漂う 恋 fwfw
もう眠たくて、やらなきゃいけないことを放置している中だから、余剰リソースを超えて書いてることに罪悪感を感じ始めている頃なのですが、新しくURLが出来てしまったことだし、タイトルに負けた文章でも書いてみます。
ふと、昨日のこの時間にランニングをして、帰ってきてから作って食べた卵うどんの生姜の風味を思い出しました。
そして、この文章は後から何度も何かの感情をもって振り替えられることを思いました。それなら、もっと今の暮らしのディティールを書いて、この暮らしや感情に思いを馳せさせてやろうかと思いました。そこで私は、少し怖くなってしまいました。
これから時間が進んだ私の未来には、かじれる親の金のリソースも、負わなくても許される責任の割合も、不確定に泳がせていてもいい幾つものことや、思い出せるこれまでのこと、こんなくだらない物書きに費やせる余裕も、どんどんどんどん、どんどんどんどn少なくなっていくんでしょう。なんなら、この文章もさらーと目を通して終わりなんでしょう。
popteenを隅から隅まで舐めるように読んでいたあの頃を、どこかこんな郷愁で思い出してしまう。なんだかおセンチみたいです。最近、しっかりしてきたような気がするんです。それはなんでなんだろう。経験値ですか、なんの?アウェーに飛び出して、やったことないことやって、それで地に足を着いたように生きられるのですか。今までわからなかったものの価値に一歩ずつ近づいていくこと、それで何か変わるのですか。それなら、興味の幅で人は決まるのですか。プラットフォームはどこにありますか。歴史を好きになることは今後あったとして、私はきっと網羅できずに終わってしまうのかな、と人生の儚さを思います。笑。
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