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内なるオスブタに思いを馳せて……

 こんにちは、はぐれです。

 小説のアイデアを出していたので、昨日は日記を書かなかった。そして昨日の分は今後も書かない。この世から消滅させたので……

 徹夜で短編小説を書ききったので、暑苦しい創作論を語りたい欲がムラムラしている。よ~~し! 今から分かったような口でベラベラ話すから、みんなは自分の感性を信頼してくれ!!!!他人に流されるな!!!!!!!

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 なんらかの作品を作るというのは、自分との殴り合いの側面が大きいと思っている。自分という目の肥えたブランド豚のプライドをいかに鎮圧し、実力に合ったものを作れるかが肝だ。
 つまり、『俺は大したことのないモノを作っている』という事実に直面しながらも、その大したことのないモノを完成させるというストレスに身を晒すのだ。これはとんだ内向きのマゾヒズムである。何らかの適性がないと出来ない所業だと思う。

 これに関して、常日頃から『オレは絶対に天才!!!!』と確信しながら創作できる人はそれで良いんだけど、大概そうはいかないだろう。そして大概、のっけから増長するような奴は天才ではない。(これは俺の理想論だが)

 例えば『これ革新的アイデアでは?!』と素人が突発的に生み出したような作品は、ほとんどの場合は革新的ではないだろう。大体、何かしら理由があって淘汰されてきたブツを、浅慮にして再生産するだけと思われる。よくある話だ。他にも、その『革新的アイデア』だけを考案し、作品としてそれをどう語るのかがまったく曖昧、結果として形を持たぬということも、ままある。

 主婦が便利グッズを作ってヒットを飛ばすことがあるが、作品はそういう物理的ツールと比べても複雑だ。広範な知識と、それにより発達する感性、そして経験が要る。どれも一朝一夕で身に付くものではない。

 結局、凡人が巧いものを作るには、手の届くことを続けるしかないと思う。当たり前すぎてまったく面白くない結論な上、やっている最中も大抵面白くない。苦行の末、やり切った作品を自分で見返すと、やはりこれも面白くない。そういう訳だから、この成長曲線には真新しいエンターテイメント性が一つも無く、やっている最中で『あああっ、こんなおもろない作品、書きたないですわ~~』とプライドの高いオスブタが騒ぎ始める。

 我々はまず、この心のオスブタを如何にしてボコボコにせしめるかを試されているのだ。まずは、自分の心のオスブタ一匹、満足させるまで頑張ってみよう。その先はもはや知らないが……(アタイも素人なので)

 だから頑張ろうぜ~~~~~!!!(おっき~~い声)

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 いやー、スッキリ。どうみても自分の為だけの論理を語るのは気持ちがいいね!!!!!!!! たぶん将来、やばい説教ジジイになるんだと思う。いや、大概は皆そうなるので震えてください。内なる説教ジジイを飼いならすのは、君だ!!!!!!!

(終)

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