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冷めた目で観察する

身体と精神の事情で働けない。お金もない。家族からは疎まれ、友達もいない。

八方塞がりのような状態で、口から出てくるのは過去の人からの侮蔑な態度や侮辱のエピソード。

あの時こうだったら…。
こんなひどいことを言われて心が折れた。
努力じゃどうにもならないことだってある。
働きたいのに働けない。
私の気持ちなんてわからないだろう。


もしこのような人がいたとする。
ハードな境遇で、言っている事もごもっともである。

彼らが次の一歩を踏み出す時、客観的に見てどんなにローリスクな行動を選択していても、すべてハイリスクに映るだろう。心が弱っているので仕方がないことである。
失敗してもいいことでも失敗したくないのは、これ以上心に負担をかけたくないからである。

病んだことがない人には病んでいる人の気持ちを理解することはできない。そのせいなのか、残念ながら病んでいる人には健康な人の言葉は的確だったとしてもほとんど届かない。みんな都合の良いことしか耳に入らない守りの体勢に入ってしまっているから。外敵から自分の心を守るために。

結局、病んでいる人の周囲にいる人間は何もすることがないのである。強いて言うなら、病んでいる人にとって都合の良い言動をして気持ちを下げないようにすることだけである。
守りの体勢の時期を終えたら、彼らは自ら殻を破って出てくる。

冷めた人間の個人的な見解である。

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