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これが私の文章です。

物心ついた時から「私は将来、書くことを仕事にするんだ」と思っていた。
なぜそう思ったのか覚えていないけど、単純に文章が好きだったからだと思う。

思春期は小説と漫画をたくさん読んで、小説を書いていた。一番心を揺さぶられるのは恋愛ものだった。主人公の心が切り裂かれるようなシーンを見ると、私も涙が止まらなくなって、指先がじんじん痺れて、心臓がぎゅうと縮んだ。

でも17になって、恋を知ってからはパタリと恋愛小説を読まなくなった。正確に言うと、読めなくなった。「恋は甘いものなんかじゃない」と知ったからである。自己投影しすぎてしまって、読んでられない。心がズタボロになるので、私は小説と距離を置いた。
ライターだけど、「あなたは読書家ですか?」と聞かれたら、迷わず「いいえ」と答える。

しかし、それでも文章は書き続けていた。波打つ感情を文章にすると、自分の心の輪郭がぼんやり見えてきて、持て余している感情の根っこを捉えられるからだ。
自分の感情がわからないと苦しい。感情におぼれそうになった時は急いで文章を書いて、「そうか、私は今こう思っているんだ」と理解した。手に負えない感情は、言葉にしてゆっくり咀嚼すれば、だんだん溶けていった。
人の言葉に救われることもあった。私にとって、言葉は心を生かす酸素だった。

大学生になって、恋愛漬けの日々を送った。
「大学生になったら小説を書こう」と決めていたのに、来る日も来る日も恋愛ばかりで小説なんてまったく書かなかった。
デート前にマスカラを塗りながら「私、全然書いてないな」と思った。
それでも書かなかった。ワンピースに着替えてハイヒールを履き、吉祥寺の繁華街で手を繋いで笑っていた。

就活中も、はなから出版社は諦めていた。就活向けの勉強は一切しておらず、狭き門をくぐり抜ける自信は毛頭なかった。
ベンチャー企業の営業職に内定した卒業半年前、「私、本当にこれで良いんだっけ」と思ってコピーライター講座へ通った。
言葉の美しさと強さを再認識して、心は大いに揺れた。でもそこから何かするほどの思考力と行動力はなく、そのまま就職しただけだ。

自分に嘘をついて選んだ道は、少しも楽しくなかった。結局、社会人になってからは1年ごとに転職。ライター講座に通い、転職3回目でようやくライターになった。
それでもうまくいかなくて「一度全部手放して、この身ひとつで勝負しよう」と思い、26でライターとして独立した。

すると、突然うまくいくようになった。会社員時代は泣いてばかりだったのに、まったく泣かなくなった。年収は会社員時代の3倍になり、私史上最高の男性に出会い、結婚して、マンションも買った。
はたから見たら順風満帆、絵に描いたような幸福が私に降り注いでいただろう。

でも、私には自信がないままだ。「現状維持ではこれより上にいけない」という限界が見えたので、私はブックライター塾に通った。
そこでは多くの編集者と知り合う機会があった。ライターとしては願ってもない大チャンスである。

しかし、いろいろな編集者の前に座った時、私には言えることが何もなかった。あれもこれも書いてはいるけど、「これが私の文章です」と胸を張れるものがない。
周りのライターが饒舌に自分の活動を伝えている傍らで、私はただにこにこしていた。「ああ、なんて無力なんだろう」と思った。いくら書いたって、いくら稼いだって、何も言えないなんて死ぬほど惨めだ。

卒業からの1年間で、おそらく私より書く力がないだろう人もブックライターとしてデビューしていった。たとえ私の方が書けたとしても、選ばれる力がなければ総合的には私が劣っているのだ。何者にもなれない自分をくやしく思った。

幸い私は何百人と取材しているので、一流の人がどれだけ努力したか知っている。血の滲むような努力をして、人の何倍も動き回って、心をすり減らしてすり減らして、ようやく華やかな舞台に立っているのだ。
何者かになりたいなら、何者かになる努力をしないといけないのに、私はそれができていない。

だったら、ちゃんと努力しようと思った。でもどの方向に向かって走ればいいのかわからない。わからないから、気になっていたことに片っ端から手を付けた。
栄養学を学び、心理学を学び、マーケティングを学び、イラストレーターやフォトショップを学び、サイト制作を学び、動画制作を学んだ。
どれかを執筆と掛け合わせて、自分の強い価値を見つけたかった。
これらの学習に50万以上費やしたので、ときには人に笑われた。それでも私は50万で自分の価値や幸福が見つかるなら安いと思うし、そのために稼ぐことも厭わない。
理想の自分に近づけるなら、無一文になってもいい。

そうやって興味の対象に多く触れ、「これじゃない」を積み重ねた。
度重なる不一致の先にようやく行きついたのが、動画だった。
正確に言うと、動画クリエイターだ。

私は書くことでしか生きたくない。好きなことでしか生きられないタイプなのだ。
私の好きなものってなんだっけ、と思った時、真っ先に思い浮かんだのが動画で「そっか、ここか」と思った。

今の自分にさほど価値は見いだせないが、動画クリエイターの価値なら痛いほどわかる。自分の強みである文章で、動画クリエイターを照らしたいと思った。自分が触媒になって好きなものの価値を世の中に伝えられたら、これほど幸福なことはない。きっとそれが、今の私が生み出せる最大の価値だ。

生ぬるく停滞する人生に変化と張り合いがほしくて、
新しいことに挑戦して苦しんだり喜んだりしたくて、
「これが私の文章です」と差し出せる塊がほしくて、
これ以上ないってくらい力を振り絞って自分の限界を見てみたくて、
自分の文章で世の中に新しい価値を提供したくて、
動画クリエイターに取材するメディア『スター研究所』の立ち上げを決意した。

しかし、立ち上がってもいない個人メディアの取材依頼なんてあまりにも無謀で、取材依頼に返事が来ることはほとんどなかった。
無力感に打ちひしがれて扇風機の前でボロボロ泣き、「くやしい」と呻いていたら、夫はまったく表情を変えずに私を見つめて
「そんなに泣くほどくやしく思える仕事があるなんて、俺はうらやましいよ」
と言った。
立ち上げまでは苦しいことが山のようにあったが、そのたび彼の冷静な一言に救われた。

動画クリエイターの事務所にひとりで赴いて取材依頼をした時、
「正直、駆け出しの動画クリエイターが自分で希望しない限りは取材を受けられない」
と言われた。「そういうものか」と思って落胆しながら頷いたら
「このメディア、何人でやるんですか」
と聞かれた。ひとりですと答えると、相手は目を丸くしてから
「諦めちゃだめですよ」
と言った。
いっそ諦めたら楽だよなあと思いつつ、その言葉に背中を押されながら帰った。

カメラマンのひらはらさんは、私が「茨の道です」と言いながら孤軍奮闘する姿を見て
「それだけ熱意を持って作っているんだから、いいメディアになります。大丈夫です」
と言ってくれた。

当たり前だが、写真は記事の質を大きく左右する存在であり、どれだけテキスト主体の記事であろうとも、写真の質が悪ければいい記事にはならない。
動画クリエイターの努力をありのまま記事化したかったので、写真はたくさん使いたかった。

しかし、自腹のため大した金額を支払えず、心苦しく思って
「大変だと思うので、レタッチは軽くで大丈夫です」
とひらはらさんにメールしたところ、
「萩原さんはずいぶん私財を投じて妥協なくメディアを作り上げようとなさっているのに、以前よりより良いものを納品するならともかく、下げることは考えられないです。スター研究所は私にとっても大切なメディアですので、さらにさらに良いものにしていけるよう、萩原さんの記事のクオリティの足を引っ張らないように、これからも頑張らせてください」
と返信が来た。
パソコンの画面を見つめたまま、はたまたボロボロ泣いた。
私は孤軍奮闘しているつもりだったが、とんでもない驕りだった。

仕事もセーブしているので実質的には月20万円前後のマイナスだが、毎月20万円失っているというより、毎月20万円払って好機と幸福を買っている。
私にとっては著しくプラスだ。

まだ立ち上げたばかりでこれからが重要だし、継続こそ命だと思う。
ここに私が心から「いい」と思える文章や写真、人や物語を全部詰めこんだ。
今取材記事を公開しているロシアン佐藤さんとMAX鈴木さんは、まだサイトデザインすら決まっていない無名メディアの取材依頼に応じてくれた。
ふたりがいなかったら、私は今回の挑戦を諦めていただろう。
自分の全力以上を出そうと思って、寝食惜しんで記事を作った。

これが私の文章です。
ぜひご覧ください。

『スター研究所』
http://kenkyujyo.com/

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