黛冬優子同担拒否という感情を抱くまでの話

2019-12-02 00_35_28-アイドルマスター シャイニーカラーズ

それは職場でのほほんとほうじ茶を飲んでいるときのこと。私は職場で完全に「アイマスおじさん」もとい「有給休暇を使ってライブに行くおじさん」として認知されている程度にはだめな人間なのだが(それを許してくれる弊社本当にありがとう、愛してる、でももっと早く帰らせてくれ)、そんな人間も社会人をN年やっているので後輩というものがいる。ここでは仮にAとしておこう。

Aはとても誠実で、基本的に人間としてできているのだが、1点だけどうしてもいただけないところがある。それは「時々人を小馬鹿にする癖」である。笑いを取りに行っているつもりが怒りを買って先輩社員に絞られることもしばしばあるが、それでも本人曰く「ギリギリまで攻めるのがやめられないんですよね(笑)」らしい。

そんなAは大のゲーム好きで、明日も仕事があろうが朝の4時までゲームするのというなかなかに極まった生活を送っている。そのため大抵のゲームは遊んだ経験があるというマジモンのゲーマーなのだが、そのわりにシャニマスはやったことがないそうだった。

私自身、未だにあのゲームシステムが性に合わないし、トレーニングチケットを手に入れるのがつらすぎて、正直自分の中では微妙な立ち位置の一本なのだが、シナリオの良さとアイドルの可愛さは間違いなく本物であり、なによりガチャ演出などの画像系のクオリティはこの界隈で随一なので、興味があるなら触ってみると良いだろう、と良い面も悪い面も合わせて話をしていた。

そんなAが今日、「シャニマスすげーたのしい!いいゲームじゃないですか!女の子かわいいしゲーム部分も楽しい!」と報告してきてくれた(かわいい後輩だな)。聞くとAはもともとパワプロが大好きだそうで、あのプロデュースシステムがとても性に合っているらしい。また、芹沢あさひちゃんがとても気になっており(この時点でAの株価は自分の中でストップ高、というかさらっと10時間ゲームして「10時間ぐらい遊ばないとゲームシステムってわかんないっすよね」みたいな事言うAとあさひの組み合わせがぴったりすぎでこの2人の組み合わせだけで1本同人誌いけるだろってぐらいだった。ここまで超早口)、これからもちょこちょこ遊ぼうと思います、とのことだった。

この時点で私は、彼が面白いと思うゲームを教えることができてよかったなぁと思っており、それでこの話はおしまいになるはずだったのだ。

A「そういえばはぎょうさんが推している娘って……ごめんなさい名前なんでしたっけ?」

私「あぁ、黛冬優子ちゃんね。あさひちゃんと同じユニットで、黒髪の娘」

A「あぁ、そうそう。あの娘もコミュで出てきて好きでしたよ。なんていうか、二面性がキツい娘ですよね(笑)」

その瞬間、私の中に言いようのない怒りと失望が生まれ、それと同時に爆発した。それはAの口調がどことなく普段の「人を小馬鹿にして笑いを取りに行く」ものに近かったこと、そして彼女に対して「二面性」というとてつもなく単純なレッテル張りがされたからだと思う。

もちろん短文で彼女のことを表現しなければいけない場面において、彼女に対して二面性やツンデレ、腹黒い、猫かぶりなどのわかりやすくイメージしやすい文言を使う方がいいのは分かっている。分かっているのだ。しかしながらそれを分かっていてもなお、「二面性」という言葉を使い、なおかつ「キツい」という表現を使って彼女をまとめたことに対して大きな怒りを抱いてしまったのだ。

黛冬優子というアイドルについて考えたことがある方ならこの思いに多少は共感できる部分があると思う。彼女は本当に本当に、そんな簡単な言葉で言い表せるような単純な娘ではないのだ。わからないのだ。どことなく存在している虚栄とそれを支える語気の強さ、そして信頼をしてくれたときに、少しだけ見せてくれる感謝の気持ち。そういうものにふれるたびに自分は喜び、悲しみ、そしてまた彼女のことを好きになってしまうのだ。

そもそも一人のアイドルを、人間を完璧に理解できることなどあるはずがないのだが、それでも彼女のことを考えていたいと思える、そんなアイドルなのだ。だから、「二面性がキツい」なんて言葉で掃いて捨てるように扱われてしまったときに、大人気なく会社の後輩に対して、自分が勧めたゲームのキャラクターに言及する言葉の選び方について本気でキレそうになるなどしてしまったのだ。

そしてその考えの行き着く先の感情が「同担拒否」であった。いや、正しくはそれに近い、あるいはもっと強烈な感情だったのかもしれない。「Aが彼女に対して言及することを許さない」「Aより俺のほうが彼女のことを分かってあげられるんだ」という、超排他的で自分本意であり、なおかつ彼女に対する思いの暴走が自分の中で沸き起こったのである。

おそらく自分が生きていて初めて抱いた感情だった。そして、今まで全く理解ができなかった「同担拒否」なる気持ちを持つ理由が分かった。誰かに対する自分の想いが大きくなりすぎて自分で抱えることができないぐらい大きくなったときに、その想いを誰かが持っているのが見えてしまうのが本当に怖いのだ。

その人の持つ想いがとても軽く見えると、そんな想いでお前は「〇〇を好き」と言えるのか、せめて俺と同じ大きさになれという、面倒くさい老害オタクと同様の感情を持つ。逆に、その人の持つ思いが自分より重く見えると、自分の大きいと思っていた想いが揺らいでしまう。自分が大きく大切にしていた想いが揺らいでしまうのがとても怖いのだ。同担拒否は、自分の誰かに対する想いを守るための自衛手段だったのだ。

こう書いてみると、逆ギレに近いものだと思う。本当に面倒くさい感情だ。こんな感情持つべきではない。でもその気持ちを持たないわけにはいかなかった。これはそういうものだ。そういう想いだ。その思いを持ってしまった人たちがみんな一様に魂に背負ってしまっている呪いなのだ。俺は黛冬優子を知ってから、ずっと彼女に呪われてしまっている。

もちろんその場でそのような呪いめいた感情を出すわけにはいかなかったし、その場ではそのまま話を流して終わった。

なにせ彼はまだシャニマス(というよりアイマス)に触れたばかりだし(担当じゃなくて推しって言ってたし)、そもそも急に「冬優子はそんな単純な言葉で片付けられるアイドルじゃないんだよ」とか言い出したら完全に頭おかしい先輩扱いされてしまう。大体、じゃあお前は冬優子のことを分かっているのかと言われたら終わりだ。俺は黛冬優子のことを何もわからない。わからない。彼よりコミュを読んでいても、彼との差は紙一重もあるかわからない。明日には彼の方が彼女のことを分かっているかもしれない。私に彼のその言葉を咎めることができる資格なんてなかった。

そんなことよりも、彼が少なからず自分が担当しているアイドルに対して重さはともかく「好き」という言葉を使ってくれたことに感謝するべきだと思った。いろんな好きの形があっていい。愛は地球を超え、上も下もないのだ。そう教えてくれたのは、私の担当アイドルの城ヶ崎莉嘉だった。

僕は僕の中で、アイドルマスターに対する思いだけで絶望し希望をもらい、大切なことを教わった。そういえばこのコンテンツはそういうコンテンツだった。そんなことを思い出させてくれたAには感謝しかない。そう思った。ありがとうA。来週、お昼ごはんを奢るよ。


そして、遅くなったけど、黛冬優子さん、お誕生日おめでとうございます。僕からあなたにできることは、画面を通してクリックしてプロデュースすることだったり、あなたの発言に対してうだうだ考えて枕を濡らしたりすることだったりで、結局の所あなたに対してできることはほとんどなにもないけれど、でも、それでも、あなたに対して本当に本当に真剣に考えたいし、真剣に生きていきたいと思います。あなたのことを考え続けることをあきらめたくないと思います。その、伝えたかったことはそれだけです。お誕生日おめでとうございます。あなたがこれからアイドルとして羽ばたいて行くことを心の底から祈ってます。

この記事を読んで黛冬優子、もとい彼女が所属するストレイライトというユニットに興味を持った皆様、ぜひCDを買ってください。ストレイライトしか勝たん……。

投げてくれると嬉しい