ザーメン騒動について

筒井康隆を読まない自分が、氏の発言のどこにどうモニョったのかを考えるため、ツイッターで賛否両論眺めていて思ったこと。
からまった中身をまとめるべく勢いのまま記しているため、あくまで個人的な感想にとどまるものであり、社会的・政治的問題には一切関与しません。

(倫理的に)口に出していいことと悪いことというのはどうしたって存在していて、だめな内容と認識しながらもそれを敢えて口に出すのは、けっこうイキってトガった子どもじみているのではないかとまず思う。
言っちゃってる俺、人と違う俺カッコいい、みたいなのがゆるされるのはせいぜい大学生まで。大人、ましてや発言力のある大物が"風刺"を盾にアウトな冗談を口にしたら、男だろうと女だろうとそりゃあいい気持ちはしない。
たとえ批判覚悟で問題提起をしたのだとしても、そこできちんと言葉を選ぶのが大人であり、やたらめったら攻撃的で向こう見ずな表現を使ったのならばそれは"悪ふざけ"に過ぎない。しかも、鮮烈なワードで話題を呼ぼうとしたのならば、それは悪質な釣りに過ぎない。大御所がやることにしてはみみっちいというか。  

今回は小説家なので、小説家の話をする。
作家は自分の作品に自分の思想を入れるし、小説家の場合はそれを登場人物に代弁させる。代弁させることでその言葉はちょっと浮いたものになって、本人が言うよりもずっとマイルドに仕上がる。
でも、小説家が自分の思想を小説に落とし込むのではなく、ツイッターで直接つぶやいたとしたら。しかもそれが、誰かの被害感情にまったく配慮しない風刺であり、本人の素性を彷彿とさせる下品で男性権威的な表現のジョークだったとしたら。
言葉や表現は発信者の人柄と無関係ではいられないし、そこで"発言そのもの"と"発信者"を結びつけないなんてことは不可能になる。
小説の中で言わせることとツイッター上で言うことを、同じ次元で捉えてはいけない。誰にも代弁させていない言葉はワンクッションなく鋭い。  

氏の発言において私が一番モニョっているのはおそらく、「自分の作品(世界)内でゆるされていること」と「自分の仕事フィールド(世間)においてゆるされていること」がイコールであると捉え、思い上がっているように見える点。 もちろん発言内容そのものにも反吐は出るけれど。
そしてファンの一部(大多数)が、「氏の芸風なんだから」「こんなのまだぬるい方」「通常運転」「批判する方がバカげてる」といった理由のもと擁護している点。芸風ゆえなら人の気持ちに配慮せずともいいとはどういうこと?「そういう性格だから」人のことを殴ってもいい?「そういう性癖だから」通行人をレイプしてもいい?「そういう趣味だから」人を殺してもいい?  

芸術は人を"傷つける"ためのものではなく、"動かす"ためのものだと捉えていた。ただこれは、誰もを快適にさせる作品をつくれというわけではなく、誰かを不快にさせる作品をつくるなというわけでもない。
作品ではないところで恣意的に、攻撃的に、煽るような物言いで、「芸術家の個人的なつぶやきもまた芸術」といった風情で繊細な問題をジョークにしないでほしいと思っただけ。「ちょっびりワルなユーモアもまた芸術」といった姿勢が透けて見え、時代遅れもはなはだしい。  

決して冷笑していい話題ではないし、被害者不在の問題でもない。国家間がどうであれ、みずからの立場を鑑みて責任を持ち、みずからの発言がどういった事態を引き起こすかまで考えて物を言ってほしい。
ツイートを消したところを見ると、そこまでしっかりとは考えきれていなかったように勘ぐってしまう。消さなかったのならばまだわかるのだけれど。芯のない人であるということか。

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