビューについて考えた

今週はこの〝凶暴な〟Amazonレビューについて考えた1週間でした。

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 私は「加害する親、加害する自分」について書いた本を出してきたので、こういった意味のことを言われることが度々ある。「私は田房さんとは全く違うんです」と、ものすごくぶっとい境界線をまず最初にグリグリと引かれた上で、私を「ダメなほう」に置き、自分は「ダメじゃないほう」に立った状態で話し始める人に会うことがある。
「田房さんは親に愛されてませんけど私は愛されていて」とか「キレたりしないから問題ないんですけどなんたらかんたら」とか、田房さんはもう救いようのない状況の方ですが私はそうじゃないので、という設定で話が始まる。一度そういう風に相手に設定されて話し始められると、こっちから修正するのは難しい。悪気はなさそうに、物腰柔らかくヒドイことを言ってくるので。笑

 私が本に書いている主題は、そういった「私は親に愛されてないからダメだ」とか「キレてしまうから人として終わってる」とかの世間的視線を自分の中に内在させることから脱しよう、ということだ。「善・悪」や「良い・悪い」「正しい・間違ってる」という世間的な相対的視点で自分を線引きし、ダメなほうに自分を置く。そういう生き方はしなくていいってこと。
 私も長らく、人間は相対的視点で生きるもんだと思ってた。でもそれだけではどうにもならない時がやってきて、世間的・相対的視点だけではなく、自分だけの絶対的視点というものを持っていいんだ、ということを知った。
 だから、キレることや親がしんどいことが、世間的・相対的に好ましくないなんてことはもう分かっているから私にわざわざ言わなくていいよ(笑)と思う。

 相対的視点、と言えば、私はそれら線引きされる出来事のおかげで「ラッキーなことに」「幸いなことに」という言葉が大嫌いになった。
 私の漫画を読んだ人が「私の親はラッキーなことに、こんなひどい親ではありませんでした」というのを感想の枕詞みたいにつけて話し出すのをたくさん見たし、目の前で言われてきたから。
 あまりに嫌いすぎてアレルギーになり、この言葉は病気についての話でもよく登場するので、「ラッキーなことにガンのステージが○○でした」とかツイートしてる人を見ると、なんて無神経でデリカシーがないんだ、といちいち気になってしまう。「ラッキーなことに」は入れなくても話は成立するのに入れることによって「ステージが○○以上の人はラッキーじゃない」みたいなニュアンスも含まってしまうじゃないか。と、モンモンとしてしまうようになった。


 冒頭のレビューは、そういったことを言われる時や言われている人をみた時の私の中の違和感をクリアにしてくれる内容だった。「自分も周りにもこういう人はいません」と言い切ることの凶暴性。
 そういった部分は誰でも持っている。何か〝悲惨な〟状況の人に対峙した時に、「自分はそうじゃない」と敢えて感じたり確認することは、人間が生きていく上で重要な、自分を守る行為という面もあるからだ。
 〝悲惨な〟出来事を体験した人の話を聞いた時に「そんなことあるはずがない」と反射的に否定したり、悲惨な事件をニュースで見た時に「被害者にも落ち度があったはずだ」と口に出して言ってみたり、加害者側がいかにものすごく特異な環境で生まれ育ったかを知りたがったりするのは、自分が暮らしている生活と同じ世界線に悲惨な出来事が起こっている、つまり自分にも起こるかもしれないという不安をかき消そうとする行動だと思う。それによって平常心を保ち、自分は安全な生活を続ける。これも人間の大事な機能の一つだ。
 だけどそれを優先させて、あまりにも大きな声でそれを主張したりすると、相手が傷つく。差別になる。
 人間にもともと備わった「安全・安心を保つ」という本能を、たくさんいろんな他人と共にする社会の中でどう調整するか。それを考えるのが大人だと思う。

 だから本能を優先してしまうこと自体が悪いことではないと思う。その度に「あ、これは加害だな」とか「自分っていま凶暴だな」と気づいて自分を調整することが大事だと私は思う。
 

 レビューだから直接言われたわけじゃないけど、あなたみたいな人が死ぬほど嫌だ、と言われたほうはやっぱギョッとする。でもそれはその人にとって他人を攻撃、加害したとはカウントされない感じ。
 
 さきほどの不安をかき消すための行動が、他者を傷つけることがある、ということから、加害は「加害側が自分の身を守るために必死な時」に起こる場合があるというのを一つの結論にできる。つまり無自覚で起こる加害。
 加害という行為は、絶対にしてはいけない、やめなきゃいけない断罪されるべきことである っていう面と、誰でもいつでも陥ってしまう当たり前のことっていう面がある。

 そういった両面があったり、読む人によって相対的視点と絶対的視点の状態が違ったりするので、加害についてを漫画や文章で表現するのはとても難しい。
 でもやっぱり、何か気づいた時とか、どうにもならない時に助けになる本を、書いていきたいと思った。そういう時に手に取れる本。ネットで私のこと攻撃した人が何かぜんぜん別のことで私の名前も知らないまま手にとってくれたりする人が一人でもいたら私は救われるな~ とか思ったり。

 今週更新された、「嫌いな人のことが嫌いじゃなくなる方法」っていう漫画の第2話にも、相対的視点と絶対的視点で自分の感情を捉える、っていうことを描きました。
ここから今なら無料で読めますので、興味ある方はぜひー。

https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/612493/

「マンガebookjapan」というアプリを入れると、スマホで読みやすいそうです。
その漫画のカットです↓

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 レビューのおかげで一個、文章が書けた。うれしい。読んでくださった方、レビュー書いてくださった方も、ありがとうございました。

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