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再びエホバの証人に出会うまで

研究を打ち切られた私は、それでも聖書の神さまは好きで、いつも心の片隅にいたのを記憶している。

辛いことも悲しいことも祈りによって打ち明ける。

近所のスーパーで鈴木さんを見かけた時、私はすぐに隠れた。また研究が始まる事を恐れたのではなく、罪を犯してきた自分が、清い民に近づいてはいけないと思ったからだ。

エホバの証人に関するニュースには敏感に反応していたと思う。

剣道の授業に参加しなかった高校生がどう扱われたとか、エリート社員が家族と離れて暮らす事はよくないから単身赴任を断ったというニュースを聞くと、私は本屋に行った。

週刊誌にはそのことが詳しく書かれている。私はそこを何度も読んで、エホバの証人の信仰を讃えた。

1993年、ビートたけし主演で『説得』というドラマが放映された。研究を辞めてから七年近く経っていたが、私はこのドラマをリアルタイムで観た。

信仰を貫こうとする親と医者の間でのせめぎ合い。医師が、病院側が説得するのは当然だと今ならば思えるが、当時はなんて余計な事をするのかと、イライラしていたと思う。

輸血拒否に関して主役のビートたけしはどう思ったのかと、もしできることならこの人に真理を伝えたいという衝動に駆られていく。愚かだ。

もうここまで来ると、マインドコントロールされた愚かな人間ではなく、聖書を信じ切ってしまった孤独な信者だった。

1914年が頭から離れない。地震、戦争、食糧不足、疫病のニュースを見るたびに終わりは近いと緊張感が走る。

終わりの日は対処しにくい危機の時代だとも言われていた。人々はお金を愛し、暴力的になり、愛が冷えるので犯罪が増し、自然の情愛を持たない故の家族間の虐待が増えると学んでいた。

日々のニュースで、殺人やいじめによる自殺を見るたびに、早く悪い人間がこの世からいなくなることを神に求めた。

自分はといえば、邪悪な人間で滅ぼされる側なのだと理解している。けれど、亡くなった人の復活を信じる自分もいて、他人の復活を望んでいた。

メンタル的には落ち着いてきて、趣味を持ち、穏やかに暮らしていた。ただ読書好きな私はここで聖書に出会っていれば良かったと思う。

詩編の美しい詩を読み、箴言の良い言葉を実践するだけだったならば良かった。

本当に人生はタイミングだと思う。あの日、あの時、鈴木さんに出会わなかったら、自己嫌悪に陥らず、高い自己肯定感を持って生きてこられたとも思う。

イエス・キリストは王国に入るためには幼児のようになるように、弟子たちに語った。競争心を持たず、ただ純粋に神を信じ愛する謙遜な者。

そこを考えると、組織に属したらいけないと思う。仲間は必要だが、人間である以上ヒエラルキーが存在する。それを嫌というほど見てきた。その話はまたの機会にする。

私は30才近くに結婚した。プロポーズされた時にあることを夫になる人に受け入れてもらう。

「私はエホバという神さまに仕えたいので、仏壇を守ることはできません。親は大切にしたいと思うが、先祖崇拝はできません。お墓参りもしたくない。簡単に言えば仏教行事に参加できない。どこの宗教団体にも属していないけれど、自分が崇拝する神さまの言うとおりに生きていきたい」

八年以上、孤独な信者だったのに、いや洗礼さえも受けていないクリスチャンもどきなのに、エホバ神の不興をかうことだけはしたくなくて、とんでもない事を夫になる人に言ったと思う。

夫は信仰の自由は誰にでもあると寛大に応じてくれた。同居を望まない私の選択を夫の両親も受け入れてくれた。

私はエホバ神に嫌われているが、幼児のように純粋に神さまとイエスが好きだった。ただそれだけで幸せだと思った。

新生活が始まった。引っ越ししてきた当日、アパートにノックの音が響く。私は親が来たのだと戸を開ける。

そこには雑誌を持った二人組のエホバの証人が立っていた。

今日引っ越ししてきたばかりで忙しいと伝えると、彼女たちはすぐに帰ってくれる。

私はこの時、とても嬉しかった。一ヶ月に一度は区域を網羅しているはずだと後で知ったが、エホバ神が私の居場所を探して見つけてくれたのだと思った。

私は神さまにまだ見捨てられていないという喜びで満たされてしまった。

今、振り返ると本当に愚かで単純な思考だと思う。

このエホバの証人との再会が、私の人生を変えてしまう。



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