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人知れず涙している

タイムラインに突如流れてきた子どもの訃報に戸惑い、少しだけ遡り、とても可愛らしいお子さんが写っているのを見た。長い間病気で入院し、それでもにこやかに愛らしく育っているのが見えた。

育っている、育っていた、つい、数日前まで。

こういう時、感情の持って行き場がない。そのつぶらな瞳の子のご両親の気持ちを考えると当たり前なのだけど、もう、その状況が自分の一部になってしまっていて、「人の子が召された悲しみ」というのを通り越して自分の中に在る感情になってしまう。

翌朝9時に火葬されるというツイートを見て、一緒に9時にせめても空を、とてもよく晴れた冬の空を眺める。それで彼のご両親の気持ちが変わる事なんて何もないのに、少しでもその苦痛が緩和されますようにと必死で祈るしかない。

子ども中心に回っていたはずの彼らの未来が続く事、そんなこと想像出来るだろうか。どうやって次の時間に進めばいいのか、一歩の踏み出し方もわからず、心がぐちゃぐちゃになっていると思う。

たくさんの、気持ちを汲んだリプライを横目で眺めつつ、私はリプライは出来ない。

自分に元気な子がいる事を、傷ついたばかりの相手に教えたくはない。悲しみと混乱の渦中にいる時に私はきっとおそらく、どんな言葉も耳に入らない。声をかけられる事で気力が湧く人も沢山いると思うのだけど、そんな事はわかっているのだけど、多分過去の何処かで、私はこちらの道を歩んでしまった。だから声をかけられない。

どうかどうか、お空の上から、ママをなでなでしてあげてね。優しい光で今後ママたちの人生を照らしてあげてね。そして君もよく頑張ったね。

優しい感情が、どうか彼らに届きますように。


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