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君は躍るタイプの作家志望か?

こんにちは、はぐれです。

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今日、こういうツイートをした。

反応が皆無な自ツイートを引用するの、なかなか見ないな。それは置いといて、実際のとこどう? みんな、踊ってるもんじゃないの? 割と気になってるし俺は躍ってる。

なぜこう考えたのかと言えば、まず、俺が自室で気ままに踊っているという事実と、創作を行う人間は、普段から心情をアウトプットしているのではないかという仮説を結び付けたからだ。

俺が部屋からリビングに向かう廊下でステップを踏んだり、無音の空間でチンアナゴのように身を揺らす行為というのは、無意識的な意味があるのではないか。それは、小説やnoteを書くという行為と近しいのではないか。そういう仮説だ。

結果、大山鳴動せず。湖に石を投げるように、俺の発言はインターネットの底へと消えていった。残るは静寂のみ。

もしかして、みんな踊らないのだろうか。じゃあ、俺が意味もなく踊っている時間、諸君は何をしているの? 

執筆? 運動? その他さまざまな趣味? だとしたら、偉い。偉すぎてびっくりする。俺はダンスを上手くなろうという目的もなく、ただ脂のついた肉を揺らすばかりなのに。キミたちは前に向かって歩いているのか。それ、ズルじゃん……

だとしたら、俺の小躍りとはなんだ? 神の与えし罰なのか? 1日1時間、小躍りの刑に処されてるのか。(下手したらもっと踊ってる)

1時間とは、軽いように聞こえるだろうか。一年で365時間、80年生きるとするとおよそ30000時間が小躍りに費やされている訳だが、これは果たして軽いのだろうか。

人間、1000時間あれば一つの技能をマスターできるという話がある。むろん、習得難度はそれぞれだろうし、一概に言える事じゃない。だがあえて単純計算するなら、30000時間あれば30の技能を習熟できるわけだ。

俺の30000時間による小躍りは、果たして、何かをマスターできるのだろうか? それは、今後の俺にとって有益なことか? 俺は、どこに向かっているのか。

わからん。もしかしたら、俺は小躍りによって歴史を覆す才を発達させている可能性もある。まるで未知。

俺の躍り一つに、凄まじく不毛ではないかという懸念と、壮大なサーガの予感、この両方が見え隠れしている。コインの裏と表のように。

俺は今も、タイピングしながらススキの如く左右に揺れているが、これは完全に無意識的だ。もはや、俺に俺の小躍りは制御できない。

行く所まで、行くしかない。

だから離れろ、俺の踊りが、”小躍り”である内に――――

(終)

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