総コンテンツ社会 2023.2.9

なるべくヘッダーにイラストをつけようかなと思っていたけど、すぐに投げ出すのが目に見えてるのでラフにいこう。こだわることにこだわるな。

去年の半ば頃からTwitterで色々なオタクさんを沢山フォローしていて、中でも驚いたのが個人で配信をする人の多いこと。

正直言って、平凡なオタクだと思っていたフォロワーの「モイ!ツイキャスから配信中!」率の高さにはびっくりして椅子から転げ落ちてしまった。

マジ?

自分をフォローしてくれる人たちは基本的に自分と同じくYouTubeを観るのが趣味で、誰かしら配信者のファンであることがほとんどなんだけど、彼らの一部は視聴者の立場であるだけでは飽き足らず自らも配信しているらしい。

すごい。そんな発想なかったわ。

否、その発想はなかったわwwwwww

冷静に考えてみれば、それこそYouTubeにだって配信プラットフォームのCMが流れてるんだから、視聴者と配信者の垣根なんて最初からないっちゃないのかもしれない。とはいえ、リアルですら人と目が合わせられないような自分にとって、一部分とはいえ自分自身をまるごと世界に向けて発信するなんてにわかには信じ難い光景だった。

へえ〜〜〜、そうなんだ。今インターネットってそういう感じなんだ。

なんとなく、心のどこかで、自分なんかと繋がるような人は自分と同じような卑屈で口下手な日陰者(保有資格:英検4級)とばかり決め込んで安心していたような気がする。それは普通にカスの思考なんだけど。

でもそうじゃなかった。令和のオタク達はあくまでカジュアルでごくありふれた趣味のひとつとして配信をしている。仲間と時間を共有してコミュニケーションする文化が浸透している。身内だけのクローズドな空間とはいえ、十年前のニコ生のアングラ感とは全然違う。

学生時代のTwitterのアカウントを消してからかれこれ5年以上ネットの人間と繋がることをしていなかった自分にとって、この光景は完全にカルチャーショックだった。

いや、お前もラップしてたじゃん(前回記事参照)っていうのは全然話が違う。「覚悟」が違う。歌も上手くない、そもそもラップしたこともないただのおっさんの肉声をネットにアップロードするのは、ある意味で犯行に近い決意が必要で、それこそお祝いごとみたいな特別な理由がない限りはとてもじゃないけどやろうとは思わない。これはマジ。

ちなみにその人たちの配信の内容はというと、ちゃんと面白くてそれもびっくりした。雑談だったり楽器を弾いたりヒトカラしたりゲームをしたり、スタイルは人によるけど、肩肘張らないフランクさと緩い雰囲気がすごくちょうどいい。普段プロの配信を観てるから見劣りするみたいなことは全然なくて、普通に観ていて落ち着いてしまう。

そりゃそうだ。そもそも友達みたいなフラットな距離感で楽しめるのが配信というコンテンツの醍醐味じゃなかったか。

そう思うと、自分の世代がSkypeで友達と通話しながらグダグダと夜を明かしてたのと根底は同じなのかもしれない。対象がリアルの関係からネットの繋がりに拡張されただけで。

とはいえ、そうはいっても感はある。この差って何なんだろうね?単にそういうジェネレーションギャップなの?それとも自分が知らないだけで十年前から普通にそういうノリはあったんだろうか?昨今言われてるメタバース?みたいなものもそういうムーブメントの延長線上にあるんだろうか。

もしかすると、もう来ちゃってるのかもしれない。人類総コンテンツ社会の波がすぐそこまで来ちゃってるのかもしれない。

YouTubeを鑑賞するように、個人同士が互いを発信しあい、互いをコンテンツとして楽しむ時代が来てるのかもしれない。Twitterの運営も露骨にスペース機能を推してるけど、あれもいつかは大衆に浸透するんだろうか。

自分がその波に乗れるかはさておき、こうして考えてみると段々と納得はできる気がしてきた。自分の経験に照らせば、合作のラップだって結果的には沢山の人に肯定的なコメントを貰えたし、なんならもう既に合作に限らずまたやってみたい気持ちになってる。

マジ??

すごいな。どうしたの自分。これが承認されるということ?きっかけさえあれば意外と人の考えなんてあっさり変わるものなのかもしれない。

少なくとも、今の実感として言えるのは、居場所を選べるなら人の輪に入った方が楽しいに決まってるということ。

孤独に慣れ過ぎると急にこういう「寿司って美味しいよね」みたいなことを言い出すので、友達は早めに作った方がいいのかもしれない。

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