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出羽三山に関するお話

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出羽三山に関する話をまとめました。常設展・企画展の研究内容や様々な談話を掲載します。不定期掲載。
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#奥の細道

羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話③~狩籠-合清水~

 現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。 狩籠(新山神社) 現在月山5合目にあたるとされる場所には昭和中期まで狩籠(かりごめ)小屋が掛けられ、小屋は、大きな杉の下にありました。この杉はその異様な形からご神木とも、これより上に杉がないことから「限界杉」とも

羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話②~大満-強清水~

 現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。 大満(小月山神社) 海道坂からしばらく月山公園線を進むとの大満(だいまん)に到着します。桔梗や女郎花が咲き誇る草原で、地蔵尊と小月山神社があります。出羽三山の開祖である蜂子皇子が荒行を行ったとされる三鈷沢の秘所は

羽黒山から月山への道にはいくつもの掛け小屋が建っていたという話①~野口-海道坂~

 現在、いでは文化記念館の2階では出羽三山の古写真の展示を行っています。羽黒山の登山口から月山へ続く道にはいくつもの掛け小屋(月山登山者への食事や休憩・宿泊のための臨時の小屋)が建っていました。そのような風景をおさめた、昭和初期の出羽三山の写真が展示されています。 羽黒山から月山への道  地元では「木立三里」「草原三里」「石原三里」と呼ばれた月山への道。羽黒山の登山口から月山へ続く道には、各所に呼び名があります。場所によっては末社もあり、昔の絵図には末社の名称が描かれてい