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【発酵料理講師の乳がん日記②】自分に腹を立てて腹が決まった


このガン日記はシリーズでお届けしてます。


がん告知で「猛烈に悔しい」から→ 「これでよかった」に変換された
最初の記事はこちら
発酵料理の先生がガンになりました


今回は2話目。

「乳がんの告知を受けてから〜治療する病院を決めるまで」の、怒涛の日々のメモ書きを手直ししつつ、まとめました。






知識ゼロからスタート


乳がんと診断されたのは、2023年12月21日。
お坊さんだってダッシュで走り回る、クソ忙しい年の瀬。

お医者さんから最初に伝えられた情報は

・浸潤型のがんです
・しこりは2センチほどの大きさです

たしか、これくらいだったと思う。


それでそれで? 説明には続きがあるのかな?

と先生をまっすぐ見ると、聡明そうな女医さんの顔面には

『これ以上は説明しないからね』

と書いてあった。

(おおそうか、詳しく言いたくないんだね・・・)

もちろん「ステージ」についても、この時点では教えてもらえない、というかわからない。

病理検査の結果の紙はもらったけど、見たところで、乳がんに関する知識がないので、さっぱりすっぽり分からない。

陰性とか陽性とか、いいのか悪いのか・・・

(あとになって「そりゃ、あのとき先生は何も言えんよな」と赤べこ並みの首の動きで頷く)


箸休め的な画像がないので、赤べこ貼っときます



乳がんに関する詳しい説明がない代わりに、これからわたしがやらなきゃいけないことを丁寧に説明してくれた。


① これから乳がん治療をする病院をよく考えて、決めてね
 (ここが良いよなどの指定はなし、近くだとこの辺の病院、都内ならこの辺の病院と教えてくれる)

②  決まったらここに連絡をしてね、紹介状を作るね
 
(年の瀬だったので、なる早で決めたほうがいいといわれた)

③ 紹介状ができたら取りに来てね
 (急いでくれたのか、3日ほどでできた)

④ 治療してもらう次の病院電話をして初診予約してね
 (自分で予約するよ!)


おぅ・・・了解した。

12月の年の瀬だってのに、こいつはやることが盛りだくさんだぜ。

しかし、こういう人生のミラクルエラーが起こった時は、とりあえず動きを止めない。悲観しないために、動くが吉。

きっちり一週間後には『発酵おせち商戦』スタートだし、悲観しないためにはお誂え向きなハードスケジュールじゃないか。

まず、がん経験者の友人、知人に連絡した。

46歳にもなると、周りには婦人科系のがんサバイブ勇者たちがかなりいらっしゃる。

勇者たちからは的確かつ愛のあるアドバイスをくれた。
さすが勇者だ。
(この時いただいたアドバイスについては、後に詳しくお伝えしたいと思っている)

しかも、時同じくして、夫の従姉妹も乳がんが発覚。

『日本人女性の2人に一人が乳がん発症』という話しの信憑性が、一気に増した。

そんなこんなで、病院情報はだいたい集まったので、ここからは自分で判断する時間。

「家族のことを考えて自宅から近い病院にした方がいいんじゃないか」
という声が、どこからともなく聞こえてくる。

どこからともなくっていうか、間違いなく自分の脳内で再生されておる。

ずっと「家族を優先しなきゃいけない」と思ってきたけど
たぶん今は、そういうタイミングではない。

自分の人生を左右する大きな判断をする時は「自分がどうしたいか」が大事。


自分がどうしたいか


『この手の中にある3つの命がちゃんと生きていけるように』

第一子を出産してからずっと18年間、それがなによりも最優先事項だった。

だから、突然100%自分ファーストでよいとなっても「え、いいの?」と若干恐縮してしまう。


10年前の毎日パニックだった頃の写真貼っとく




いやいや、恐縮してる場合じゃない、そんな暇はないのだ!

とりあえず、思うままに書き出してみるとする。

● 最先端のがん研究も民間療法も自然療法もすべてフラットな目線で、できる限り体感したい

● 自然療法はわたしの周りにすでにあるから病院はしっかりしたところにしよう

● 変に体制が古い病院には行きたくない(ニューノーマル推奨派)

● いままで色々あって、あまり良い印象がない西洋医学の世界だけど、この際だから毛嫌いせずにしっかり見ておきたい

● 『誰かが悲しむのはとっても辛い』今回それがよくわかった

● 誰かが悲しむのを見て見ぬふりなんて、しろと言われても、出来ないし、しない

● 周りが心配するような、賭けに出るような大冒険はしたくない

● まだこどもの成長を見ていたいから、絶対死ねない


書いてみたら、結構あった。

今後治療していくにあたって、いろいろなジャッジが舞い込むだろう。
その都度「自分がどうしたいか」が大事になってくる。
ここは、焦らずちゃんと向き合わねばなるまい。


だがしかし
自分優先といえども、前後左右どっちに転んだって、家族との幸せがあって自分がある。

自分か、他人か、優先順位
そんなものあやふやにして中間を取りたい。

そもそも、そんなもん、どっちかに決められるかーーー!自分ファーストってなんだそれーあほーーーーー!

自分で「自分ファーストで」って思い立ったくせに、だんだんそんなこと言ってる自分に腹がたってきた。


腹を立てたら、腹が決まった。



自宅から1時間半かかるけど、日本で乳がん研究トップクラスの病院(以下、がん研)に決めた。

自宅からちょっと遠いけど、乗り鉄なので問題なし。海が見えるのが嬉しい。

もし抗がん剤治療があって、しんどくて帰れない時がきたら、カプセルホテルにでも泊まろう。


おせちスタッフにがんを告知するか、しないか


お次のジャッジは、おせちスタッフに病気の告知をするか、しないか。

祝い膳であるおせちを、心配の空気の中でつくるのは嫌だ。

でも、何かあった時のことを考えると、だれか一人には知っておいてもらった方がいい。

一番お付き合いの長い、一番強烈に心配性の、いや、愛情深いスタッフRに悲観的にならないように細心の注意を払って伝えた。

がんを大いにサバイブする心持ちであること、死ぬ気はないこと。
前の記事参照


告知、成功。

「よーーし、りこさんのがんをサポートするぞーー!」というポジティブな方に矛先が向いてくれた。ありがとう。

ふー、なんだか達成感。

他スタッフとも、毎年恒例の味噌会の方針について打ち合わせをした。
やり方を変えたいこと、サポートをお願いしたい旨を伝える。


大事な人が悲しむ姿


義母に乳がんだと伝えた時
「なんで、なんで里古さんが・・・」と狼狽えて、目に涙をためていた。

大事な人が自分のために悲しむ姿は、想定外に辛く、悲しい。


発酵の仕事もずっと応援してくれて、いつも遠すぎず近すぎずサポートしてくれる80過ぎの義母。

病院を決めて「がん研にしました!」と伝えると、とても嬉しそうにした。

「国内最高峰の医療機関で治療すれば大丈夫」

年老いた義母には、有名な医療機関が何よりの安心なのだ。
義母の優しい顔をみて、わたしも心底安堵した。

わたしががん研に決めた理由と、義母が喜んだ理由は少し違うかもしれないけど、結果オーライ。(冒険しなくてよかった・・・)


人生は判断の連続だ。


と、いうことで2023年年末はがん治療にむけて、一個一個、タスクをクリアした。

▶︎ 12月21日 地元の病院にてがん告知される 

▶︎ 12月22日 スタッフと今後の方針 MT

▶︎ 12月26日 電話で紹介状作成を依頼 

▶︎  27日 紹介状一式が出来上がったので、取りに行く
      都内がん研へ初診の予約をする

▶︎  28日 発酵おせち制作スタート

2024年は乳がんサバイブの年だ。

自分の身体ととことん向き合えることを、楽しみにしておこう。
前向きに。



つづく


次の【発酵料理講師のガン日記】は『トリプルネガティブ』


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