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「ポストコロナはインターネットのある自由で民主的な江戸時代」

 新型コロナは無症状な人が強い感染性をもち、一部の人が急速に重篤化し死に至るという絶妙な塩梅で、ソーシャルやメンタルへの実に影響が大きい。そして格差や貧困など社会の弱い部分を直撃して感染を広げる。

 このパンデミックは世界的な災害であり、ほぼ同一の与条件で各国に降り掛かっている。各国の指導者、そして国民はそれぞれのやり方で対応しているというところが興味深い。なんというか民度のベンチマークみたいになっている感じだ。

 そして残念ながら我が国の権力を預かる者たちの、無責任で、論理や対話ができず、空気と同調圧力を利用する先の大戦と同様の無残な姿も明らかになった。

 新型コロナは物事の本質を明らかにするウィルスである。

「ふれあうな」「ひきこもれ」「うごくな」というこれまでとは真逆のことが人々には求められている。国際商業大運動会のような、派手に粉飾され「やってる感」だけで実のないものは無残に打ち砕かれ、一見無駄なようだけど実は大切なものが浮き上がってきた。

 福島の原発事故を嘘でかためた東京オリンピックや万博でなかったコトにして、高度経済成長よもう一度という幻想は打ち砕かれた。世界のどこへ行っても逃げ場はなく、深く考えることなく反応的に生きていた人たちも、自らの生き方を見つめ直さざるを得ない。

 混乱の時代には固定費を抑えて生き延び、変化に対応できたものが生き残る。目の付け所や時間感覚が違うASD、危機的状況になるとハッスルするADHDの人たちの出番である。

 この時代にインターネットがあることは恩恵で、これまでとは違うつながりでの対話が促されている。自らの頭で考える自立した個人が増え、本当の自由と民主主義がはじめて根付くことを期待したい。

 このパラダイムシフトは戻ることはなく、スローなもの、農的なものが見直されるだろう。インターネットのある「風の谷」、あるいは江戸時代のようなコンビビアルな社会を目指すときだと思う。


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