石垣島の住民投票を語れない焦り
2016年8月に石垣島の川平湾に連れて行ってもらったときの写真。私は父が宮古島育ちなので、宮古島には行ったことがあるしちょっとわかる。大学4年間は沖縄本島に住んでいたからもう少しわかる。でも石垣島は、訪れたのはこのときが2回目。6月21日にSocialBookCafeハチドリ舎主催の「沖縄『慰霊の日』直前企画 沖縄の自衛隊基地配備のいま」というオンラインイベントを視聴して、「これはすぐにでも発信して1人でも理解して関心を持つ人を増やしたい!」と思ったものの、書けなかった。何をどう説明すればよいのかわからなかった。そのことに私は焦っている…。
違和感。なんで?
石垣島で今何が起きているかめっちゃ簡単に言うと、石垣市平得大俣への陸上自衛隊配備計画の賛否を問う住民投票の実施を市民が求めて必要な署名を集めたけれど、石垣市議会が否決して、この否決は間違っている!と市民が訴えて裁判になり、今は判決を待っている状況なのだ。
有権者の1/3以上の署名が集まり、石垣市の自治基本条例では「住民投票を求める多くの署名(有権者の1/4以上)が集まった時に市長には住民投票を実施する義務が生じる」(第28条4項)と明記されているので、住民投票が行われないのは確かに違法。
米軍基地と自衛隊の違いはあるものの、県民の4人に1人が亡くなる地上戦を体験した沖縄だ。同じ「軍事基地」を新たに作りたくないというのは、平和の発信地となろうという共通する思いによるものだろう。それなのに、沖縄県のデニー知事は、辺野古の新基地建設見直しにはあれだけ懸命に取り組むのに、石垣市で起きているこの動きには、何の擁護もしていないというのだ。私はこれに大きな違和感を抱いている。
石垣市住民投票を求める会
ホームページがある。スローガンだろう、こう書かれている。「島で生きる、みんなで考える。大切なこと、だから住民投票」。2019年2月に行われた辺野古新基地建設を問う住民投票も「話そう、基地のこと 決めよう、沖縄の未来」として、自分たちで考えることを呼び掛けていた。
私がもし石垣市の市長だったらとてもうれしい。自分たちの暮らす地域を行政頼みでただ要求し答えられなければクレーマーとなるのではなく、自分たちで考えて作っていこうとする住民は宝だからだ。しかも、ホームページによるとその中心になっているのは20代。若い世代の政治離れが課題である日本という国で、だ。
自衛隊基地が必要というなら住民投票をしたらいい
自衛隊基地を作る必要があると主張するなら、それを説明し市民から理解を得られれば、住民投票をしたって基地はつくれるだろう。ならば住民投票をすればいい。
住民投票や選挙って、1票を投じるために有権者一人ひとりが考えて調べて、周囲の人たちと話して時には議論して、そういう過程のためにあるんだと思う。たとえ、住民投票の結果が自分の投じた票とは違う結果になったとしても、島のことをみんなで考えた、という経験は残る。それが地域をつくる力になる。
基地を作りたい人たちにとったら、基地もできる、地域住民の能力(住民力とでも言おうか)も上がる、一石二鳥だろう。それなのに住民投票を避けようとするのは、やましいことがあるんでないの?といらぬ疑義を与えることにしかなっていないと思うのだ。
私にできること
イベント後「これは放置しちゃダメだ!」と直感的に思ったものの、全然この問題について語れない、誰かに呼び掛けるにも説明できないことに焦ったけれど、こうしてnoteにまとめようと、何回か検索をしていくつかのサイトを見ることで、私なりの理解が進み、ちょっとくらいなら説明できるようになって、少し、落ち着いた。笑
どうして放置しちゃダメだと思ったかというと、条例があるのに住民投票を実施しないという判決を裁判所に出させてしまったら、それが全国各地で同様な請求があって必要な条件を満たしても行政の都合によって、今回の判決に倣って住民投票の権利が奪われかねないからだ。遠い南の島だけの問題ではないのだ。今生きている私たちだけの問題でもないのだ。
ホームーページを通して「石垣市住民投票を求める会」に寄付をすることができる。SNSで発信することができる。できることがあるのはうれしい。
「島で生きる、みんなで考える。大切なこと、だから住民投票」
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