鯖がぐうと鳴いた 長編ver #3/6
第二章 鯖もおだてりゃ木に登る
一
平成六年、夏。
デビューから八年が過ぎていた。
「新橋の日比谷口を出るとSL広場がありますから、そこへ三日分の着替えを持って、朝七時に集合してください。くれぐれも遅刻は厳禁ですからね。勝ち抜けば十六日から二十日まで、泊まりでの拘束になります。そのつもりで準備してください」
マネージャーからの連絡は、それだけだった。
具体的な企画内容は一切知らされず、テレビの深夜番組であることだけが告げられた。私がそれ以上の内容を質しても、
「いけばわかりますから」としか、マネージャは答えてくれない。
何か含みのある仕事なのだろうか。一瞬、偽番組のドッキリかとも疑ってみたが、売れてもいない私を騙したところで、番組の企画自体が成立しないだろう。そうであれば面白いのだが……、さすがにそれはないと頭を振った。それよりも、久々のテレビ出演に心がほっと鳴る。
目覚まし時計を朝五時にセットした。それがけたたましく鳴り響いて、暑い時期でよかったと、着替えの肌着とTシャツを数枚、洗濯物から直接取り込んで、スポーツバッグを片手に現地へ集合した。
山手線を新橋駅で降りて日比谷口へ出る。SL広場ではカメラクルーが撮影の準備を始めていた。噴水を囲むようにして、見知った芸人達もぽつりぽつりと集まっている。今日の撮影現場はここで間違いないようだ。既に相方の姿もあって、朝から不機嫌そうに、煙草をふかしている。そして私の顔を見つけると、
「なんか詳しいこと聞いてる、マキ」と、苛立ちを隠さない。
「いや、勝ち抜いたらそのまま拘束されるとは聞きましたけど」
相方が煙草の火を足で揉み消した。
「ほんっと、適当な事務所だよ。番組の内容を知らなかったら、なんの準備もできないだろう。今日だって、現場に誰も来てないし。芸人が良い仕事をするには、準備と心構えが必要だろう」
なんだか朝から不機嫌だ。
「まあ、どうなんでしょう」
と、私は軽く受け流した。演芸番組でもなければ、テレビはネタなんか要求しない。準備と心構えより、必要なのは日頃からのタレント性なのだ。
相方は不満そうに私を見つめ、
「ったく、お前は気楽でいいよ」
と、尖った口調を投げつける。そして、二人の間に流れた気まずい間を埋めるように、また一本、憮然と煙草に火をつける。
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