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あそびの足り無い「袖」は振れないから、多少の縁も減る。

どもども、ハヂメだす。

今日のテーマは言葉遊び。

「袖」はあったほうがいい

「無い袖は振れない」という言葉がある。たぶん、意味を知らない人はそうそう居ないと思うが一応、添えておく。

「無い袖は振れない」
(意味)無い袖は振れないとは、実際に無いものはどうしようもないということのたとえ。
(引用元)コトバンク

主に金銭に使うケースが多い。
古来は着物の袖にお金を潜めておくことが多かったことに起因していると思う。「金がないから◯◯は出来ない」みたいな感じだ。

さて、この「」という言葉。
他にどんなことわざや故事成語があるかと言えば、
こんなものがある。

長袖よく舞い、多銭よく賈う

これは韓非子に拠る故事成語で、


袖が長いと舞もうまく見え、銭が多いと商売が自由にできる意〕
資力の豊かなものは、何事にも成功しやすいたとえ。
(引用元)コトバンク

つまりは、
「お金や物資やらが、ある方が色々うまくいく。」みたいなことだ。言葉的には「袖」は「舞い」にかかってくるわけだけど、意味合いを包括的に引っ括めれば、「袖」は資力だ。そう考えてみれば「資力がないからどうしようもない」感のある「無い袖は振れない」という言葉とは少し重なってくる部分も感じる(ような気がする)。

つまり、何かしら「上手くいってほしいこと」がある場合は、「袖」はあったほうがいいということにもなる。というか言葉を変えよう、「袖」には「余裕」があったほうがいいのだ。

「袖」に「あそび」をもたせよう

最初にも書いたが、今日のテーマは言葉遊びだ。「遊び」という言葉には色んな意味がある。遊興的な「あそび」もあれば、余裕や暇を指すような「遊び」もある。なんか昔は神事やそれに付随するような芸能全体を指していた、という説もあるようだ。

まぁ前の見出しとも重なる部分だが、そういう意味では「袖」にも「遊び」はあったほうがいい。時間や心にも、「あそび」はあった方が精神衛生上よろしい。ある程度のストレスは必要なのだけれど、過度なストレスは身体にもこころにもよろしくない。

だからこそ「袖」に「あそび」をもたせよう、というのは最近の僕のテーマでもあるわけだ。もちろんこれはお金に限った話ではないのだが、それは次で触れる(超絶飛躍な個人的理論になるので注意)

僕なりの袖の概念

あくまで飛躍的であり、個人的な私見での話になるので恐縮ではあるけれど、僕はこの「袖」というものを「資力」として、前述のことから意識をしている。資力という言葉は「お金を生み出す力」という意味でもある。だからこそ、大前提では「金」になるのだけれど、時間であったりスキルであったり人脈であったりも僕の中では包括している言葉になっている。

お金がないなりに出来ることはあるし、時間がないと出来ないこともある、人脈がないと得れない価値もあるし、スキルがないと対処出来ないようなケースもある。そんな色んな「リソース」みたいなものを全部引っくるめたものが僕なりの「袖」の概念だ。

もちろん意味合いも歪んでしまうほどの飛躍的理論だというのは重々承知しているし、どちらかといえば『僕はこう思うことにしているし、こういうものを「それ」と呼ぶことにした』みたいなものなので、あまり厳しい言葉はかけないでやっていただきたい(マジで)


「袖」が足りないと「縁」も生まれない

こんな飛躍的な超個人的概念としての「袖」だが、これにまつわる話を最後にしようと思っている。

ことわざである。

「袖振り合うも多生の縁」

意味も置いておく。

袖が触れ合うようなちょっとした出会いも、前世からの因縁によって起きるという意。
(引用元:コトバンク

ここでの「袖」というのは後の「振り合うも」にかかって「些細なもの」といったような意味合いの言葉でしかない。

しかしながら、僕は前述のように飛躍して「袖」を認識しているからこそ、この「ことわざ」が多少なりき、面白く聞こえてならない。

みんなもそうだと思うし、当たり前のことだけど「縁」と「人脈」は全く別の意味だ。むしろ「縁」は因果関係の「因」を指す言葉だから、「縁」が「人脈」を作ると言っても過言ではない。そして「縁」が産むものは人脈だけではない、ご縁のおかげで「お金」に繋がることもあるし、スキルの形成だって(結果的に)生まれることもある。

じゃあ「縁」はどうやって得るのか。「縁」は一種の運命みたいなものではあるけれど、それに限りなく近づくためには、やはり色んな人に会いに行ったり、「前向きに行動する」ことだろう。

そのためには・・・?と考えると、やっぱり僕は「袖」が必要なんだと思う。あそびのある「袖」が大事だと思う。

極端に言えば、「袖」が足りない(≒あそびがない)と「縁」も生まれない(かも知れない)くらいには思っている。

そして、一度生まれた「縁」を維持するためにも、「袖のあそび」は必要なんだと思う。「無い袖」が振れないから、「袖のあそび」がないから多少の縁は減るんだと思う。

よし、満足です。
今日はいっぱい
言葉「あそび」しました。

このnoteが僕の袖。
何かの「縁」になったらいいなぁ
とか考えてます。

いいこといった(自画自賛)

今のうちに〆ます。
ではでは今日のところはこのへんで。

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