社会に適応することとは

色々イベントがあってドタバタしていたのが、ここ数日でようやく落ち着き、久しぶりにゆっくりとnoteを開くことができた。私は昔からマルチタスクというのがどうも苦手で、何か一つやらなくてはならないことがあると、他のことが一切手につかなくなってしまうという悪癖がある。そのため、今までの20余年の人生をトータルで見ても、全くもって要領よく生きれた試しがない。
常に目の前の課題や問題に対して、てんやわんやしながら生きてきたのである。良く言えば一つの物事に真摯に向き合ってきた、と言え、悪く言えば全く使い物にならない役立たずであったとも言える。
 とにかく、そんなダメ人間の私のもっぱらの考えごとと言えば、こんな私は一体全体どうやって社会に順応してゆけば良いのだろうか…というものである。私にとって永遠のテーマといえよう。私は9歳の時に、生まれ育った韓国の仁川広域市を離れてこの国にやってきたのだが、小学生時代は本当に地獄のようだった…。ただでさえ難解な日本語を一生懸命学び、同じアジア圏とは言え異なる文化に順応するべく、より日本人らしい動作を研究する日々。朝鮮学校に行けば良いのに、と言われるのが怖くて、ひたすら日本人に擬態しようと必死だった。今考えるとだいぶ馬鹿らしいけれど。これから小さい子供を連れて別の国に引越しを考えている親御さんがいるならば、悪いことは言わない、子供は置いていけ。祖父母に預けた方がよっぽど子供のためになる。とでもアドバイスしておこう。実際わたしはひどく苦労したからである。現在では無事日本の大学にも進学でき、(受験は失敗したが)なんとか日本人学生に擬態して日々生きている。語学が得意だったのも幸いして、日本語はなんなく話せるようになったし、(漢字はあまり書けない)誰の目からみても日本人らしい、と言えるだろう。いやはや、本当に長い道のりだった。日本に籍を置く上で朝鮮人というハンデも、努力次第でなんとか隠すことはできたし、それっぽく日本人に擬態することだってできた。だがしかし、1番肝心な、本質的な人間としての性能は国籍を超えるということを、私はすっかり忘れていたのである…。韓国にいようが日本にいようが、へよんという、私という人間はだいぶ変わった子供だったし、今でも少し変だ。当たり前のタスクはこなせないし、飲み込みも遅い。理解力も少しばかり足りないし、人間関係も下手くそである。本当に困ったものだ。実際のところ幼少期はこの変人ぶりを、面白いやつというキャラクターで誤魔化すことができたが、いよいよ成人になると、ただの変な人は本当にただの変人と称されてしまう。どうしよう、絶賛大ピンチ!なのである。
 果たして、どうしよう。20歳最初のnoteはこんな先行き不安な締めくくりで終わって良いのだろうか…。

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