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デカ盛りハンターハンター

 こんにちは、はぐれです。

 朝方にバキバキだった肩をストレッチしまくった結果、かなり軽くなった。肩甲骨はがしとか僧帽筋リリースとか、そういう名前の奴。やっぱり縮こまってキーボード打ってばっかじゃ駄目だな……。

 とりあえず今日は、手が空く度に「本を読みたいな」という思いが自然と湧いていたのでよかった。ただ経験則で言えば、こういう良い兆候をおだてすぎると良くない。『本を読みたいと思えるのは素晴らしい!明日はもっと読むだろう!』とあてどない未来への期待を付加してしまって、それに応えられず嫌になって辞めるパターンが多い。親バカの親みたいな反省点だな。子役も俺だが。

 だからこういう、ちょっと興味が湧いてきたかも……の感じを肯定も否定もせず、ただ黙って見ていることにした。習慣となるなら、いずれ勝手になるだろうし、ならなくてもそれは良し……だ。卑屈になりすぎず傲慢になりすぎないのは、とても難しい。

 なんだか書くことはあんまり無いな……。昨日、まともな時間に寝たのが幸いしたのか、今はとても眠い。昼夜逆転が簡単に治る体でよかった。これってまだ若いから? 10年後はもう挽回不能だったりする? だとしたら嫌すぎるな、老いが。

 そういえば今日、『デカ盛りハンター』という大食いの番組をちょっと見たんだけど、そこで出てきた次郎インスパイア系ラーメンの店主が「年間ラーメンを500杯食って、この味に辿り着きました」みたいなことを言っていた。

 驚きだ。やっぱりこういう「一徹」なスタイルの人は色んなところに居て、狂熱的に一つの物事に打ち込めるその姿勢は俺には真似しがたい。いや、やろうと思っても出来ない。年間500というと、一日三食スタイルの場合、食事体験の半分をラーメンで賄っている計算になる。そんな生活が可能なのか。(精神的にも栄養バランス的にも)

 しかもその人、「そんくらいのラーメンを食って、自分はこういう味が好きだな、って事に気付いたんです」みたいなことを言うので、「ええっ!? 年500食べてその境地?!」って思ってしまった。

 いやラーメン業界というのが深甚なのか、その人が石橋をめちゃくちゃ叩いていたのかは知らないんだけど、一年の食事の半分を捧げてその成果だったら、俺は嫌になるだろうなと思った。そんだけ局所に全振りして、良い目が出なかったとき、それでも良いなあと思える感性は俺には無いかも。

 その点で言えば、むしろ確率を割り出せるギャンブルの方がマシだ。最も勝算のある目になら、外れてもいいから賭けるのが正解と分かる。もしかすると、俺は”正解”を求めているんだろうか。ゲームが好きなのはそういう事かもしれない。残念ながら、世の中そんなに完全正解は多くなさそうだけど。

 あ、もう1200文字? デカ盛りハンターと自分についてで結構書いてしまった。兎にも角にも、俺はそういう、努力を一挙集中できる人間を尊敬している。そういう無鉄砲さという強さもあるだろうから。

 今した屁が臭すぎるので日記を辞めます。ああっ、くさっ。

 (終)

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