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一緒に生きていきたい気持ちを表すこと

今月初め、ひさしぶりに会った友人と、「(日本)本土」をどう呼んでいるかという話をした。私は『なぜ基地と貧困は沖縄に集中するのか』を読んでから県外と呼んでいると話した。「(沖縄)本島」は沖縄島と呼ぶことも。

ジェンダー、特権、そういうものへの感度が上がる中で、「旦那さん」「奥さん」を使いたくなくなって「パートナー」という呼び方をしたり、お名前を知っている場合はなるべくお名前で呼ぶことにしている。それは私自身がそうしたくてしていることなのだけれど、今日参加したオンライン講演会で、「パートナーとか連れ合いとか、性別を特定しない呼び方で、すごくホッとするし、『(性の多様性が)想定されているんだ』と思える」と聞いて、結果的に自分の言動で良かったと思うと同時に、無意識でいる間にどれくらいの人たちの居心地を悪くしていたのだろうとハッとした。

カレーライスが好きかあまり好きじゃないか。好きな人の方が多い(マジョリティ)だろうけれど、好きじゃないことが悪いことでもダメなことでもない。そしてそこでは好きでも嫌いでもない人が見えない存在になりがち。この例え話をいつでも忘れないようにしようと思った。

自分がどうありたいかは、親や友人など親しい人であっても決められるものではないし、ましてや社会によって規定されるものではない。「あなたはカレーライスを好きじゃない人ね」なんておかしい。同様に性的指向、性自認、性表現においてもだ。

今日の講演を聞きたいと思ったのは、私が昨年10月に参加したプログラムで間違えたからだ。私には説明しなくていい自由があるとちゃんと認識できていなくて。だからちゃんと知りたいと思った。私はシスジェンダーでヘテロセクシャル。やっと言える。

みんなの「もちあじ」は大事にされていますか?あなたの「もちあじ」はどんなふうに大事にしたいですか?大事にされたいですか?

吉川ヒロ_speakout 【講演】性の多様性/LGBTQ+ってなに?はじめの一歩!より

みんなの「もちあじ」が大事にされていないな、私の「もちあじ」が大事にされていないなと感じたときに、アクティブバイスタンダーになりたいし、差別しない自分を表現したいし、間違えてしまったら受け入れて伝えてそこで立ち止まらないようにしたい。

小学校5年生のとき、クラスの誰も話しかけてくれない日が続いて苦しかったある日、「一緒に帰ろう」と声をかけてくれた友人が、先日沖縄に遊びに来てそのときのことを話した。感謝の気持ちで。あのときの友人が私がなりたい姿。


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