文化的人間

私は文化的人間になりたいのではないか、という命題を立てる。

そこから派生し、どんな人間であることを望んでいるのか思いを巡らせてみると、

映画が好き、美術が好き、ファッションが好き、音楽がわかる、本を読む、詩を吟じられる
劇を楽しむ、絵が描ける、旅先でちなんだ話を知っている、とか
あと山に登るもそう、ボルダリングするとかもしたい
全部ひとりの話だ。
想像力が乏しいのかもしれない。
ただ、昔から楽しめたものはそれくらいで、幼い頃からやっていることを拠点として生活する大胆さは持ち合わせていない、という己の矮小さを思い知る。

もっと人と関わることをしたい。
願わくば、成果物で人と関わりたい。
ものの見方の議論で人と関わりたい。

人は自分の脳みそから外には出られない。
だから人に影響を及ぼした力で己を大きく見せる。


果たして本当に私は文化的人間になりたいのだろうか?
もはやアイデンティティの問題である。
そういう知的や文化的なインプットをしていない自分に満足に向き合えない。
それが心のよりどころでもある。
作り込まれた作品は世界のどこよりも深く私を包み込んでくれる。
その安寧に浸っていたいだけなのかもしれない。

アウトプットの話をしていない。私は昔から、申し訳程度のアウトプットしかしていない。

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