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上がり下がり

小学校の時からよくわからない不安の種をぐるぐる考えている子供だった。ふわふわしていると言われて、実際ふわふわ頭の中を旅していた。その中に、上がり下がりの問題があった。
「なにかいいことがあると、悪いことがくる」という、教訓めいたフレーズが、ずっと脳みそに刺さっていた。
僕はとびきり優秀でもなければそこまでひどくもなかった。その状況がとても嫌だった。上手くいっていると不安になった。これから下がるかもしれないと。優秀になるのは無理だったから、小さな反抗をした。宿題をやらなかったり、逃げられる嫌なことからは全て逃げた。そうすればいつか底につくと思って。ずっと力を入れているのは苦しかったから、何もせず、ただ下がり続ける時期はある意味で気楽だった。とにかく不安定でいるのが怖かった。自分の中のエネルギーを何に注げばいいのか、そもそもそんなものはあるのか、言葉にできないモヤモヤがずっと頭にある少年時代だった。
高校生になった。ある程度の痛みは受け入れられるようになった。なってしまった。おそらく考えることをやめた。中学までよく読んでいた本も読まなくなった。周りは受験のことしか考えていない。その時の自分にはそう見えた。その時かもっと前に、友だちと深く話すべきだったのかもしれない。目に見える受験勉強のことだけが、自分の世界のすべてだった。そのときは別にうまくいっている感覚も下がっている感覚もなかった。ただレールのようなものに沿って歩いていた。考えず。
とりあえずゴールと言える大学に合格してから、一人暮らしが始まって、時間が有り余った。しばらくはその自由を満喫できたけれど、次第に苦しくなっていった。不安定な心と自分の状況が噛み合わない時期が長く続いた。そのうちにどん底になった。自分の短い人生において、はじめて死を目前にした気持ち。間違いなく底と言えると思う。
少年時代の自分は、底に着けばあとは上がるだけだから、と下がっていく間も気楽だったのだろう。実際に底についてみれば、上がるのは容易ではない。本当に。いつまでも希死念慮は追いかけてくる。何もできない期間が延びれば延びるほど、自分に価値を見出せなくなってくる。この苦しみからは今も逃れられない。

今、幸運にも、運命の人との出会いというものに巡り会えて、少しずつ希望が見えはじめている。ようやくこれからのことを考える余裕が生まれてきた。現実は辛く苦しいけれど、それでも前を向ける何かを見つけられた。これから上がっていけるかは分からないけれど、転ばないように手をつないで、ゆっくり進みたい。

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