自分の幸せは、自分で手綱を握る。

ご無沙汰してます、蜂家(ハチノヤ)主任です。

何かしら?この忙しさ。
コロナ関連のあーだこーだの動きがある前から、なぜか全力疾走が続いております。

今日は、こちらの記事を拝見して思うことがありましたので
久々に。

土手山様の記事、色々考えさせられるわよね。

私が読後一番に思い出したことは、最近考えていた
「自分の生活を短期的かつインスタントな喜びでいっぱいにしてしまっていないか?」という問い。

そういったことを考えたきっかけは、たまたまTwitterでこちらの投稿を拝見したこと。
ADHDの方が、自分の特徴をまとめてらしたの。

※個人的には「ADHDは脳の個性」という価値観ですし
 いわゆる「ADHDに該当しない方」でも、疲れたりストレスがたまったりするとこういう特徴が出てくるのではないかと考えています。

その中でも特に印象的だったのが「短期報酬が得られるほうに流れてしまう」ということ。

「今の自分の生活が、まさにそうなっているのでは?」と思いました。
※それがよいor悪い、という話ではないです。

コロナだけでなく、非常に個人的な理由で
ここ数ヶ月色々なことを我慢していました。
自覚はしていなかったけど、すごくストレスが溜まっていたみたい。
そのため、手っ取り早くて手軽な「喜び」「楽しさ」でそれを紛らわせていた気がします。
(生まれて何十年も熱中したことがなかったゲームとかね。)

そんな私も我にかえる時があって、それは料理教室に行くとき。
教室のドアを開けて、階段をのぼっていくと
ビーツを丸ごとゆでる土っぽい香りがしたり。
艶々した季節の野菜をみたり。
そういう「五感がはたらく時間」が、本来の自分に立ち返るのに必要だとわかった。

料理教室が自分にとってそれだけ大事なものだと気付いたから、
少し前までお付き合いしていた方が(同棲しているわけでも、生活費を頂いていたわけでもなかったけど)
私の家計に物申してくるので、料理教室のレッスン料は内緒にしていたし
(彼にとっては、信じられない金額だったから。)
これから先、家計をスリムにしていかなければならなくなっても
今の料理教室は「最後の砦」だと思う。

ちなみに、そんなことに気付いた私が決意したのは
「1日24時間の中に、自分が本当に好きなことで建設的な喜びを増やしていこう」ということ。
※先ほど「手っ取り早く手軽な喜び」の例でゲームをあげたけど
 心の奥底からゲームが大好きなら、それを大事にするといいと思う。

例えば、もう少し英語が話せるようになれば
コミュニケーションがとれる人数が飛躍的に増えるわよね。
そう思うとワクワクする。

子どもの頃から本を読むのが好きだったから、その予算と時間を確保する、とか。

そういった種類の喜びを増やしていけば、おのずと「手っ取り早くて手軽な幸せ」に割く時間も減るし
そもそも欲しなくなるのでは、と思いました。

このことは、裏を返すと「私は自分を大事にしていなかったし
色々我慢している自分を一切労っていなかった」のだと思う。

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土手山様の記事に、こんな文章があります。

まずはそうやって自分で晩御飯をこしらえて、一日の自分の頑張りに報いるべきです。
「今日も一日お疲れさま」。「がんばったな」と。

極論ですが、自分のことを大事にできるのも、真に労うことができるのも、自分だけ。
自分がどれだけ頑張ってきたかを正確に把握しているのも、自分です。

そんな自分を労うものは、なんなのか?

立ち止まって、そんなことを考えるのもいいのではないでしょうか。

私も経験があるけど、お金も時間もなくて
コンビニで調達した魚肉ソーセージかじって
手っ取り早くアルコール度数が高い缶チューハイを飲むしかない時もあります。
(それはそれでいいんだよ。
 その時自分ができる「最高の労い」なんだから。)

そんな時でも、今の自分の制限をとっぱらって
「自分に必要なものは何か」考える。
そうやって、自分の幸せと自分の人生の手綱を握っていくのがよいと思う。
(個人的な意見ですが。)

自分の人生を、自分以外の何か・誰かに明け渡さない。

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