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結城那智「引力は運命を引き寄せて」

 例えば、僕の目の前で林檎が落ちたとします。それを君の元まで届けたいと思い、数十キロも離れた君の家まで届けに歩き出した時、到着するには何時間掛かるでしょうか。

 もし何日掛かったとしても、とっくにこの足が傷ついて動かないとしても。歩兵のように一歩ずつ、確かに歩みを進めては、君の名前を口にしながらその林檎を齧るのです。
 きっと君がそれを知ったら、僕はまた笑われてしまうでしょう。

 それでも会いたい気持ちを前にしたら、全てが止まっているように感じてしまうほど気持ちは先走って、止められないものなのだと知りました。

 とっくの前に気付かないフリをしていた気持ちを認めてしまった時、僕の頬は林檎のように赤く染められ、鼓動はみるみる速くなり、息遣いも荒くなります。

 出発した頃と比較するまでもなく、僕の歩く先に伸びる影は何倍にもなっています。

 それから間もなくして、ようやく君の家が見え始め、その家の更に向こうから自転車を押して歩く女の子が見えます。少し落ち着きかけていた鼓動はまたドクンと音を立て、より一層速度を増していきます。

 あっ、と小さく声を出し二の足を踏みますが、今までの疲れが嘘のように、逸る気持ちが背中を押すように、足がもつれそうになりながらも早歩きで君の元へとまた歩みを進めます。

 僕に気づいた君は、その場で少し跳ねながら大きく手を振っています。まだ遠いですが、その笑顔がより鮮明になっていく度に既に泣きそうな僕。

「顔、赤いよ?」

 息を整える間もなく、少し怪訝そうな表情に目を大きくした君に笑われ、夕陽のせいだと誤魔化した時に僕は思い出します。

「き、君のために持ってきたものがある!」

 そうして先ほどまで大事に握りしめていたはずの右手の感覚が、ほとんど自由であることに気づきました。

 水も何も用意をせず、思い立ったまま歩き続けてきたせいで、この道中で全て食べてしまったのです。
 右手に残っているのは林檎の芯だけ。

「どうしたの?」と言わんばかりの表情を浮かべている君を前に、嘘をつけずに本当の事を話します。

 すると君は笑い飛ばして、

「そんなのメールで教えてくれればいいじゃない。第一、私から送っていたメールには気づいていなかったの?」

 そう言われてまた思い出しました。
 僕は君からのメールで会いたくなって、口実を必死に探している時、この林檎を見つけていち早く君に届けたいと思って……。

 だから早く君に会いたくて、だけど足がもつれて何度もつまずいて。これはとても恋に似ていました。
 気持ちばかりが先走って君を求めているのに、遠くに見えては諦めかけていました。

 だけど君は変わらずここにいてくれたのです。その度に僕は君の名前を呼んでいました。
 そうしたらいつの間にか、会いたくてたまらなかった君が目の前に、今ここに、笑顔でいてくれています。

「その林檎の芯みたく貴方の心も丸見えよ」

 左手には温かい感触を確かに感じられます。今まで感じたことのない温かさに何故か涙も止まらなくて。

「私ね、貴方に呼んでもらう私の名前が好き」

 夕陽に照らされている君の顔はいつもよりも赤くて、心地良く吹く風に綺麗な栗色の髪が泳ぐようにそよいでいます。

「林檎は引力だけじゃなくて、愛も見つけられるのね」

 夕陽に照らされた僕たちは影の上で重なって、初恋は涙の味でした。
 だけどそれに悲しみはなくて、温かみで心の奥深くまで染み渡って、心地良くなるような味。

 どこまでも伸びた影は終わりがなく、これからの二人がいつまでも続くんだよと祝われているような気がして、僕はまた泣いてしまったのです。

「もう貴方ってば、本当に。涙もろすぎよ」

 笑っている君の目も確かに光って、世界の何よりも美しい。



「で、今度旅行に行くのにお土産はいるの? ってメールしたんだけど。返事は?」

「あ……」

 君からのメールで、ここまで来たから返事をしていなかったんでした。

「まあ、いいけれど。適当に貴方が気に入りそうな物を買──」

「お話を! 土産話を聞かせてよ、直接会って!」

「……そんなのでいいの?」

 我ながら、必死すぎてあまりにも酷い返答だなあと呆れて笑いそうになります。
 ほら、君も少し困ったような表情を浮かべて。

「私たちさ──」

「僕たち! ……僕たちは、アダムとイブになれるかな」

「ううん、なれないわ」

「え?」

 さっきからいつ言おうか、と用意していた言葉もあっさりと否定をされて、キザすぎて引かれてしまったなと落ち込みそうな僕。

「私たちは私たちでしょ。何より、私は蛇には唆されないから。貴方はどうだか分からないけれどね」

「逆光で貴方の顔がよく見えないから」とこちらへ微笑みながら近寄ってきたかと思えば、今度は冗談を言って、子供っぽくいたずらに笑っている君に、相変わらずドギマギさせられています。
 そしてそれはきっとこれからもずっと変わらないのでしょう。

 今日も、明日も、君の笑顔が一生続くように祈り続けます。僕にも少しの幸せをという願いは叶えられたから、今度の願いは僕が実現させるのです。



「やっぱりこの前の僕の言葉、キザすぎたよね」

「……アダムとイブね」

「恥ずかしいからやめて……」

「あはは。私は好きだったわよ……本当に」

「だと嬉しいな。ありがとう」

「……もっと貴方は女心を勉強した方がいいと思うわ」

「え、どういうこと!?」

 あれから数日後の夜、僕たちは他愛のない会話をしていました。ベッドに寝転がって君の話を聞いていると、夜は更け込んでいました。
 充電している携帯電話のせいで耳が熱いけど、それすら愛おしい気持ちになります。



 これは引力よりも確かな愛でひかれ合った、地球のどこかで綴られる愛の物語──。

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