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女たちの萩人形 〜その小さな体に願いを込めて〜

皆さんは『小萩(こはぎ)人形』って、ご存知ですか?
高さわずか5~10cmのちいさな、ちいさな日本人形。
見つめていると、綺麗な衣裳、精巧な細工、そのしおらしい仕草に魅了されてしまいます。

小萩人形は昭和初期に萩の女性たちによって製作され、戦後は萩を代表する名産品にまで成長。その人気ぶりは吉永小百合さんの歌にうたわれるほどでした。

~小萩人形の歴史~
昭和7年(1932)萩市の市制施行をきっかけに、婦人対象の授産事業として人形製作がとり上げられ、松村ノブ(1892-1971)を指導者に8年から萩市の有志帰人たちを中心に小萩人形の製作が開始された。昭和10年(1935)に開催された「萩史蹟産業大博覧会」に小萩人形が初めて出品され、のちには皇室へも献上された。小萩人形は題材を歌舞伎や舞踊にとり、顔を布で製作するのが特徴で、人形作家辻村ジュサブローに大きな影響を与えた。
(出典:萩博物館 萩の人物データベース「松村ノブ」)

やがて時代は移り変わり・・住宅事情や価値観も変化。さらに職人の後継者不足によって、小萩人形は次第に店頭から姿を消し、20世紀の煌めきと共に忘れられつつありました。

そして2001年ーー。ある女性が戦前に生まれた小萩人形を学び研究し、残った数少ない職人を訪ね歩いて「萩人形」として復活させました。それは、萩人形の会 主宰の岡野芳子さんです。

今回は岡野さんへのインタビューを通して、古くから愛されてきたものを次世代に繋ぐために、必要なものは何かを探ってみました。萩市ローカルエディターの三枝英恵がお伝えします。

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☆今回のインタビュー
岡野芳子(おかの・よしこ)さん

萩人形の会 主宰
創花の会 主宰
一般財団法人 日本手工芸指導協会 師範 理事
萩ツバキ協会会長
特定非営利活動法人萩元気食の会 理事長

『萩人形の会』以外にも、実に多彩な活動をされている岡野さん。たくさんの生徒を抱えながら自身も現役の創花作家、萩人形作家として活躍中です。

作品「巫女(みっこ)の舞」と岡野芳子さん

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三枝「ご出身はどちらですか?」

岡野さん
「ここ。野山獄※のところ。萩生まれの萩女です」

※吉田松陰や高杉晋作も投じられた獄屋敷跡。松陰がそこで仲間の囚人たちに孟子の講義をするなど、前例のない教育活動を行ったことでも知られる。

史跡「野山獄跡」。日常生活の隣に
歴史と関わりのある場所がそこかしこにあるのも萩。

三枝「小萩人形との出会いは、いつ頃だったのでしょうか」

岡野さん
「小萩人形はもともと萩にあったお人形で、私が小さい時には、街の中心にある商店街やいろんな所で売られていました。
作る人もたくさん居たので、昔から小萩人形は萩のお人形、っていう認識があったんですよ」

楽しさとやりがいを大事にしながら、技術が途絶えないよう人を育てる

三枝「萩の女性たちの手によって作られていたと聞きますが、どんな風に作っていたのでしょうか」

岡野さん
「2つ流れがあって、1つは分業式。ボディ、着物、着付け、小道具、ケースに入れる人などに分業して大量生産していました。
もう1つの流れは芸術作品になるのかな。最初から最後まで全部1人で仕上げるから〝誰の作品〟っていうものになりますよね。
だからきちんとその人の思いが入った人形と、分業で販売用に作った人形の2つの流れがあったんです」

三枝「岡野さんは、作る方がほとんど残っていない状況から習得されて、お教室で教えていらっしゃるんですよね」

岡野さん
「私は分業の職人さんに習ったんですが、うちへ来る生徒さんとしては、ぜんぶ自分で作りたい。だから、萩人形は芸術と分業を足して2で割った作り方で教えています」

三枝「萩人形と小萩人形の違いは何なのでしょうか?」

岡野さん
「萩人形は、萩の自然・文化・歴史をテーマにした身長12cmの日本人形という定義づけで作っています。小萩人形はもっと小さくて、若い方だと敬遠してできないんですよ」

三枝「萩人形はどのぐらいで一人前に作れるようになるのでしょうか」

岡野さん
「ボディだけでも3年くらい。ぜんぶ手を貸しながら作り上げていっても、上手にできるようになる人がなかなかいない。難しいんです。
けれど、この技術は失くしてはいけないと思っていたら、萩まちじゅう博物館※が人形教室を2つ作ってくださいました。最初はワークショップから始めて、もう10年くらいになります。
古くから始めた人達が上手になって、令和元年に『令和の会』を立ち上げ、自主活動として楽しくやっていますよ。
それと、仕事をしながら自宅や公民館で夜にお稽古しているグループがあって、20年も続けているのでこちらも上手です。
あともう1つは初心者のグループ。今はまだボディを作るのに必死だけど、何年かしたら上手になって、また広がるでしょう?
私としては、いずれ商品化して、若い人がだんだん趣味から仕事になって、萩の雇用や収益に繋がったらいいなぁという思いで取組んでいます」

※萩まちじゅう博物館:萩のおたからを誇りをもって伝え、活用していく取組み。萩市とNPO萩まちじゅう博物館、萩博物館が主体となって動いている。

高さわずか12cmの小さな人形に命を吹き込む

三枝「時間をかけて、順々に育てていくことが大事なんですね」

岡野さん
「それと、作家になるタイプと指導者になるタイプは違うということ。それを見極めて本人に伝えて納得してもらわないといけない。
人形作家の資質のある人にはいろいろ厳しいことも言いますが、コミュニケーション能力に長けた人には、ワークショップの手伝いをしてもらいながら指導者として育てていく。指導者候補の人には、難しく言うだけでなく、相手の上達に合わせて段階的に指導するよう教えています。
次の世代に繋ぐためには、経験を積んだ私たちが思いを込めて、少しでも多く教えてあげることが大切だと思っています。そうして初心者から熟練者まで仲良く学び合いながらお稽古できれば、もっと上達できるでしょう?」

三枝「高度な技術の継承には、個々にに合った形で続けていけるよう導くことが重要で、切磋琢磨して高め合うことで、1つ1つに個性が宿って色褪せないものになっていくんですね」

岡野さん
「本当はね、商品化には分業がいちばん早いんです。確かにボディだけ、着物だけを作っていたら上手になります。1体見本を作れば、材料を一気に集めて作ることができますから。
でも、1つ1つ作るということは、生地の素材から柄の選択まで、全部自分で決めるということ。作品の時代背景も考えて、どんな着物を着ていたとか、歴史もある程度知っておかなきゃいけないんですね。大変だけど、本当にやりたい人にとってはその方が楽しい」

華やかな「萩娘と七つ笠」。腰の入れ方、流し目の表情など
日本舞踊を知っているからこそ、自然な動きが表現できる

三枝「人形展も定期的に開催されていますね」

岡野さん
「全国椿サミット萩大会に合わせて『巫女の舞』など、毎回旬のテーマに合わせて展示しています。
昨年、お祭りの時期に合わせて『男なら※』を展示していたら〝高齢化で踊り手が少ないので、人形で踊りのシーンを再現して残して欲しい〟という声を頂きました。
ちょっと大変ですが、人形を通して萩の伝統文化を残していくことが、私のこれからのもう1つの使命だと思っています」

※幕末期、外国船の襲来に備えて2kmの土塁を築いた萩女の心意気を唄った民謡。萩では祭りなどの際に『男なら』の歌に合わせて舞踊が披露されることが多い。

〽男なら お槍かついで 
お中間(ちゅうげん)となって ついて行きたや 下関
国の大事と 聞くからは 女ながらも 武士の妻
毛槍をかついで、勇ましく外国船を追い払う女性たち。
この時の様子を唄と舞踊で表現したのが「男なら」

好きなもののヒントは子供の頃に? 人との出会いと情熱が自分を成長させる

三枝「岡野さんはお幾つくらいから手芸をされているんですか?」

岡野さん
「学生時代から手先のことは好きだったんですよ。本格的に始めたのは、20歳を過ぎてからかな。本を買ったり、手芸屋さんに行ったりしているうちに〝あ、楽しいなぁ〟って思うようになって。そこで自分でカットして染めて、世界に1本だけの花を作ることができるアートフラワーと出会い、どんどん深入りしていきました」

三枝「お教室に通われたりもしたんですか?」

岡野さん
「朝、子供を幼稚園に連れて行った後、お隣の山口市まで稽古に行って、幼稚園が終わる2時には戻るということをしていました。
そのうち本を見ながら粘土人形を作り始めたら、それも面白くなって。ほとんど独学で作っていましたが、ちょっとしたコツは習わないとわからないところもあるので、粘土の先生が来られる時は山口市まで行ったり、福岡のデパートで大きな作品展があったら、朝、家を出てバッ!と見て作品を買って帰って、バラしてそれを自分で作るというようなことをしていました」

三枝「すごい情熱ですね!」

岡野さん
「とにかく子供が帰るまでに必ず家に帰っておくというのが、私のルール。家庭に迷惑を掛けたくなかったから。汽車賃も使うわけだから無駄遣いもできないし、1つ買って帰ればバラしてまた勉強できるので、そのためにお金を貯めては、時々買いに行っていました」

三枝「岡野さんはアート盆栽もされているんですよね」

岡野さん
「アート盆栽は花も実も幹も、すべて手作り。東京で松井輝子先生のアートフラワーの夏期講座を受けた時、アート盆栽に出会って遠距離生徒になったのがきっかけです。
萩の町は盆栽が似合うでしょう? 若い内はアートフラワーもいいけれど、歳を重ねたら盆栽もいいかなぁと思って。
いま思えば小さい頃、庭にいーっぱい祖父の盆栽が並んでいたんですよ。その時は何も思わなくても、そういう生活環境がアート盆栽の道に行くきっかけを作ってくれたのかなぁと思います」

三枝「私も、父の盆栽をじーっと眺めてるのが好きでした」

岡野さん
「何かがあるんですよね。やっぱり盆栽は1つの芸術っていうか。1つの植物が生まれて死ぬまでの一生というか、そういうものも含まれるし、気持ちを込めて作れば、生きて次の世代に引き継いでいくこともできるんですよね」

三枝「1つの鉢に凝縮された世界観は素敵ですよね」

岡野さん
「だから本物を知っておかないけといけない。盆栽展は必ず見に行って、その木肌と樹形は見て自分で覚えないと。先生、教えてと言って教えられるものではないですよね。
下手をすると盆栽する人に怒られます。〝この枝はこんなところからは出ん!〟とかね。そうしたら〝どこから出たらいいの?〟って素直に聞いた方が楽でしょ。そして聞いたら作り変える。
言ってくれる人がいるというのは幸せなんですよ。いいよ、いいよ、ばかりでは伸びませんから。人の繋がりを大切にして、誰とでも仲良くなっておかないと。
人は宝です。私はどんな時もみんなの仲間づくり、そんな事を考えて動くようにしています」

着物の生地を使った芸術的なアートフラワー(左)と、
まるで自然をそのまま切り取ったかのような生命感溢れるアート盆栽(右)

三枝「たいへん精力的な岡野さんですけれども、小さい頃から活発だったんですか?」

岡野さん
「私は人の前に出るのは全然ダメな人でした。信じられないでしょう?授業中に手を挙げて発表することもできないし、自己主張のない人だったんですよ」

三枝「今の岡野さんからは、想像もできないですね」

岡野さん
「それが大学で寮に入って、自分の思いをちゃんと言わないと相手にしてもらえないってわかって、それから180度変わりました。それこそ、萩に帰った時にお世話になった先生に商店街で会って〝先生、こんにちは〟って言ったら〝どうしたの?〟って驚かれたくらい(笑)。
同級生も最初の頃は全然声もかけてくれなかったけど、今はもう真ん中に入って動いています」

三枝「いい出会いがあったんですね」

岡野さん
「はい。いい先生、いい仲間との出会いがあるから自分が見える。見えてからは楽しいですね。何にでも前向きになれるし、何より今、とっても楽しいです」

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岡野さんは、頑なに変えない姿勢よりも、人との出会いや繋がりによって変えていく方が前に進めて、人生が豊かになるということを教えてくださいました。

こちらは「花魁道中」。こうして時代の1シーンを
生き生きとした姿で後世に残すことができるのも萩人形の魅力

古くからの伝統をつなぐのもやはり『人』。形にばかりこだわらないで、今を生きる人たちがしっかり楽しんで、互いに影響し合いながら気持ちを込めて作り続ることが、伝統を受け継ぐということなのだと感じました。

企画展やワークショップも定期的に開催されていますので、
この記事を見て萩人形を見てみたい、作ってみたいという方はお問合せください。

はぎポルト 三枝英恵