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強度行動障害と、くるめさるく長瀬慎一さんらの虐待(?)事案に関して


同居する母の依頼をうけ、暴行や窃盗などの行動問題のある長崎県の14歳の少年を拘束し、福岡県の施設に連行し暴行した疑いで、福岡県久留米市の療育施設くるめさるく代表の長瀬氏(坂上氏)と、特別支援教諭であった松原氏が逮捕されました。

報道のまとめはこちら

すでに大きく話題になっていますし、今後、裁判になっていくとおもいます。私なりにこの事件とエヌ氏について振り返ってみます。

時間がない人へのまとめ

今回の事件における高機能の方の行動問題(触法少年)への関わりに関しては詳細がまだまだ不明であり続報をまちたい。本人の合意をえずに「力」で連れ去り介入したこと、言葉や理屈をもちいたアプローチも使えるであろうこと、やむを得ずどうしても人権制限をともなう拘束や隔離が必要な場合は児童相談所や警察や精神医療の担当領域であることなどから、エヌ氏らがおこなったことへは明確な違法行為なのだと思う。しかし殺すか殺されるかの場面で、家族のほか、議員や医師などからの依頼をうけておこなったということなのでそういう方々がすっかり黙ってしまっていて声をあげられていないというのは問題と思う。本事例に対して、被害者とされる少年がどのような状態であり、周囲の人(公的機関)がどのように動き、どのような対話がなされていたのかについての検証が必要である。

一方で知的障害や自閉症が重度な方の行動障害に対しエヌ氏は訪問してチームで改善するプログラムを持っていた。感覚統合やリラクゼーション、身体接触での対話などの身体アプローチの「技」が、視覚的構造化(TEACCHプログラム、PECSやおめめどう)を用いた対話以前に必要な方もいることはエビデンスの作りにくい分野ではあるものの臨床上も実感されるところである。我が国では臨床動作法や抱っこ法、最近では護道などもある。身体も行動も大きくなった成人期になってからでは関わる人の危険も大きく、当人にとっても誤学習などに繋がりやすくこういったアプローチを出来る人も限られるが広くは普及はしていない。エヌ氏らは現場に訪問して効果をあげていた。今後の検証、エビデンスづくり、倫理面の検討、法整備が必要である。
(※エヌ氏はこれらのアプローチをABAで説明しようとしていたが、日本行動分析学会はエヌ氏のやってきたことをABAとは認めていない。)

「強度行動障害は100時間で改善できます。」


私がくるめさるくの長瀬慎一さん(坂上慎一さん、以下エヌ氏)と知り合ったのは2年くらい前でしょうか。

脱!強度行動障害FBグループで投稿されていたり、コメントをしあったりしたところから知りあったエヌ氏は自分が訪問して困難事例に関われば「100時間で強度行動障害は改善できる」と言い切り、胡散臭さプンプンでした。

エヌ氏は強度行動障害状態の本人、家族の生活の質を上げるために全国を飛び回り1000人を超える方に関わり改善してきたと豪語していました。

だれにとってもその人なりの幸福追求をする自由、行動を制限されない自由と同時に、不適切な行動の修正(対話の機会)を受ける権利も有すると主張し、社会の中で生きていくために学ぶ権利ももあるはずなのに教育や福祉の現場はスキルに乏しく、重度知的障害自閉症があるからとそのあたりを放置されている現状を嘆いていました。

これはエヌ氏とともに逮捕された特別支援教諭である松原宏先生(以下エム氏)が訴えていた部分でもあり、私も合意できる部分です。

そして後追いだけではなく、今度は発達早期から自閉症児に対して良質な療育をおこなう拠点として「くるめさるく」をつくってスタッフとともに活動しているとのことでした。

強度行動障害に関してなんぞや?という方ははこちらもご一読ください。


私自身も、この分野に巻き込まれ、地域や病棟で強度行動障害状態が持続してにっちもさっちもいかなくなったケースへの関わり方について悩んでおり、ノースカロライナのTEACCHプログラムなどの素晴らしさは認めるものの、リソースも少なく、自閉症支援の文化もない切迫した我が国の現場ではすぐにつかえるものではなく、少しでもヒントになるのであれば何であれ学びたいと思っていました。

そこでエヌ氏の実践を動画で公開する解説のオンラインの勉強会に参加させていただいたり、個人的にもインタビューもさせていただいたりしました。

https://youtu.be/6dTRMOj6TaU


私自身も臨床場面において激しいパニックや多重人格のようになった行動障害の方と身体的に格闘するようなことも多々ありましたので、強度行動障害の方とその家族や支援者に身体アプローチを用いたリラクゼーションは方法論としてはありうると感じていました。
というか、その段階になってしまえば、短期的にはそこからやっていくしかないとも思っていました。

そんなエヌ氏の技術や取り組みを知ってもらいたくて、私も共同編者をつとめた「対話から始める脱!強度行動障害」のコラムの執筆者に推薦しました。

そして、おめめどうの奥平さんが急遽対談には参加されないことになったことで、対談のピンチヒッターとしても参加いただきました。対談の中で「療育」の定義についての対話がなされ、療育=コミュニケーション支援というという話にもなりました。

Kindle版もありますのでよろしければご一読ください。

https://amzn.to/3QsM13n


実はかなりオーソドックスな手法がベース


それからエヌ氏とは「脱!強度行動障害グループ」でのコメントのやりとりや、実践の動画を公開して解説セミナー、たくと大府の林さんとコラボした自閉症支援ZOOM勉強会などでその理論や実践を教えていただき、全国の仲間と脱!強度行動障害についての情報交換して学びを深めていきました。

エヌ氏の実践手法は特殊な個人技のように思うかもしれませんが、実際のところほとんどは自閉症支援の業界にあってもきわめてオーソドックスな方法の組み合わせであり、特徴的な部分は後述するごく一部のように思います。

特筆すべきはまずタイムリーで素早いアウトリーチや、本人や家族との集中的なコンタクト、その後の親や支援者へのフォローも医療や他の福祉事業所でもなかなかできなていない部分でした。

スキル面では重度知的・自閉の方へのプロンプトフェーデイング、身体接触を伴う肉弾戦となると長瀬さんは抜きんでていたと思います。

当然ながら100時間(100万円、1万円×100時間の場合)かけたからといって、それだけで魔法のように行動障害が消えるわけはありません。

個人プレイではなく、覚悟をもって学び変化するチームで関わることは必須で、支援の仕方は家族や支援者など本人を取り囲む人たちに汎化していくことは前提です。
そして行動障害だけがなくなっても意味がなく(身体拘束したり、薬で鎮静すれば行動障害はおさまります)、必ずQOLの向上をともなっていなければ意味がないというのがエヌ氏のつねづね主張するところでした。

 当初は24時間マンツーマン以上の関わりで寝食をともにして丁寧に関わり、本人とも信頼関係をつくり、親や周囲の支援者がアセスメントや支援スキルを伝えるのに1時間1万円程度というのも決して高いとは思いません。

 アフターサービス、サービス精神も旺盛で、結果が出なければ返金保証していました。実際、行動障害は改善し、本人、家族のQOLは上がっていました。

 社会の中の対話が成り立っていないところに駆けつけ、対話を促進する通訳兼メディエーターというような感じでしょうか。これは私の診療スタイルとも共通するところがあるとおもいました。

 ただし引き受ける以上、家族や支援者にも相応の覚悟を求めていました。親や支援者のトラウマケアや地域でのチーム作りなどはエヌ氏を呼ぶ前や後にそれぞれの地域で必要なことでしょう。
エヌ氏にまかせっきりで必要なかかわりが続けられず、うまく行かなかったケースもあるかとはおもいます。強度行動障害は決して医療モデルではうまく行かないのです。

行動的なアプローチをベースにした独自の方法


 臨床家であるエヌ氏の実践は、行動的なアプローチをベースにした独自の方法で、理学療法、感覚統合法、整体、抱っこ法や臨床動作法、護道などの身体アプローチをいろいろと取り込んだようなもののように私には見えました。
特に廣木道心さんの介助支援技法(護道)とは共通するものが多いように思います(当人たちがどう考えているかはわかりませんが)

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 こういった身体アプローチはエビデンスも作りづらく、言語化しにくい達人の技であり、アカデミアでは扱われることはほとんどありません。今後、伝承されていってほしいと思うとともに、学術的にも検証され、その適応や使用法に関しても対話をかさねコンセンサスを得てていくべきなのだとおもいます。
なお、支援学校の教諭であったエム氏はエヌ氏に弟子入りしていたような関係でした。

 家族や周囲の支援者もエヌ氏が帰ったあと消去バースト※の期間を乗り切るために頑張らなければいけませんが、その期間、LINEやZOOMなどで家族や地域の支援者のフォローアップもしていました。

(※ある行動を消去しようとしたときに一時的に標的とした問題行動の頻度や持続時間や強度が増大したり,別の問題行動が起こったりすること。通常は2週間程度。)

 オンラインのセミナーを解説付きで動画を見せていただきましたが、これらの実践の方法論は自分なりにも十分に納得できるものでした。


暴露反応妨害による行動障害改善


 エヌ氏の行動的なアプローチをベースにした独自の方法について私なりに解説を試みてみます。

 まずは、環境調整、視覚的構造化をおこない、コバリテや、巻物カレンダーなどを使える人はそこからおこないます。そして、PECSなどのコミュニケーションツールをつかっての理解、表出コミュニケーションを整えることは大前提です。実際、エヌ氏は遠かったり、すぐに行けない状態の方に関してはPECSのレベル1ワークショップの受講をすすめたりしていました。

 実際問題として独自の方法を使わなくても、これらを使って丁寧に本人と周囲の人が対話でき、本人が不安なく苦痛なく混乱なく過ごせる環境を整えることができると、エヌ氏に頼らなくとも多くのケースは徐々に改善していくと思います。

 あと、おめめどうの奥平綾子さんが主張するとことですが、思春期では必須ですが障害があるとわすれがちな、「性と実年齢の尊重」もわすれずに・・・きちんと選択→決定→自分で結果を引き受けるという自己責任のサイクルがまわせるように大人扱いしていきましょう。詳しくは”対話から始める脱!強度行動障害”をご参照ください。

 さて、自分の感情が自分で抱えられないときはそれを抱える環境が、行動が自分で制御できないときは何らかの枠が必要です。感情をかかえるのは安心基地ということになるでしょうし、行動を抱えるのは知能的に意味と見通しが持てる段階となればそれが法やルールということになるのだとおもいます。それができなければ精神科病院の保護室や、丈夫につくられた頑丈な施設ということになってしまうのだとおもいます。

 自分で自分の機嫌をとれるようになり、スケジュールなどを用いて周囲とともに対話しつつ自分のやりたいこと、めざすところにむかって、自分でそれら構造を作れるようになることが目指すところではあります。課題があってもその先にその人にとっての報酬がみえ、よい見通しがもてるようになれば適応的な行動は自発します。

 これらを行ってもどうしてものこる行動問題があるとすれば、知的障害や自閉症の程度がかなり重度なもの、未学習のもの多いもの、人で遊ぶ、暴力でのコミュニケーションなど長年の誤学習を繰り返してこじれにこじれたもの、本能的な衝動が相当強いもの、トラウマ絡みの反応的なもの、統制がきかず身体内外の内外の刺激に対して反応がおこってしまういわゆるレスポンデント行動や、不安などもベースにした頑固な同一性保持などがある場合でしょう。

 ・万年床⁈で寝る…
 ・食べたものを吐き戻す
 ・ガラスを割る…
 ・顔をひっかく…
 ・街中の異性に触る…
 ・電車に飛び込む
 ・水の中に飛び込む
 ・店のものを持ってきてしまう

などなど

これらに対しては出来れば入院や入所施設などで、守られているという感覚が感じられ、わかりやすく構造化され刺激が統制された環境を用意して、すこしずつ再学習して、活動を広げていければよいのでしょう。
 
 もっとも入院や施設環境などの低刺激な環境の退屈さに耐えられず、変化や刺激を求めるADHDの特性があったり、感情が不安定な併存症としての愛着障害、気分障害や統合失調症などがあわさっていれば更に難しくなります。こうなってくると医療や薬物療法の役割も大きくなりますが、簡単ではありません。

どのような支援方法や治療の適応になるかを見極めるためには多職種によるこのあたりの様々な角度からのアセスメントが重要です。

しかし医療でも福祉でもそういったアセスメントができ、刺激を調整できる環境を用意できる地域はまだまだ限られており、残念ながら専門の公的施設や病院であっても偉い人のコネをつかってやっと入所できたものの、現場の支援者はどうしていいかわからず入院や入所してもその間、死なさずに預かりというだけでも精一杯だったりします。そして長期的な隔離や拘束、虐待もおきていたというような話もいまだに聞きます。津久井やまゆり園などの調査でも虐待が明らかになっていましたね。

運良くトラウマのケアから再学習までできる専門的な施設や病院に入所、入院して改善しても、そこから退院して地域での生活の場への汎化もまた難しかったりもします。

エヌ氏がとった手法は、こういった本能的な衝動行動、あるいは学ぶ機会を奪われたゆえの行動問題ゆえに居られる場所がなくなり周囲も疲弊したようなケースに対して、標的になる行動を定め、数日という短期決戦でチームによる介入で適切な代替行動(例えば絵カードによる表出など)に置き換えていくというものでした。

まず、問題となる行動がおこる状況で(暴露、エクスポージャー)、それを物理的におこせないようにします(反応妨害)。
これは強迫性障害などの治療で用いられる暴露反応妨害法、チックへの認知行動療法の一つにハビットリバーサル(習慣逆転法)にも近いですね。
ここで物理的に反応妨害できる環境を作れればいいのですが、自己刺激行動(自分の身体をつかった遊び)や排泄物で遊ぶ、人で遊ぶなど身体と密接に結びついたものの場合、直接的な身体接触がないと暴露も反応妨害も行うことが難しい場合があります。

もちろん身体の接触は双方の危険も多く、またトラウマ想起や、誤学習も誘発しやすくいため、これらの理解と鍛えた身体と高度なプロンプトフェーディングの職人的なテクニックが必要になります。子どもならまだしも特に大きくなった成人に対しては大変で、出来る人は限られているでしょう。

さて、この件に対して、いろいろな専門職の人と対話していて気づいたことがあります。

特に心理職は身体接触を嫌うというか避ける人が多いということです。慣れていないと言うべきか・・。心理で行動分析をおこなっているオーソリティにも特に女性に触れるのは「ありえない」とまで言われました。

医師も身体診察という形で身体に触れることもできるのですが、精神科でしかも1対1となる部屋だと、今の時代、特に異性に対しては、なかなか難しかったりします。

一方で普段から身体接触もありながらの肉弾戦で直接的なケアにあたっている現場の介護職、福祉職やセラピストと、学者や研究者、心理職との間でそのへんにも分断があるのかなあと思いました。

このあたりは実際に言語能力が乏しくトラウマや自閉症の特性が強い重度の方と関わった経験のない、セラピールームできれいな治療や支援をされている方にはなかなかピンときにくい領域なのかもしれませんね。

そう考えるとエヌ氏の手技のコアな部分は心理療法や行動療法というよりは、むしろ理学療法士や整体師(国家資格としては柔道整復師やはりきゅうマッサージ氏)などに近いようにも思います。
そうなると今度は医療類似行為の問題はでてきますが・・。

また、近年トラウマケア利用域で注目されているボトムアップ・アプローチ(脳幹→大脳皮質)とも共通するでしょう。EMDR、ボディコネクトセラピー、ソマティック・エクスペリエンス、タッピングなどさまざまな技法が開発されています。

知的障害がなければトップダウンからのアプローチ(認知行動療法など)も使えますしセルフケアも練習したりもできますが、知的障害や自閉症が重度だとどうしてもボトムアップ・アプローチが中心にならざるをえません。

自閉症に動物から高齢者まで使えるABA(応用行動分析)が用いられるのもその理由です。このあたりの方法論についてコバリテの古林さんも応用行動分析で説明されています。これもまた応用行動分析学会のオーソリティにいわせると不正確で無茶苦茶な説明だとのことですが・・。

知的障害のない方の依存症などに対して用いられる条件反射制御法などでやっていることとも意味合いは同じような感じかもしれません。 


短期集中でチームで取り組み汎化する


エヌ氏の技法は具体的には刺激にエクスポージャー(暴露)し、身体を動けないようにホールド(拘束ではない)するなどして物理的にその行動をおこせないようにします。そして課題行動を消去する際のバーストは弛緩することでおさめ、その行動の3倍はQOLがあがるような代替行動のレパートリーを伝えて増やします。

これが基本になります。

 今では禁忌とされる嫌悪刺激や侵襲的な身体アプローチは原則おこないませんが、自分や人の命に関わるようなものに関しては(吐き戻し、食べない、激しい自傷)など、タイミングよく叱る、タップなどの嫌悪刺激をつかわざるを得ないこともあるようです。

厳密に言うと適応や方法論を十分に検討され、倫理委員会を通してから医療機関などが明るいところで行うべきものなのでしょう。

知らない人が一見すると虐待にみえるかもしれませんが、よく見るとじっくりとなだめながら、丁寧に対話を繰り返し納得できるように諭しているようにも見えました。

弛緩(リラクゼーション)に関して言えば、流行りのポリヴェーガル理論でいうと、闘争か逃走かフリーズかというストレスシステムをオフにして、社会交流システムを起動する身体アプローチだといえるとおもいます。

言語が使える方に関しては、カウンセリングや歓待の雰囲気、声のトーンで受容や共感を示し、視覚的なやり取りが可能な方は絵カードや筆談で、アドバイスを受けてみようと思えるまでの土台をつくる事ができるます。

それを知的障害や自閉症が重度の方には、身体と身体で対話することでまず信頼関係をつくり、闘争か逃走かというストレスシステムをオフにしたり、フリーズした状態を解除したりして社会交流システムにもっていくというものでしょう。

深く傷ついたり怯えたりしている人に対して、人に対する信頼関係を再構築するためにはある時点、本人の要求に対して応答しある人がある程度は振り回されながらとことん付き合い、そこからだんだん規則性一貫性をもった関わりをすることで、安心感を内在化していく必要があります。

自分で自分(の感情や行動)を抱えられない時に抱える環境をキーパーソンを中心に周囲の人がチームでつくり、あやしてもらい退行も誘発して、傷をいやし、後に社会に受け入れられるための相手を攻撃しないなどの人間集団の理を最低限伝える(育て直す)ことが必要になってきます。

さらに対話を繰り返し納得をもとにしたルールを設定してお互いに守ることで維持したい暮らしが守られるということを体験してもらうことで社会化を図ります。

私の経験でも激しいパニックやフラッシュバックや解離が頻発している方に対して格闘しつつ身体アプローチでなだめ、落ち着かせるというようなことはしばしばありました。

そうして1時間くらいはとことん付き合っていくと双方とも汗びっしょりで同志のような感覚が生まれ、その後、力が抜け信頼関係ができ、治療や支援がすすむというようなことはよく経験されます。

精神科病院ならある程度でわっと人を集めて薬物を注射したり隔離や拘束ということになったりしがちですが、危険もあるので止むを得ない場合もあるとはいえ、もったいないなあと思うこともあります。
その場合でも丁寧に対応し一人にしないことが大切ですね。シュビング的接近というやつでしょうか。

でも考えてもみてください。不安でいっぱいの赤ちゃんをいきなり身体接触なしに、音声言語や視覚的なやりとりだけで育てようとたら、それこそアタッチメントが未形成、あるいは不安定なチャウシェスクの落とし子のようになってしまうと思います。

こう考えるとエヌ氏の弛緩からはいる技法は、子育てや最近のトラウマケアのさまざまな身体アプローチの手法にも通じる極めて常識的なもののようにも思えます。

かつての抱っこ法や臨床動作法とも似ていますし、認知症に対するユマニチュードも連想されます。最近のものだと護道にも似ています。SEXなどの営みにも通じるものかもしれません。

そのような時にはおそらく脳内でオキシトシンやエンドルフィンなどが分泌されているのでしょう。

最近になり、エヌ氏にも全国の支援者のお仲間もふえ、全国に出張しておこなう支援介入は全て録画し、それをzoomでのオンラインセミナーにして解説するようになりました。
私も何度か受講しましたがはじめて明るい場で、これまで体得してきた技を言語化して検証し、伝えようとしているように思いました。

エヌ氏の周辺で一体何があったのか


そこに今回の事件がおきました。

過去の事業所での虐待事件が発覚したときに押収されたパソコンに保存されていた動画から、警察に虐待の常習であると目をつけられ、取り調べを受けているのだということは聞いていました。請願書の依頼もうけました(事件の全貌がみえなかったので結局書くことはしませんでしたが・・)

エヌ氏は自身の実践に対しては後で検証できるように動画を残していたようで、それをもとに事件が発覚したのですね。

しかし、自分の知っているエヌ氏は丁寧な対話をすっとばして、強引な暴力に及ぶ方とは思えなかったので、ホールドや消去手続きなどをそこだけ切り取れば虐待に見えることもあるだろうから誤解されているのだろう、大変だなあと思っていました。

その後、逮捕されたとの報道がありました。

事業所での不正請求、さらに発端となったスタッフの利用者への暴行。別の利用者の少年が現場を撮影したという動画は明らかに暴行のように見えました。さまざまなことに目配せしての経営マネジメントや末端のスタッフの指導まではエヌ氏は得意ではなかったのかもしれません。

これらもセンセーショナルに報道されました。

脇が甘かったところもあったのでしょうし、事件により事業の継続性という意味では社会的責任を果たせなかったといえるかもしれません。
この手の苦労は自分もしがちなのでよくわかります。

今回の逮捕案件は、暴力などに悩む母親の依頼をうけ、長崎の少年を拘束して連れ去り暴言を吐いて脅し、監禁したという事件でした。詳細はわかりませんが、伝え聞くところによるとこの被害者は知的障害ではない14歳の少年だとのことです。

こういった高機能の方の行為障害の分野は、重度知的障害の方の強度行動障害に比べたら、精神医療や司法などでも多くの人が長年かかわってきた分野です。長崎県には長崎大学の今村先生も大村協立病院もあります。児童心理治療施設などもつかえる年齢です。

こういった素行症は重度知的障害や自閉症とは、使える資源も方法論も違ってきます。言語もつかえます。くるめとはエリアも違い、タイミングのよい、頻回の訪問による信頼関係の構築も難しかったのでしょう。本人に暴力がでるなら親は暴力は拒否し、その代わり言葉での対話は繰り返し、暴力が出た場合は離れると予告した上で、暴力が出た際には予告通り離れ、本人は外部に繋がれるようにしておく、そして粘り強く関わることが基本になります。

https://withnews.jp/article/f0190709001qq000000000000000G00110101qq000019431A


こういったケースについては長瀬さんの実践については公開していないので詳しいことは何ともいえないのですがこのケースは重度知的障害、重度自閉症などエヌ氏の得意なところのど真ん中からは外れているように思いました。

現にくるめさるくが自主事業としてやっていた触法行為少年の生活改善事業の廃止しています。

どうしてこのようなことになってしまったのでしょうか?

もしかすると周囲の人達から頼られ、うまく行った経験から調子にのり、また報酬をうけとり(高額ともおもいませんが)自分を追い込んでしまい余裕がない状態で自分との対話ができず、追い込まれた母親の脳みそと同化してしまい、反応的にいつの間にか本人不在の対話的でない暴力的な行動になってしまったのかもしれません。

焦りや慢心もあったのか、一人で何役も背負いすぎてしまったように思います。


警察や児童福祉、精神医療はどうしていたのか?


私たち精神科医は重度知的障害や自閉症の強度行動障害よりはるかに、こういったケースにはたくさん関わっており、むしろ警察と精神科医療の役目であり出番だろうとも思えます。
多くの地域でなかなかうまく行っていない状況もあり、相当困難な事例ではあるのだとはおもいますが。

私自身、不適切な養育と発達特性があわさり、トラウマ反応からの暴力がおさまらず警察をよび、含む多人数でおさえこみシーツでまくなどして拘束して、非自発的な入院をさせたことなども多々あります。

しかし虐待の証拠とされた動画それ自体、支援がよかったのかどうかを検証するために撮られたものだそうです。その一部のみを印象論で切り取るのではなく全体をさまざまな専門家の協力も得てしっかり対話的であったかどうか検証してほしいと思います。

司法であれ医療であれ拘束や隔離など人権制限をともなう介入は法律で幻覚に縛られ、本人は何重にも守られながら、また社会の監視をうけながら慎重に行うことが必要です。民間で動くのであれば、より丁寧に背景を探り訪問を繰り返して本人と対話をしていくことが必要だったのでしょう。

たとえば同じ九州でそういう活動をされている方に、トキワ精神保健福祉事務所の押川さんがいますね。漫画化もされた「子どもを殺してくれという親たち」という著書でその実践について述べられています。

もし本人に十分な同意が得られないまま強制力をもった介入をするのであれば、それこそ公的機関も巻き込んだチームをつくって本人も納得できるタイミングで医療や司法の枠組みで動くこともできます。

このケースに関して医療、教育、行政がどのように関わってきたのか、関わってこなかったのか続報、検証をまちたいと思います。これらのことを多方面から丁寧に検証し、裁判の場で明らかにし、法にのっとって処罰されるという社会的責任を果たす必要があります。

https://www.tokiwahoken.com/


エヌ氏は根本のところで、裏切られた経験からか、優越感からか行政や医療、司法を信じることができなくなっていたのでしょうか?

そして、どこかでコンプライアンスや倫理面をめぐる葛藤がなくなったのかエスカレートし、自分の技術に酔い、フィードバックもかからなくなってしまっていたのかもしれません。

いま現在その少年や母親はどこでどのような生活をしており、どういう状況なのでしょう?その方々のQOLがあがり納得しておりエヌ氏に感謝しているのか、トラウマチックな体験になりフラッシュバックなどで苦しんでいるのか?

今回の事件もエヌ氏らを断罪して口を閉ざしておしまいにしてはいけません。

行政、医療、教育、福祉のそれぞれが出来たことできなかったこと、そしてその理由を検証して、それぞれが今後に向けて出来る具体的な行動をしていく必要があるでしょう。

暴力とは対話がないこと、優しい暴力にあふれるこの世界で


さて、ここでは「対話がないこと=暴力」と定義した上で、もう少し大きな視点でこの事件の背景を検証してみます。

まず知識と余裕がないと対話は失われ、暴力が横行します。

世間では強者の行使する優しい見えない暴力に関してはスルーされる一方、とくに追い詰められた弱者が止むに止まれず実力行使した暴力に関して世間ははかなり厳しいです。
元首相の射殺事件などもそうでした。いじめ事件などにも実は加害者が被害者であったなどということもしばしばあります。

育ちの過程で対話を封じられ暴力をうけつづけ、人権侵害され続けてきた人は、それを取り込みやがて暴力で抗議するようになります。これは「弱いものは強いものにしたがえ」という典型的な誤?学習です。

それが強度行動障害と言われるものの一部なのだと思います。

社会の中で暴力がに対してさらに暴力で抑え込むことを繰り返しているとあっという間にエスカレートし戦争にまで発展するでしょう。

本人の権利回復をおこない、対話を継続する必要がありますが、たまたま世界の代表となった目の前の支援者にこれまでされてきた恨みや悲しみを全てぶつけてきます。特にASDがあるとその傾向は顕著です。
ここに難しさがあります。

エスカレートした暴力行動には、だれも関われないようになり、本人は社会から離れた場所で隔離され拘束されることになります。

こういう状況で在宅にいらっしゃる方の多くは家族でなんとか踏ん張ってギリギリの状態です。膠着した状態でいつ自殺や殺人が起きるかわからないような状態となり追い詰められています。意図せずの虐待も多いでしょう。

        

自覚者は責任者。傍観者にならないで


強度行動障害や行為障害の方の本人、家族、支援者、世間をめぐる構造は、いじめでよく見られる構造と同じだと思います。

         被害者←加害者
     被害者←加害者
(被害者⇔加害者)
 共依存的関係
          
     エヌ氏←マスコミ、世間
(本人 ⇔ 家族)
 煮詰まった関係


いじめの加害者は、たいていは被害者でもあり、支援が必要です。
そしてそれが入れ子構造になっています。この入れ子構造を断ち切るために、それを目撃した人は傍観者にならないことが大事なのだとおもいます。
「いじめの四層構造論」(いじめ研究者の森田洋司)が参考になりますね。

『自覚者は責任者』(糸賀一雄)という言葉がおもいだされますが、見て見ぬ振りをする傍観者が多いから、これらの問題はつづくのです。

 さて、今回の事件について、逮捕前日からの報道は、エヌ氏の活動をすべて否定し、極悪非道の人物にえがいた暴力的で悪質な切り取り方でフェアとはとても思えない報道に感じられました。
 特に毎日新聞は、全く関係のない有料のセミナーの動画の一部を無断で切り取り虐待として提示し、複数の事件をいっしょくたにして並べ、文脈をつくりエヌ氏をおかしな極悪非道な人物であると印象づける記事をだしていたように私にも見えました。エヌ氏のセミナーに動画を提供した当事者の親の度重なる抗議により写真が差し替えられ、ついでネットから記事自体も取り下げられましたが、記事が出て当初の一週間はエヌ氏が極悪非道の人物というイメージを世間につけるには十分であり、未だに謝罪も訂正記事もありません。本人たちの認否は明らかでない状態で、拘束し対話の機会を奪ったまま、警察やマスコミの一方的な発表で世間にエヌ氏は叩いていいやつというスティグマをつけられ、人物破壊されました。

警察発表や、それらの報道をもとに、自閉症支援の世界でもエヌ氏は極悪人であり、多くの善良な支援者や家族を失望させ、世間に療育や行動療法への誤解をふりまいたといわれていますが、まだまだ真相はみえていないところがあります。

そしめエヌ氏をよく知らない人たちに、くるめさるくの利用者、当事者、家族、支援者なども、叩かれ孤立しました。これも、いじめの「孤立化」「無力化」「透明化」ではないでしょうか。


日本自閉症協会も声明をだし、「本件は、強度行動障害を持つ人に対する残虐極まりない虐待であると同時に、子どもの強度行動障害に悩む親御さんの弱みに付け込んだ卑劣極まりない犯罪です。」と糾弾しています。



自分は安全な場所にいて自分は行動せずに、他人を非難したり叱責するのは簡単ですし気持ちもいいものです。一方的にエヌ氏を叩く専門家はもしかすると自分が何もできなかった無力感、罪悪感を叩くことで解消しているか、メインストリームからはみ出して目立ちすぎたエヌ氏にたいして「ざまあみろ」という心理(シャーデンフロイデ)もあるのかもしれません。

「相手の体験を聞くことなく、自分は常に正しくて相手は間違っている。相手を叩けば解決すると思っているという誤学習」は世にあふれています。
これまたエヌ氏もひょっとしたら陥っていた誤学習なのかもしれませんが。

地域福祉にカリスマはいらない。


エヌ氏の技法の独自のコアな部分は、弛緩やプロンプトなど身体をつかったコミュニケーションだとおもいます。音声言語であれ、視覚的構造化であれ、身体接触であれ、大事なのはその使い方であって暴力も拘束もできてしまいます。

どんなコミュニケーション方法を使おうとも母性、父性の順番が大事です。短期的にも、長期的にも体験を十分に聞いてから、本人が納得できる形で伝える。相手を否定しない、無理やり変えようとしない事が大事です。

エヌ氏は強度行動障害の最前線に、多くの人が傍観者にとどまるなかで、止むに止まれず火中に飛び込みスキルを身につけ、それをつかって人助けをしてきました。助けることができた親子や支援者から感謝され自信をつけていったのだとおもいます。1000名は助けているとのことです。

その一方で自分の技術に自信をつけるとともに、なかなか動いてくれなかった警察や教育、医療、行政組織、そして学会などへのルサンチマン※をつのらせていったのではないでしょうか。

※ニーチェの用語で、弱者の強者に対する憎悪をみたそうとする復讐心が、内攻的に鬱積した心理をいう。

そして、そんなエヌ氏に助けられた人たちは、社会は何ひとつ助けてくれなかったにも関わらずこういった事件でエヌ氏が一方的に叩かれるのを見ることになる。そうすると迫害されつづけてきた者たちの凝集性はたかまり、かえってエヌ氏をカリスマと崇め、神格化して、さらに孤立していく恐れもあります。

こうやって様々な支援技法や理論などが相互に分断され、伝承されるべき技術が伝承されず、アカデミアからは異端とされ、検証されるべき実践が検証なされず対話のないまま闇に葬り去られていくのは、現場で困っている人たちにとって決してよいことではありません。

門眞一郎先生のおっしゃるように「問題行動は問題提起行動」です。この事件を契機に各所で、いろいろな対話がおこっているのは救いかもしれません。

暴力を暴力以外でどう防ぐかという問題


いってみれば乳幼児は皆、強度行動障害であるともいえます。しかし、そのまま身体も行動も大きくなってしまうと大変です。

教育の本来的な暴力性について述べられていた方がいましたが、適切な時期に予防的視点をもち本人の興味とペースとスペース、本人の好きなものを尊重し、本人の納得を得られるようにしながら世の理(ことわり)をコツコツと伝えることが必要となります。

それがないまま特別支援学校や放課後等ディサービスに通っていても預かりでのみで放置されると未学習のまま身体も行動も大きくなります。
一方で本人の合意を得ない、強引な教育、しつけをするとそれが誤学習につながったり、トラウマとして残ります。

特に自閉症の方は、言われたことではなくどう遇されたかということが伝わりその行動パターンを取り込み、言語による修正が難しいです。
そのまま身体も行動も大きくなってしまった段階で、世界の安全性や、振る舞い方を伝えるためには、より鋭い技術、あるいは強力な枠組みが必要になってくるのでしょう。

そうして法を犯して刑務所にいったり、精神科病院に入院を考慮されることになります。他人の権利を侵害する人は自由が制限されるということを行動ではじめて学ぶことになりますが、自分の権利は奪われ続けてきたのに何故という理不尽さはのこります。

警察官は武道をやりますし、精神科病院のスタッフにはCVPPP(シーブイトリプルピー)といった対暴力プログラムもあります。

ただ、残念ながら家庭内での暴力や行動問題は民事不介入で家族の問題とされ、警察や病院、行政機関がタイムリーに動くことはなかなかなされません。入院や入所して再学習できるような関わりができる病院や入所施設もまだまだ限られています。矯正施設には知的・発達障害の理解がまだまだ乏しいところもあります。

一定期間入所し、そこでは落ちついても、地域と連携して、地域に移行し、そこで支援を汎化するということも難しい。

またパニックで自傷や他害がでたとき、特に統制された環境ではない外出先などでは双方が怪我をしないように抑え込む必要もある場合もあります。
これまで虐待だと親も現場の支援者も言われるとやってられないでしょう。

社会、学会とも対話を継続し合意を得る努力が必要


だから、エヌ氏さんは家庭内で膠着し誰も動けない手出しができなくなったケースに関して、現場に訪問してまず自分が枠組みになって、そのやり方を家族や支援者に伝えつつ、短期集中で一気に悪循環をとめ、好循環にしようと考えたのだと思います。

しかし身体侵襲をともなう手技や嫌悪刺激などは、医療における外科手術のようなものです。切れ味も鋭いですが、リスクも大きい。対話的になりにくく暴力的になりやすい。

使わないに越したことはありませんが、どうしても必要時にはその適応や施術者のスキルなどは厳しく問われなければなりません。侵襲性があり効果もあるものなら外科手術のように医療手技としてやれるといいのかもしれませんが。そういう歴史もありません。

医療、特に入院医療領域においては、やっと強度行動障害医療研究会ができたばかりで、TEACCHプログラムや、応用行動分析などに興味をもつ医師やメディカルスタッフもまだまだ少数派です。

行動療法に関しても際どい手技に関しては学会など倫理委員会をもっていて、そこに申請して使うというような感じにして、その結果も厳しく検証される必要があるでしょう。対話が重ねられルールとシステムが整備され、だれもが安全に安心して使え、検証可能な形にする必要が必要なのだと思います。

これから裁判がはじまりますが、警察やマスコミの印象論ですすまず、エヌ氏さんらが残してきた動画を切り取るのではなく全て丁寧に検証される必要があると思います。

まずは被害にあったという少年、そして親、関わった人たち、エヌ氏さん、松原さんの話を直接聞きたいところです。真相の解明と寛大な処遇をもとめる署名もおこなっていますので、ぜひご協力ください。


今回の事件をうけて一般社団法人日本行動分析学会の主催する緊急ウェビナーでは武藤理事長にエヌ氏の実践自体を全て否定するわけではないが、彼は学会員であったこともなく、そもそもこれは応用行動分析(ABA)ではないと指摘されていました。

特に山本先生のレクチャーなどはとてもわかりやすく、予防的関わりに関しては非常に参考になると思います。も



Kingstoneさんの見解も参考になりますのでぜひご一読ください。


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