直ぐそばに

「私がその花に触れるとき、私は無限に触れているのです。
その花は人間が地球上に現れるよりもずっと前から存在していたし、この先何百万年も存在し続けるでしょう。その花を通して私は無限なるものと話をするのです。無限者(神)は静かな力にほかなりません。これは物質的・身体的接触ではないし、地震とか風とか火といったものの中にあるわけではありません。不可視的世界のうちにあるのです。それは妖精たちを呼び出すあの小さな声なのです。」 ---ジョージ・ワシントン・カーヴァー『植物の神秘生活』より


2017年ぶりくらいに植物にハマろうとしている。その時は多肉植物から始まり、サボテンや観葉植物、色とりどりの花をガーデニングするようになった。また、植物園にて様々な植物を見るようになった。それ以降、私は植物にハマるなんて意識をしなくとも、原生林や群生地に出向き、その自然の素晴らしさに感動するようになっていた。
そしてその中でも今は「木」にハマろうとしている。樹齢何千年、何百年、ずっと生き続けている大きな木。その木に触るだけ、いえ、見るだけで力をもらえることに気づいた。そしてそんな大きな木を去年から「オチーク」と呼ぶようにしている。

「オチーク」という名前の由来は、ヤンシュヴァンクマイエルの『オテサーネク』という映画を見たのがきっかけだ。この映画は不気味な木の映画である。子に恵まれない夫婦が、木を子どものように育てる話。そしてその名はオテサーネク。ニックネームみたいな感じで「オチーク」と呼んでいた。私はそれが気に入った。
この頭のいかれた『オテサーネク』という映画は、現在アマゾンプライムにて鑑賞可能である。私は結構好きな映画。人には進めないけど、このおかげで大木をさらに好きになれた。

またほかにも木を好きになった理由はある。
それは去年から始めた木彫である。木彫に適した木は何種類かある。東京へ行った際、新木場の「もくもく」という銘木店を訪ねた。大量の種類の木がカットされて売られていた。初めて聞く木の名前。まるで人間みたいに、黒人も白人もイエローモンキーも並べられていた。色とりどり。
その元となる木はどんな形なのかも気になった。楠やヒノキはよく聞くけど、どんな形なんだろうなんて。

去年、巨大な楠を見た。まるで踊ってるみたい。植物は根を張るともうずっとそこからは動けない。どっしりと何千年もそこで生き続ける。人間が伐採したり、何らかの原因で倒れるはめになったりしない限り。
『植物の神秘生活』によると、植物もコミュニケーションをすることができるし、人間の気持ちもわかるみたい。切ったり焼いたりしたら、やっぱり何か反応するみたいだよ。
これからもたくさん、変な形をしているオチークや何千年も生きてるオチークに会いに行かなければならない。

冒頭に書いた文章を初めて読んだとき、私はとても感動した。
まるですぐそばで宇宙旅行をしているみたいな。植物に触れることが、こんなにも喜ばしいことだって感じたことがなかった。今年は植物に関するいろんな知識をさらに増やしていきたい。そして、オチークを訪ねたときにできるコミュニケーション方法とかも考えたりしようと思う。


今日は仕事中、ずっと植物のことばかり考えていた。
家に帰ったらチューリップの種植えちゃお―――っとと思っていたけど、倉庫を見ると、あれ?ない。母に聞いたら「もう腐ったよ」とのこと。
そう。私は気が向いてるときは熱が強いんだけど・・・という人間である。気が向いてるとき、私の頭の上にはきっと、目に見えない花が咲いているのだろう!!!今はまだ6分咲き。

アディオス

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