見出し画像

【色街探訪】品川町宿場

大きな宿場町のあったところには遊郭があったと言いますが、品川も然りです。遊郭と一言に言いましても、公娼を置いている所と公娼ではないところ、と2つに分類されまして、言ってしまえば江戸以降、公娼=吉原で吉原以外は公娼ではないと考えても間違いではないと思います。

品川の遊郭としての起源は、

慶長6年に宿場の旅籠屋渡世が飯盛女を置き始めたことがここの花街の濫觴(らんしょう=起源)で・・・(全国遊郭案内)

との記述がある通り、飯盛女が起源です。ちなみに千住遊郭は湯女が起源と言われています。

さて、現代の遊郭散策のオーソリティとも言える遊郭部さんも検証されているのですが、現在品川の娼家は殆ど残されておりません。なのでこの記事でも取り上げておられ、私も敬愛している小沢昭一さんの「珍奇絶倫 小沢大写真館」などによってしか、当時の雰囲気を感じるぐらいしかできないのですが、現在の品川に関しては残り香のある写真だけでもご紹介できればと思います。

現在で言うところの北品川駅周辺が昔の香りを残す所となっているのですが、まず、娼家以外にも銅板建築も残っているのが特徴的です。

とてもきれいに緑錆が出ていて都内で見られる銅板建築の中でも指折りの豪華さだと思います。こちらは関東大震災の際に、それまで主流であった木造建築が次々延焼した為に、耐火目的で銅版が貼られたと言われています。

そして色っぽさを残す建物がこちら。

壁がピンク色に塗られ、2階に手すりのついた窓が並んでいます。そして右端に小さく貼られているタイル。

こちらもピンクでかわいらしいです。この立て札に「東海寺」のことが書かれていますが、直接は関係はありませんが遊郭案内にも面白い記述があります。

「品川で口がすべると愚僧なり」と云ふ古川柳があるやうに、?幕時代の上顧客は芝山内近傍の坊さん達だった。(全国遊郭案内)

とのことで、品川遊郭はお坊さんたちの憩いの場でもあったようです。それは少し古い時代の話ですが、小沢昭一さんも北品川の商店街の隙間にある細い道を下ったところにある娼家にお世話になったと上記の本で書いておられ、近代に入っても娼家は存続していたようです。