メモをとれない私は


メモ。めも。memo。


「memo」の語源もとい略称元となる英単語は、備忘録などの意を持つ「memorandum」と思われます。

しかし実は、記録や覚え書きという意を持つ日本語でいう「メモ」は、
英語でいうところの「note」に当てはまるそうです。



どうもこんばんは。

1都3県では緊急事態宣言の延長が発表された今日ですが、いかがお過ごしでしょう。


ところで、私はメモがとれない。

いつからか、気づいた頃には、私はメモがとれない人でした。




昔話をします。


まずは記憶を遡ること、それは小学校高学年の頃。
ある科目で、ノートの提出があった。

後日ノートの返却が行われた際、担任の教師は、私を含む4人の名前を挙げると、こう話した。

君たち4人は、ノートの字が汚すぎる、と。

今思い返せば、当時の私は(今も若干癖づいてしまっているが)まるで一筆書きのように、書く文字が繋がっていた。
サインとか歴史的な書物か何かを書いていたのだと思う。

が、当時の私はまさかの無自覚だったもので、クラスの字が汚い四天王へと名を連ねてしまったことに、子供ながらにそこそこショックを受けたことを覚えている。

それから私は、ノートを綺麗に書こうと改心すると同時に、文字を書くことを好きではなくなってしまった。



少し時間が経ち、中学生の頃。

ノートを綺麗に書ける人に憧れた私は、その人たちの真似をしようとした。
単元のタイトルは大きい文字で書いた。
適度にインデントをずらし、適度に空行を使った。
大事な文言は色ペンを使って書いた。
蛍光ペンで線を引いたり、囲ったりしてみた。
勿論、字は繋がらないように、丁寧に、慎重に書いた。

そして出来上がった私のノートを憧れのノートと見比べたとき、あることに気が付いた。

私のノートは、圧倒的に情報量が少ない。
憧れのノートには、私のノートにはないたくさんの情報が、私のノートより綺麗に陳列されていた。


いくら真似ても真似できない部分、それは情報量だった。

ノートを書くことに一生懸命だった私のノートは、丸々そのまま黒板の写しであり、それ以上のものになることはなかった。

どうしてノートの綺麗な人は、誰とも違う自分だけの黒板を作ることができるのだろうか。

どうしてノートの綺麗な人は、教師の口からこぼれる宙に舞った情報を、あんなにも上手に捕まえられるのだろうか。

私は、話を聞くこと、聞いた話を書き起こすこと、即ちメモをとることができない、この頃からそんな自覚が芽生えました。



恥ずかしながら、それから私は成長せず、未だ脱却できずにいる。

ノートに書く情報は公式と例題の解き方だけでよかったから、私は数学が得意になったし、書ききれない情報が飛び交う社会科は苦手になった。

高校や大学の講義では、板書の講義が以前より少なく、プリントや資料に必要な情報が網羅されたものが増えたため、よりその能力を必要としなくなった。

以前散々遊んだ通話人狼では、白黒の盤面しかメモできず、議論における会話や発言の内容を一つとしてメモに残すことができなく、挫折を覚えた。

学生時代のアルバイト先では、あまりの私のメモのとれなさに、研修を担当した社員を驚愕させたものだ。

そして現職においても、その無能さを遺憾なく発揮している。
口頭で聞く話は咀嚼が間に合わないまま記憶の彼方へ行き、相手に同じ話をさせる度に情けなさに苛まれる。会議の議事録をとるだなんて高等技術は持ち合わせていない。



無心につらつらと書いてしまったが、人の話を聞きながら文字に起こして記録するというのは、本当に難しいことだ、ということを伝えたい。

不可視な情報を捕まえて、自分の手で可視情報をつくること。それは聞く力、書く力、選ぶ力、考える力、いろんな力の集合体で、集大成の行為だ。

それが自然とできるアナタはもちろん、なんで聞いたものを文字で書くだけのことができないのかと思ったアナタも、やらなければいけないことと割り切ればできるというアナタも、素晴らしい。誇ってくれ。

きっとそれをできる人はできない人よりも多数で、一般的で、普通で、できることは当たり前に求められるべきなのだろう。
できない人は、できない人なりに、できる人になり得るよう相応の努力をする必要があるのだろう。
こうやってすぐに人をカテゴライズするのは、私のよくないところですが。

気分が落ち込んだ時は、そんなこともできないのは世の中で私くらいだと思うこともある。
気分が前向きな時は、少数かもしれないけど、同じ悩みを持つ人だっているはずだと思うこともある。

なんというか、後者であることを祈りたいですね。



最近私は、このことについて2つのことを考える。

1つは、メモをとれない人から、メモをとれる人になるための生き方。

1つは、メモをとれない人でも生きていける生き方。


どう生きたらいいのだろう。




おわりです。

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