不登校は悪じゃない

不登校は悪くないとか、恥ずかしくないとか、
色んな人が言ってるの知ってるから、そうだと思ってた。

だから、娘が学校に行けなくなったとしても、私は大丈夫だと思ってた。

でもやっぱり想像よりもしんどかった。
心の準備はしていたけど、はるかに越していった。

学校なんて行かなくてもいいと思うなんて軽々しく言ってたことをちょっと反省した。
今は正しいと思ってるけど。

娘は学校に行けていた時から学校であったことを私に言わなかったし、
聞こうとするとなんでもないっとそっぽ向く。
聞き出そうとすると頑なに拒否するから、
言いたくなるまでは掘り出さない方がいいかと見守ってたんだけど、

事件が起こってから、やっと彼女が抱えていた不安が分かった。

でも、子どもとべったりな生活の中で、感じたことは娘は私に甘えてるようで甘えてなかった。
何が欲しい?って聞いても、ママは何が食べたいの?とか、
「わたしは何食べたらいいかなぁ」とか、私に委ねる発言ばかりだった。
もう、そういうのはやめようって娘に伝えた。
あなたは行きたくない、ってちゃんと決めれたんだから、誇りを持っていいよって、そう伝えると「そうかなぁ」って喜んでた。

でも、そんな軸を持ってる私であっても、
めちゃくちゃ娘の態度を見てブレまくった。

私が優しくすればするほど甘えはエスカレートしていって、
私が悲しい顔すると、怒ると、涙を流すと、余計に隙をついて試してくる。

私は子ども優先で生きてきたけど、
いや、優先してきたからこそ?信頼関係をちゃんとできてなかったんだなって反省した。

だから、ちゃんと娘と向き合おうって思ったけどやろうと決めても、相手が自分のお腹から出てきた娘であっても超絶めんどくさいの。

夜になると、どうせわたしのことなんていらないんでしょ!!ってわたしが寝ている布団の枕元に立って上から睨んでくるし
家出するから探さないで、心配しないと思うけど!って出て行くから
行ってらっしゃい気をつけてねって言うとどうせ心配しないんだよね、うちのママはって言うし
探しに行かないと怒るくせに、
行ったら行ったで帰らない!って怒る。

私はへんにうろたえてしまって、
感情的にもう知らん!勝手にしろって言ってしまったり、
本当に余裕がなかったなぁ。
それくらいしんどかった。

だけど経験しなきゃこんなこと語れなかったし、
気付かせてくれた娘には感謝してる。

何よりも、いやでも自分のインナーチャイルドに向き合うきっかけができたことで、
何が大切か、何が不必要かってことが良く分かった。

子どももだけど、私はもっと自由でいていいんだって気付かされた。

わたしは口下手だから、困ったことが言えない。
頼るのが申し訳ないというのは大義名分であって、頼ったことで自分が不利になったり思い通りにならなくなったり立場が弱くなることが怖かった。
頼るってことは恥だ!人をあてにせず自分で調べろ!っていう方針の育てられ方したからね。

夫婦関係でもそうだったから
それって、一番子どもが良く見てるから
わたしの弱い部分を気付かせてくれたんだと思う。

今でも別に甘え上手なわけじゃないけど
言える人には言えるようになった。

だから、壮大な話になったけど
娘の不登校は大した問題ではなく、わたしをひとまわり大きく育てるための儀式的な感じだと、そう捉えてる。

だからまわりからいけないのは心配だよねって言われた時には娘はちゃんとしてるから大丈夫なんです〜って言ってる。

学校に行けなくなる理由には、人それぞれあると思うけど本質は何かを見極めることが大切だなぁと思う。


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