しなしな、5月1日、深夜1時頃

 ども、しなしな日記です。

 急に書こうと思い立って昨晩序文を投稿したんですけど、これが正式な第一回目の記事という事になります。今回はなんで「日記」を書こうと思ったのかについて。

 ここ最近はご多聞にもれず僕も自粛に励んでいるわけでして。みなさんも実感されていると思うのですが、自粛というのは家にいられる、だから何もしないで済む、というものではなく、家にいるという事に対して変幻自在に受け身を取っていくというとても能動的な行為です。暇はまったくおかまいなしに生活をばくばく食っていくので、はじめはその食いっぷりに感心していられたものの、近頃じゃめっきり「そろそろ君さ勘弁しろや」という気分になってきましたよね。

 僕は元々インドア派なので、そこそこ自粛生活を楽しめていたのですが、やっぱり飽きがきまして。で、ちくしょう、暇をぶっ潰そうとiPhoneに「青空文庫」のアプリを落としたんです。

 メジャーなタイトルだけど、そういえば読んでないな、という作品が「青空文庫」にはごろごろありまして。特にアテもなく作品のタイトルを見ていると「これも?これも?」と多少ウキウキしてくるんですが、その中でも僕が最初に読もうと思ったのが紀貫之の土佐日記でした。

 日記文学のはしり、メジャーオブメジャーですよね。ですが、うまく読めません。一応、文学部に入るために勉強したので、うっすらとは読めるんですけど、まああまり読めません。ですが読めた部分から察するに、こいつ(紀貫之)は親切にされて嬉しかったとか、可愛い子供が思いがけず賢くって感動みたいな、ほんとこいつ(紀貫之)が生活で感じた些細な事を綴ってるんですよね。

 で、僕は思いました。「なんなんこいつ(紀貫之)」

 だってそうでしょう。日記文学が確立されていいなかった頃に「僕はねえ、今日感動したんです」みたいな事書いて発表するやつなかなかびっくりするでしょう?皆さんだってtwitterが認知され始めた頃は「こんなん何が良いの?」って思ったでしょう?その何倍のインパクトだったんだよこいつ(紀貫之)。

 でもね、わかる。理路整然とわかる以前の内臓の動作として分かるよキノッチ。言葉はさ、残しておかないと届かないもんな。直接相手が目の前にいれば口で言って終わりだけど、そうでない場合は一つの賭けに出る必要があるもんな。キノッチが誰か個人を思い浮かべてたのか、あるいはとにかく沢山の人に日記を読んで欲しかったのかは知らないけど、届けたい気持ちが日常にもたくさんあるって発見したんだよな。それが僕に届いたの、キノッチあんたやっぱイカれてるよ、最高。なんでかな、そう思ったら僕、ちょっと目尻がジワったよ。

 ……と、そういった経緯で僕はしなしな日記を記すに至りました。今は行動範囲も限定されていて、船に乗って海に出たキノッチよりもさらに些細な事を書き連ねると思いますが、よろしければ一緒にしなしなしましょうね。

 

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