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ひとりでしない、ひとりにしない

Ⅰ.はじめに


強度行動障害に対する魔法の杖はないが、本人の生活の質を向上させながら行動の問題を減らし、周囲の人も楽になる考え方や方法論はほぼ確立されている。しかし複雑困難事例ではそこにたどり着けず本人と周囲の少数の人が姑息的な対応でしのぎながら疲弊している現状がある。家族の自己犠牲的な支援、スーパーマン的人材に頼った属人的な支援、支援者の自己満足的な支援から、知識と余裕のある人が助っ人に入り、本人と支援者の思いを傾聴しつつ伴走して対話の場をつくり本人を中心とした多職種多領域のチームをつくっての標準的で持続可能な支援へ転換していく必要がある。

とはいえ福祉や教育の現場では慢性的にヒト・モノ・カネともに不十分な災害状態がつづいている。当事者との対話、さらに多領域の人での立場を超えた対話、さらには市民との対話を継続することが必要だ。弱者を救うのは文化である。少数派でありながら脆弱で、現在および過去の環境、特に周囲の人の関わり方の影響を受けやすい彼らは社会モデルの申し子といえる。この領域でも当事者ではないが無関心でもない「共事者」(小松理虔 2020)を増やす必要がある。自分の人生を生き、自分とは違う他者も尊重できる人が増え、対話が文化となればこの社会は誰にとっても生きやすい場所になるだろう。多機関での連携や学び、情報共有や仲間づくり、啓発にもこれまでの手法に加えSNSやビデオ会議システムなどのICTツールも使える時代になった。本稿ではそれらも活用した啓発活動とチーム作りについて概観し、その中での医師の役割、そして長野県松本圏域での実践について述べる。


Ⅱ.早期からの予防的介入 と啓発について


1.早期発見早期ブレーキそして対話

予防は治療に勝る。大切なことは早期発見、早期ブレーキ(本田, 2023)、さらに早期からの特性にあわせた環境調整、そのためのコミュニケーション支援と対話の継続である。発達早期から親や周囲の人が本人のあり様を否定から入り、普通に近づけようとし、集団への適応に重きをおいた治療やトレーニングをしなければという焦る気持ちにブレーキをかける必要がある。まず親も子もまず学んでほしいことは、世界は怖い場所ではなく、自分はこの世界に受け入れられているということ、人は信頼に足るものであるということ、そして世界には楽しいことも待っているということだからである。自分のことが大好きで、好きなことを楽しめ、余暇活動と役割、居場所と出番があり、他者の権利や自由も尊重できる対話的な人へと育ってほしい。

そのためには本人の思いが尊重され、不安なく、苦痛なく、混乱なく過ごせ、安心感とつながりが感じられる環境と関係性がベースとなる。そこから自ら選んだことに挑戦することができ、それに対して適切に応答され、思うようにいかないことがあっても自分で気持ちを治めることのできる環境が保証される必要がある。本人の感覚特性や発達段階、学習スタイル、動機、不安の強さや質を無視した集団への適応や活動への参加や訓練を強要されない。先回りされ察して代行されない。意味と見通しと選択肢がわかるように視覚的に示される。そして自分の体調や気持ちをもとに選んだ行動に対して、適切な応答があり、その結果を自分の責任として引き受けられる。そんな環境が、主体性と自他境界の感覚を育み、意志決定力と援助希求力、対話力の獲得、さらには強度行動障害を予防することにつながる。


2.市販の視覚的支援ツールを用いて本人との対話の継続を

ASDの人たちのほとんどは、絵カードやメモ、手紙、文字チャット、メール、ハンドサインなどの視覚的なやりとりを得意とし、音声言語でのやりとりは苦手とする。個別支援計画などに記載されることの多い「声かけ」は、意味や見通し、選択肢をパッとは理解しにくく、また声色や表情などに感情などのノイズも乗りやすく、上下関係となりやすい。プロンプトとして考えると使いやすく始めやすいが抜きにくく、受動指示待ちをつくってしまいやすいため注意が必要である。

声かけをするのであれば、おだやかにイメージできる言葉で伝え、待つべきであるがなかなか難しく、緊急時以外では声かけは安心感を伝えたり、適応的な行動への肯定的な注目を伝えたりするものくらいに考えておくのが無難であろう。また同様に「マンツーマン」も気をつけないと属人的になりやすい。手がかりを人からスケジュールやカレンダーなどのツールに移し、一人でも過ごせる環境や活動を保証し、他者に八つ当たりせずに自分で気持ちを治めたり、場所と相手を選んでケアを求めたり相談したりできるスキルの獲得を目指したい。

構造化や視覚的支援はASDの人によく伝わるが、周囲の人が言うことを聞かせるために使い、表出支援や選択活動、対話に基づく合意形成が伴っていなければ主体性や対話力は育たない。絵カードや筆談も用いて機能的なコミュニケーションを教え、本人の表出をまち、こちらの事情や選択肢を伝え、スケジュールやカレンダを挟んで対話をし、合意をもとに約束をし、それをお互いに守るというやりとりを重ねることが大切なのである。

障害者差別解消法ができ合理的配慮(対話による調整)が義務化され、当事者から求めがあった場合にできるのにしないのは障害者差別であるとして違法となった。PECS®の絵カードやブック、おめめどう®のコミュメモ®、VOCA、タブレット端末などの市販の拡大代替コミュニケーション(AAC)ツールの使用を、合理的配慮として学校や福祉事業所、医療機関などに求め使い続けていくのがよい。視覚的な対話による暮らし支援が地域にも汎化していくという啓発の効果もあり、災害時の備えにもなる。


3. 思春期からは「引き算の子育て」ができるように

知的障害・発達障害があると、認知、社会性、行動コントロールなどの発達が年齢相応とはなりづらい。特にASDがあると社会的な動機づけが弱く相互性のある対人交流が難しく、調整のない通常の環境では、同一性保持や未学習、誤学習も起きやすいため子育てはハードモードになる。親も不安やこだわりがつよかったりトラウマを抱えていたり、不器用だったりするとなおさら大変であるが、親の育て方が悪いと責められることもある。親子に対し情報的、心理的、実際的なケアやサポート、特に暮らし支援が足りていない状況だと、母親が一生懸命学んで実践しようとするほど疲弊し、子どもの良いところを見て可愛がることができなくなる。さらに仕事や趣味、セルフケアに時間が割けず、人間関係は狭まり孤立する。そうなると親はある意味子どもに依存せざるを得なくなり、無自覚に子どもの自立を阻害したり、自分への注目やケアを集めるため子どもを利用したりすることになりかねない。

心と体が大きく変化する思春期は、子どもは保護者に反発し自分の自由と責任で生きたい年代である。知的障害やASDがあってもそれは同じなのだが障害ゆえに実年齢と性の尊重がなされず、親離れの選択肢も与えられず、熱心な親から見張られ、干渉されるストレスもまた強度行動障害の要因になりうる。強度行動障害が持続するケースにおいてこういった「母子分離の重要性」(奥平 2022)は忘れられがちである。思春期心性に配慮し、先回りして手出しをせず、子ども自身の選択を信じて見守る「引き算の子育て[ゲユ1] 」を意識し、親以外の応援団を増やし、社会の様々な人と直接対峙できる体制をつくっていく必要がある。


4.親のメンタルヘルスケアとリソースとしての親の会

障害を個人的な問題として捉えるのではなく、社会的・環境的な文脈における問題として理解するICF(国際生活機能分類)[ゲユ2] が(世界保健機構,2001)が採択された。我が国でも障害者権利条約が批准され、それに基づき障害者差別解消法が施行され、障害の社会モデルがいわれるようになっても、世間では障害を個人モデルでとらえて、本人の問題とし、親がなんとかすべきという価値観はまだまだ根強い。

親がそういった価値観を取り込んでしまうと障害をもつ子どもを産み申し訳ないという差別の心が生じる。そうなると親族や世間から本人を隠そうとしたり、治療やトレーニングを強要したりする方向になりがちである。そんな親の不安につけこみ根拠の乏しい高額な治療や訓練プログラムをあおる業者もいる。結果として本人にあった刺激の調整、コミュニケーション支援、暮らし支援などの環境調整がいつまでもなされないことになる。

発達支援においてペアレンティングの指導は強調されるようになってきたが、親のメンタルヘルスケアの視点は抜け落ちがちである。支援者は親の迷いや葛藤にも伴走し親育てをする必要がある。親が少数派の子育ての仲間を得られ、安心感やつながりを感じられ、少数派の子育ての意味と見通しと選択肢が得られる親の会やペアレントメンターの役割は大きい。しかしこういった活動には地域差もあり、参加や継続のハードルは高いようだ。手をつなぐ育成会や自閉症協会などの親の会が運動を続けてきた成果もあり、幼少期から利用できる制度やサービスも増えた。そして今の時代、インターネットやコーディネーターなどからも情報を得やすくなった。そのため幼少期は特に預かり先も増え、皮肉なことに親の会に新たに参加する若い世代の親は減っている。


5. 視覚的支援ツールを用いた対話の方法のシェアするグループを各地に

とはいえ少数派の親同士がゆるやかに繋がり学びあえる場は大切である。古参の親の会以外でも、行政や病院、発達支援機関が主催するグループ、地域ごとで親たちがあつまる自助グループ、父親の会、オンラインなどで全国の仲間や支援者とも繋がり学べるグループなども増えておりニーズや段階に応じて参加しやすいものも増えている。

たとえば長野県安曇野市では、保護者が中心となってPECS®やおめめどう®、タブレット端末のアプリなど、さまざまな視覚的支援ツールを持ち寄って本人とのコミュニケーション方法をシェアするグループが定期的に開催されている。対面での会に加え、ビデオ会議システムでの会も開催され、SNSでの情報交換もなされている。

ピアサポートのグループではあるが、オープンに開かれており、目的、ルールや見通しが明確で構造化され、心理的に安全に参加できる工夫がなされ、参加の間口を広くしている。医療、福祉や教育関係者、地方議員等の参加者があり、特に若い福祉領域の支援者も参加してくれるのは希望がもてる光景である。各地のこういった場は地域内の貴重なリソースとなりインフォーマルな連携のハブとなるが、渦中の親が会を立ち上げ維持するのは大変であるため、行政や医療機関の支援者はそれぞれの立場からサポートをしてもり立てていただきたい。


6.新聞やテレビ、子育てアプリを通じた一般への啓発活動

強度行動障害については、専門職や市民の間でもなかなかイメージを共有しにくいようである。長野県の地元紙では発達障害特集の連続記事につづいて、記者が様々な現場に張り付き取材を重ねた強度行動障害の記事が不定期に掲載されている。以前はよくみかけた「強度行動障害でこんなに大変だ」というトーンの記事から、その背景や具体的な考え方、回復の経過や、おだやかな暮らしの様子も紹介し、啓発とともに現場の支援者を勇気づけ後押ししてくれている。NHKのハートネットTVでの強度行動障害の特集番組(2024)も同様でマスメディアの役割は大きい。

最近は重度訪問介護や行動援護や移動支援などのサービスも一般的になり支援者とともに外出している方によく出会う。彼らは支援者とともに自分の好きな場所に出かけて暮らすことで地域を紡ぐという大切な仕事をしているともいえる。そんなパーソナルアシスタンスとともに地域で自立生活をしている複数の知的障害の方を追いかけたドキュメンタリー映画「道草」(宍戸大裕監督、2019)の上映会と対話会をさまざまな団体が主催して全国各地で開催されてきた。

また信州大学では、のびのびトイロというユニバーサル子育てアプリを作成、地元の新聞や子育て情報フリーペーパーに連載記事を掲載、講演会なども各地でおこなうなど、一般市民にむけて多様な子育ての啓発を図っている。こういった啓発活動で理解の裾野を広げることも長い目でみると強度行動障害の予防につながると思う。


Ⅱ.ミクロ、メゾ、マクロレベルでの連携体制づくり


発達早期から予防を頑張ってきても、残念ながら強度行動障害状態となることはある。この場合も基本的な手立ては予防と同様であるが、安心感や人への信頼感を学び直さなければならないなどトラウマからの再学習や誤学習の修正を考慮した関わりも必要となってくる。

こういった事例ではチームで氷山モデルなどでの検討、行動の機能分析をおこない、本人の感覚特性や生育史、好きなものや嫌いなもの、トラウマトリガーや回復のためのリソース、芽生え反応にある課題などの情報を共有し、本人が安心できる環境、適切な行動が自発する環境を整え、それを強化していく方法(プロンプト・フェイディング)を統一して実践していく必要がある。その際、本人の願いを尊重することなく、親の思いやサービス提供者の事情が先に立ち周りの意図で本人の願いと異なる対応をしつづけることで本人と支援者の間で信頼関係が壊れてしまう「こころの二次障害」(福岡2018)となっていないか、常に点検が必要である。

地域でそれぞれの支援チームが成り立ち成長していくためには、ミクロレベルの個別のケースでのチーム対応、メゾレベルでの地域での連携、マクロレベルでの行政や研究・教育機関との関わり、市民への啓発なども含め現場を支える施策のそれぞれを有機的に連携させていかなければならない。


1.ミクロレベルでのチーム作りと情報共有の工夫

ミクロレベルでは情報共有をおこない支援スキルを統一するために、医療機関、教育機関、福祉の事業所を超えて統一した簡便で使いやすい記録の共有方法や、参加しやすいケア会議の開催がもとめられる。本人とともに移動するアナログのノートとともに、チャットやメーリングリストなどを使った情報共有、さらに行動記録とその背景を表計算ソフトなどで経時的に表にしたものをオンラインで共有するのが簡便で有効である。これらを用いて普段から情報共有を行ったうえで、定期的にモニタリングの会議をおこない、さらに緊急時にはタイムリーにケア会議をおこなうとよい。その音頭取りは相談支援専門員が望ましい。コロナ禍に普及したビデオ会議システムをつかうことで、参集コストが低下し、医師も必要時には診療の間の時間に診察室からでも参加できるようになったのはありがたい。


2.メゾレベルでの体制づくりと自立支援協議会

メゾレベルでは地域の中で本人と最前線の支援者を孤立させないために、気づかず型、がまん型の潜在的なニーズを基幹相談支援センター等が中心となり丁寧に聴いて拾い上げていく必要がある。そして困難なケースは後方支援し、自立支援協議会などでの対話を継続することでネットワークをつくり、相互理解を深め、それぞれの専門性や領域から半歩ずつ踏み出し知恵を絞って隙間をうめ、行政とも協同して地域の資源を開拓、再資源化していくことが求められる。


3. マクロレベルの施策との連動

マクロレベルでは厚生労働省内での支援の現場を知る発達障害専門官らの活躍もあり、先進的な地域や事業所での実践を汎化すべく研修体制が整備され、診療や障害福祉サービスの報酬に様々な加算がつくなど改定がなされてきた。地方議会などで取り上げられ、市町村によっては柔軟な支給決定がなされ、住宅整備改修や施設整備、ショートスティの受け入れなどにも多少は補助金がつくようになった。研修の受講者もふえてきており、制度に合わせた体制を作れば報酬は得られるようになってきている。しかし一方で現場では人手不足と複雑化した制度に翻弄され正しさの証明のための事務処理のコストで現場は忙殺されており、そこまでのハードルは高い。特に小規模の自治体や法人、事業所の現場では、ニーズに対してリソースが圧倒的に不足し混乱している慢性的な災害状態がつづいている。そもそも慢性的な人手不足状態であり、研修に出かけ標準的支援を学び実践する余裕もなかったりする。そんな中、外部からの人材が加わって伴走し、集中的な直接支援とチーム作り支援をおこない、成功体験を共有できるような支援が望まれる。


4.権利擁護と権利行使の支援を

一方、グループホームや放課後等デイサービス、就労支援事業所、精神科訪問看護ビジネスなどのフランチャイズが急増し、利用者の人権侵害や不正請求、突然の閉鎖などが問題となっている。思いのある第一線の人と資金提供者、事業所運営のノウハウを提供する本部があわさり良い支援が素早く供給できる場合ももちろんあるだろうが、経済的合理性(営利)が優先されると、本人の思いは無視され、手のかかる利用者は巧妙に避けられ、大人しく従う利用者を囲うのが合理的となり、容易に人権侵害がおこる。そしてそれによって生じる行動問題は本人のせいにされて排除されたりする。

行政の監査や実地指導では実際の支援の質の担保までは難しく、計画相談専門員や医療職がそれぞれ独立して本人の権利擁護、行使の支援をおこなうこと、さらに地域ごとの自立支援協議会、議会、勉強会や交流会などの対話の場を機能させて地域での協力体制をつくり地域の支援力と人権感覚を向上させることが必要だろう。


Ⅲ.支援チームにおける医療および医師の役割


強度行動障害状態を脱して地域で自分の暮らしを続けるミッションのチームリーダーはあくまで本人であるが、本人の願いを聞き、全体をみて作戦を立て権利擁護、権利行使を支援する参謀役、実行部隊、そしてロジスティックス、さらには社会からの応援も必要だ。

そんなチームの中で医師の役割は、直接的には日常の健康管理と、合併症や二次障害に対しての、また中核症状に対しては補助的な薬物療法、さらに必要時の入院治療、併存症の適切な各診療科への紹介と見届け、公費をもちいた様々な制度を活用するための診断書の作成などとなる。強度行動障害の背景に様々な体調不良、成長や老化現象、生理や痛みなどが影響することも多いため、これらを見逃さず適切な治療をおこなうのは医療の大切な役割である。間接的には医師は、計画相談支援専門員や生活支援員や家族、教員などを勇気づけ、助言し、メンタルケアをするなどの後方支援が役割となる。医師は多くのケースに関わり、各種の情報にアクセスしやすい立場でもあるため、黒衣となってサポートに徹することでヒエラルキーを排した対話的なチームをつくることができる。


1.医療における人材育成

しかし、発達診療に従事していても医療モデルが中心で、音声言語でのコミュニケーションが難しい本人との対話や、多領域と連携した発達支援、暮らし支援の部分は苦手とする医師が多いようだ。各種団体のさまざまな対象者向けた研修コースも増えているが、信州大学医学部子どものこころの発達医学教室では、長野県内の発達診療に関わることのある小児科医と精神科医向けに「長野県発達障がい診療人材養成プログラム」という再教育プログラムを提供している。こういったプログラムによって福祉や教育領域と協働してチームに伴走できる医師が増えることが期待される。

精神科医療の他の領域で強度行動障害とも似た構造をもつ、慢性期の統合失調症や、触法、ひきこもり、認知症の施策や支援技法などからも学び連携をすすめていきたいところであるが、どれも本人を中心にした人権尊重と対話がベースになっているように思う。CVPPP(包括的暴力防止プログラム)という、病状により不穏な状態にある患者さんの気持ちに寄り添い、尊厳と安全を守りながら必要な医療を提供するためのプログラムがある。このプログラムを推進する日本こころの安全とケア学会でも知的障害とASD、強度行動障害についての関心が高まっており、ケア技術の開発にこの領域の知見を取り込むための研究も始まっている。


 2.当事者、医療者の双方にトラウマをつくらないために

医療との関係性は大切である。心身が不調のときほど医療者を信頼しリラックスして診察や検査、そして治療を受けられることは一生の財産になる。しかし知的障害やASDがあり、受診の意味を理解できず診療でただ辛い思いをした経験があると医療への回避がおこる。一方で医療者の側も意思疎通がうまくとれない手がかかる患者は忌避され知的・発達・精神障害者の一般医療は医療過疎地となりがちである。パニックになったため救急病院の救急外来でちゃんと見てもらえなかった、検査が必要と言われたのに必要な検査ができなかったというような体験で傷つきを重ねている親子もいる。

この領域の研究や実践は障害者歯科分野が先んじており、障害者のいわゆるロンリーマウス症候群を防ぐため、発達特性やトラウマに配慮し、視覚的な構造化がされ、普段から口腔ケアなどの予防をしっかりし少しずつならし、侵襲の強い処置が必要になった際には笑気や麻酔など十分な鎮静をかけておこなうなどの配慮がなされている。

 健康診断や風邪、ワクチン接種などの受診機会、病院祭や、病院受診体験会(洪)などを活用してお互いを知り馴染んでおくことが大切だ。医療従事者も彼らのことや望ましい関わり方を知り、診療を担当する際には丁寧に視覚的に意味と見通しと選択肢をきちんと伝え、怖い思い、つらい思いをさせたなら診療後にきちんとケアすることも大切である。  

日常の医療や健康管理は、プライマリ・ケア領域の医師の役割である。こういったテーマに関して、院外内の勉強会、各種の学会などの機会をつくって伝えていく必要がある。その際には知的障害・発達障害があっても実年齢と性を尊重し、可能な限り直接本人と本人がわかるやり方でやりとりをすることの大切さをお伝えし、さらに視覚的な手順書やリハーサル、環境調整などの配慮の具体例をお示ししている。まず診察室にはコミュニケーションのためのメモ帳と、ホワイトボードとタイマー、グッズ、ごほうびアイテムを診察室におことを提案させていただいている。これらは子どもや認知症の方、外国人の方にも有用なユニバーサルな支援となる。


3.トランジションは丁寧に、特に医療は途切れないように

トランジションが課題になる移行期は、教育の場であった特別支援学校から生活の場である障害福祉サービスに支援の中心が移り、家庭内の存在から社会的な存在になる時期である。利用できる制度も大きく変わるが、この時期に地域に児童から成人までを連続してかかわれる大きい法人や医療機関がないと、場合によっては支援者が総入れ替えになり、親子が混乱する場合もある。行動障害が多い年代でもあり丁寧に移行のための引き継ぎをおこなう必要があるが、小児科医、精神科医にとっても狭間の時期でもあり医療の伴走も手薄になる。児童精神科医とは別に、移行期を中心に、家族に伴走し本人の欲望形成とゆるやかな意思決定を支援できる生涯の発達支援を得意な領域とする精神科医が必要なのではないかと感じている。


Ⅳ.警察や司法領域との連携と課題


[ゲユ5] 神保健指定医が措置鑑定に出向いた際に、発達障害の行動障害の事例に出会うことがある。しかし、特に勾留後に不起訴となり、あらためて措置鑑定になったような事例で、音声での質問ではほぼエコラリアでの返答で、無表情で抑揚なく調書の文章をそのままテープレコーダのように暗唱されることがあった。丁寧にかかわり選択肢をつけて筆談するなどでやっと少し本人の体験や気持ちに近づけたということも経験した。

また主治医として関わり、学校や福祉、家族とともに警察署の生活安全課にも事前に本人の言動に対して本人が責任を取れる形での対応をお願いするなどのことを相談していたようなケースで、家族の中の別の力のある人が、本人を追い詰めて行動化を誘発して、警察対応となり主治医も知らない間に、遠方の病院に措置入院となっていたこともあった。家族内も一枚岩ではないことも多く、警察や司法、指定医も知識がないと本人の人権を守るのは難しいと感じる。

発達障害者支援法の平成28年度の改正では関係機関間の協力部局の例示に警察も追加された。連携することの多い生活安全課だけではなく、刑事課など他の部署や司法、精神保健指定医に対しても発達障害者支援センターなどとともに発達障害やトラウマの知識と具体的な視覚的なコミュニケーションの手立てについての周知をすすめていきたい。


Ⅴ.長野県松本圏域での取り組みについて


最後に筆者らのいる長野県松本圏域での現状と取り組みについて述べる。長野県は広く山というパーティションで区切られ、10ある圏域ごとに医療や福祉の供給体制、支援の手厚さなどは異なっておりそれぞれの連携は乏しかった。

松本圏域は比較的人口は多く、知的障害や自閉症の入所施設や通所施設を中規模の社会福祉法人、精神科病院は複数あるものの、児童から成人までみる事業所をもつ大きな法人や、知的障害や発達障害を得意とする医療機関はない状況であった。そして各法人の施設は今の入居者を守るのが精一杯で地域から乖離して入居者はそのまま高齢化していた。

そんな中、特別支援学校の高等部卒業前後の年代に強度行動障害状態となり、家族と地域の支援者で支えられなくなり県内外の精神科病院を転々とし、時には他県の入所施設や病院にお願いするようなケースが続き、松本問題、福祉の穴などといわれていた。  

困難な事例についてはババ抜きのようになっていたのが、対話を繰り返す中で、「結局、魔法の杖はなく、自分たちでやるしかない」というコンセンサスや覚悟ができてきた。緊急入所などで他の圏域や県外の施設や支援者の力もかりて支援をおこなうなかで、そこから自立支援協議会での「強度行動障害松本プロジェクト」が立ち上がり、毎年のアンケートやヒアリング等で実態把握をおこない、複数の地域の最困難事例の報告や検討を定期的に継続してきた。

また地域生活支援拠点の整備にあたり、入所施設を解体し地域定着支援を用い事前登録者には個人ごとにクライシスプランを改定しながら必要時には365日24時間の緊急駆けつけ支援や緊急ショートスティ、連絡調整をおこなう体制をつくった中野市の高水福祉会の「総合安心センターはるかぜ」や、長野市の社会福祉法人森と木の「森と木365」に見学にいったり、そこでの取り組みをお話してもらったりした。

 こういった取り組みの結果、依然として長期入院のまま地域に戻れない方はいるものの、地域として成功体験も積み、居宅系のサービスの増え、連携体制が強化され、ショートスティの受け入れも少しずつできるようになり、緊急的に入院になっても地域の重度訪問介護の支援者が地域の病院に出向き、病院スタッフとともに支援をし、早期に退院するなどのことも出来るようになってきている。特別支援学校での関わりもこなれ、新たなケースでは思春期に危うい状態になりかけても地域で暮らせなくなるほどの状態が持続するということはなくなっている。


Ⅵ.おわりに


本人を中心としたチームとして連携するためには、メンバーが対等な関係でそれぞれの体験や意見を率直に言い合える心理的に安全な対話の場をつくることが大切である。他職種、他領域の支援者が医師に対して体験や意見が言えないような関係であったりすると連携ははじまらない。医師はやはり医学モデルで、医療技術をもちいて自分が治療をしなければならないという強迫めいたものがあり、入院医療でもどうにもならないものが地域で支援できるわけないと考えて長期入院になったり、逆に何もできないと関わりに拒否的だったり、良かれと思いお薬がどんどん増えたりしてしまったりしがちである。「医者を孤独にすると薬が増える」というが、医師も医療の限界をみとめ、地域の支援者も医療や医師への過度の期待をもたず、それぞれチームのプレイヤーとして動きチームでの対話がなされたときに支援は動き出す。それぞれが自分の領域から一歩出て、お互いの思いや実践を知ることも必要だ。確かに大変でうまくいかないことも多いけれども、本人の笑顔や成長から元気をもらえることもあり、一人の支援から領域を超えた連携がすすみ、地域社会の中でたくさん対話が生まれ、社会が確実に変わっていくことにも関われるというチャレンジングで、クリエィティブな意義のある仕事である。ひとりにしない、ひとりでしないことが大切で、まずは多くの方に関心を寄せていいただきたいと思う。



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