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なぜ暴力性のある男はモテるのか

暴力性に対する誤解

今年の3月ごろ、「男がモテるために暴力性は必要なのか」というテーマを巡ってTwitter上で論争が起こった。

暴力性は必要であると主張する肯定派の代表論者である小山氏と、否定派の代表論者であるすもも氏がこのテーマについて討論したスペースが話題となった。

私もそのスペースを聞いていたのだが、開始早々、すもも氏は「ヤンキーやヤクザがモテるということは知っている」旨の発言をした。それを知っていながら、すもも氏はなぜ暴力性を否定するのだろうか。モテと暴力性をテーマにしたnoteで以下のように述べている。

支持される背景①:記憶に残りやすい体験を過剰に見積もる認知バイアス
 私たちは”ワル”がモテるということを経験的に知っている。
 多感であり、性的な興味も湧くティーン時代には女性に囲まれていたのは常にスクールカーストが高い粗暴な体育会系やヤンキーだった。誠実に思いを寄せていた女の子が粗暴に扱うチャラ男に股を開いたということを知った体験をしたかもしれない。またマスコミの犯人報道では「犯人が女性に困っていなかった」ということも多々ある。
 暴力という現代社会のマイナス要素をもっているにも関わらずモテているという事実はとりわけインパクトが強い。私たちは記憶に残りやすい体験が起こる確率を現実よりも高く見積もったり、利用しようとする認知の傾向がある。
引用:「暴力性を出せばモテる」説は本当なのか検証してみた

粗暴なヤンキーや体育会系がモテていたのは多感な学生時代のことであり、青春時代の記憶は印象に残りやすいから、「記憶に残りやすい体験を過剰に見積もる認知バイアス」によるものであるらしい。

では、粗暴な男がモテるのは学生時代だけで、社会人になって以降はモテなくなるということだろうか。社会人以降になると、女性側の選好は変わってしまうのだろうか。

いや、そうではない。PUA(ナンパ師)界隈では「なにが女ウケするのか」についてはすでに結論が出ていて、ファッションや口説きなどモテの方法論が確立されている。例えば以下のようなnoteがある。

このnoteでは、「黒髪or短髪、ツーブロック、黒い肌、筋肉、ハイブランド」といったファッションが推奨されている。
参考になる人物として金子賢などが挙げられている。

簡単に言えば、ヤカラ、チンピラ系である。

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https://doublehunt.com/club-menz-fashion/

上記スペースにおいて、小山氏自身がPUAコミュニティで修行した経験を根拠に暴力性のある男がモテるという主張をしたところ、すもも氏は「それは特殊な例に過ぎない」と切り捨てていた。しかし、現実にPUAの方法論は成果を上げている。だからこそナンパ講習を請け負うナンパ師が多数出現し、高額な講習費を払ってでもそれに参加する男たちが後を絶たないのである。「暴力性」を身につけることこそ男がモテるために最も効率が良い方法であるのは間違いない。

だが、それでも暴力性否定論者たちは認めたがらないだろう。なぜなら、「暴力性」を文字通りの暴力だと解釈しているので、自分が暴力を振るう/振るわれる当事者になった時のことを想像して迷惑だと考えるからである。

私が危惧しているのは、こういった積極性まで安易に「暴力性」とひとまとめにすることで、鵜呑みにした誰かが暴力を振るわないか……というリスクだ。デートに誘いまくるだけなら、仮に100人にしても「ちょっと困る」で済む。だが、これが「女はバカ」と罵倒しまくる言葉の暴力や、気になる女性の頭を殴る暴力が出てきたらどうだろうか。

安易に「暴力性」という単語でモテを定義することは、こうした犯罪を生む土壌になりうる。そして一度事件が起きてしまったとき、暴力性=モテを唱えていた人々は、自らでは取り切れないほどの責任を負うことになるのである。

引用:「暴力的な男がモテる」のは本当なのか? その主張の背後にあるリスクの正体

この引用はトイアンナ氏による「モテと暴力性」についての論考だが、彼女は暴力性について①物理的な暴力や言葉による傷つけ②アプローチの積極性の2つに分けている。だが、モテにおいて要求される暴力性とはこの2つの中間にある。いうなれば「ワイルドさ」である。ヤカラやチンピラ、金子賢のような見た目は暴力というよりも「ワイルド」と表現した方がしっくりくる。

トイアンナ氏はここで「暴力性は犯罪を生む土壌になりうる」と述べているが、暴力性否定論者たちは、モテにおける暴力性を「ワイルドさ」ではなく、他者への迷惑行為と捉えてしまっている。すもも氏も前掲の記事の中で、女性を被害者にしてしまうリスクを危惧している。
ここに彼ら/彼女らの暴力性に対する誤解がある。金子賢のような見た目や立ち居振る舞いを身につけることと、他者に対して迷惑行為に及ぶことは全く関係ない。

どちらかというと、オタクの迷惑行為が取り沙汰されることの方が多い気がするのだが、これは私の偏見だろうか?

そして、暴力性を他者への迷惑行為だと捉えることで、暴力性を身に付けることがなにか簡単なことであるように思えてしまう。暴力性否定派には、「暴力性肯定派は、何も考えずに女を殴ったり暴言を吐けばモテると考えている」という暴力性肯定派への雑な理解がある。

しかし、暴力性を身に付けることを「金子賢のような見た目になる」ことと捉えると、全く簡単ではない。体を鍛えることそのものが難しいというのもあるし、見た目を大きく変えることの心理的なハードルもある。「モテるために日サロで肌を黒く焼け」と言われてもほとんどの男は拒絶するだろう。

また、見た目を変えればそれでモテるというわけではない。見た目だけでなく、立ち居振る舞いや口説き方を含めたモテるための努力をしなければならない。ヤカラ、チンピラ、金子賢のようになるということは、言い換えるとギャルやキャバ嬢を口説いて彼女にできるということでもある。

このように表現すれば、それがいかに難しいことかわかるだろう。チー牛・陰キャ・オタクがオラついて暴力性を発揮しても、ギャルやキャバ嬢を彼女にはできないのである。オタクが彼女たちを殴ったところで殴り返されて泣くのがオチである。

これが暴力性についての二つ目の誤解である。暴力性(=ワイルドさ)を身に付けることは、そもそも難しい。なぜならそれは恋愛市場における強オス・ボス猿になるということを意味しており、モテる男を目指す者にとっては長い時間をかけて努力して到達していく目標だからである。

なぜ現代の男はワイルドになれないのか

ワイルドな男はモテる。しかし、世の男の大半はワイルドな男になれない。体を鍛えるという時間的・労力的なハードル、ヤカラ、チンピラのような格好をすることの心理的なハードルがあるものの、しかし、根本的な問題が別にあるのではないかと思う。まず、先日公開された小山氏の記事に面白いコメントが書かれていたので紹介したい。

婚外子率、グラフに無かった中国も過去の香港の統計から推察すると低そうとの事で、やはり日中韓の男子は皆マジメですね。自由恋愛社会で1番割りを食ってる人種でしょう。
韓国での反フェミ運動、日本でも広がる余地は十分にあると思いますが、どこまで盛り返せますかね。東アジア男子ってDNAレベルでチンポ騎士団なんですよね。
今の日本に必要なのはビッグダディみたいな中出し孕ませマンですが、平均的日本男児は彼のこと嫌いでしょう。新海誠の映画でシコってるようなやつばかりです。
過去、何人かの非モテ男子に恋愛工学的な思想をインストールしようとしましたが全然ダメでした。彼らは未だ非モテのままです。未だ実在しないピュアな何かを求めて新海誠でシコっています。
女なんて暴力を持ち出せはどうにでもなる雑魚なので、男がどこまで野蛮になれるかがフェミを潰すキモだと思いますね。

なぜ現代の日本における男の多くは、金子賢のような強オスではなく、新海誠の映画でシコってるような陰キャでチー牛のオタクばかりなのだろうか?
一つの仮説として、男性労働者のホワイトカラー化が進んだからということが考えられる。

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ホワイトカラーが増加するということは、ガテン系が減少するということである。ガテン系男性の特徴とは黒い肌、筋肉であり、ワイルドなモテ男性そのものである。

一方、ホワイトカラー男性はそれとは真逆だ。オフィスワークで日に焼けないため肌は白く、体よりも目を酷使するため体格は貧弱でメガネをかけている者が多い。なによりホワイトカラーの労働者に要求される物腰の柔らかさや腰の低さといった「相手を不快にさせないスキル」が男をワイルドさから遠ざける。ホワイトカラーの労働者として生きていくには、男が持っている「暴力性(=ワイルドさ)」を可能な限りゼロに近づけていくことが必要なのである。

以前、文筆家の白饅頭/御田寺圭氏が、現代の若者にヤンキーがいなくなっており、皆チー牛のような幼い顔立ちをしている、という問題を取り上げた。

これも、ホワイトカラーの労働者が増加し、ガテン系労働者が減少したことの影響ではないかと思う。社会全体がチー牛オタク化しているのである。

この傾向は今後も続いていくだろう。女性から見ると世の中の男は「オスとしての魅力に欠ける男」ばかりになるはずだ。

モテと暴力性の話になると、肯定派から「女を殴れ」といった極論が出る場合がある。しかし、実際に殴るかどうかは重要ではない。女を殴ったら女側が股を濡らすような男になることが重要だということなのだ。


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