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柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020

<1945年初夏、「九九軍偵」に曳航された後、柏飛行場を飛行するMXY8「秋草」※秋草は、秋水の訓練機として制作された木製のグライダー。
撮影:木村秀政 所蔵:田中昭重 パノラマ加工および提供:柴田一哉 
カラー化:渡邉英徳(「記憶の解凍」プロジェクト):カラー化監修 片渕須直  >      

(長いイントロダクション)秋水のことは、ずっと気になっていた。


僕の機体、M-02Jの大先輩に当たる機体。水平尾翼がなく、丸っこくてオレンジ色で、一見してかわいらしい、とも思えるフォルム。
日本で最初の無尾翼 HK-1(1938年初飛行)から7年後、ドイツのMe 163B をベースに作られた「秋水」(しゅうすい)。

2006年、8月25日。無重力体験をするために訪れた三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所。そこの「史料室」ではじめて見た、復元された秋水は淡い緑色をしていて「なんかアマガエルっぽいな」とか思ったのを覚えている。
(ちなみにこの復元機の機体色に関しては、当時の機体色とはかなり異なっているらしいです。<片渕監督談。)

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<秋水復元機の前に立つ私>

その用途は局地戦闘機で、つまるところ、各地に飛来する爆撃機B-29を迎撃するための専用機体でした。そのため、推進にロケットエンジン(!)を使っています。推力は1.5トン。ちなみに北海道で民間でロケットを作っているインターステラテクノロジズ社が打ち上げてるMOMOロケットの推力が1.2トンです。それに長く関わっている人としては、ちょっとクラクラします。

<ISTのMOMOエンジンのテスト映像。これが1.2トンで、秋水のはこれよりパワーがありました>

ちなみに「ロケット推進の有人機」は、1945年7月7日初飛行をしました。この秋水の試験飛行以降、日本で有人ロケット機が飛んだことはありません。
戦争末期、本土に空襲を受けて追い詰められていく中、たった一年で、全く新しい技術に挑戦しながらつくられた特殊な航空機。
対使徒専用の最終人型決戦兵器のエヴァンゲリオン、みたいな。

僕の機体M-02Jが、エンジン付きで飛ぶのに開始から13年かかりました。もちろん単純に比較できないことなのですが、似たようなことをやっているとその「尋常じゃなさ」は痛切にわかります。新型エンジンを使った新型の機体、操縦感覚も速度も全く違う機体の開発期間として1年は「ありえない」というのが正直な感想です。現代の感覚だと「来年の冬までに、火星まで行ける有人ロケットを作る」とかでしょうか。
無理無理無理。調べれば調べるほど、終戦直前に出現したオーパーツのようにも思えてきます。

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ファインモールドの秋水のプラモデル。

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ファインモールド 1/48 日本海軍 局地戦闘機 試製秋水 プラモデル 
<アマゾンへのリンク。説明書がものすごく詳しい秋水解説になってるのもおすすめポイントです!>

2019年、アメリカでも最大規模のエアショー、オシュコシュエアショー(EAA AirVenture Oshkosh)に自分の機体、M-02Jを持っていってデモフライトする、という貴重な経験をしてきました。もともとOpenSkyプロジェクトは「独自設計の飛行機が日本にはびっくりするくらい少ない」という事実に端を発していて(え?本当?と思った人はWikipediaで「日本製航空機一覧」で検索してみてください)、その原因が第二次世界大戦と敗戦にある以上、プロジェクトのゴールの一つは「米国で日本製の機体を飛ばす」というところにもあったのですが、実際やってみて自分にとって大きな経験や発見がいくつもありました。

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<EAA AirVenture 2019でのデモフライト前のひととき。前方にタキシングしてるのはA-10サンダーボルトII。非現実感多め。>

キラキラ光ってたB-29

そのうちのひとつは、広島と長崎に原爆を投下し、日本の都市に壊滅的な被害をもたらしたB-29が、実はものすごく美しい機体だったこと。
2017年にもオシュコシュエアショーに下見にいったのですが、そのときに遠くにキラキラ光る美しい機体を見つけ、近づいていったらそれがB-29で、まずその事実にショックを受けました。

米国には現在も飛行可能なB-29が2機だけ現存しています。会場にあったのはそのうちの一機「Doc」でした。
「白雪姫と七人のこびと」の『先生』の愛称をもつ「B-29 Doc」は最後は標的機としての廃用後、砂漠に放置されていたのを、いくつかの航空博物館の所有を経て、2013年に非営利団体「Doc'sFriends」に所有権が移り、多くのボランティアメンバーが募金で集めた費用と自分たちの労力を使って、2016年に60年ぶりの飛行を果たしました。ボランティアの人達の熱意もあったのでしょう、2017年のエアショーでは新品同様の美しさで、多くの人の関心を集めていました。僕も「史実の中のB-29」ではなく、外の陽光の下でのB-29を見るのは初めてで、脳内の「たくさんの人の命を奪った悪魔のような機体」と、目の前のキラキラした機体がストレートには結びつかず、しばらく立ち尽くしていました。ちなみに、この機体が日本に空襲に来ていたら嫌だな、とは正直思ったのですが、後で調べたところ1945年に製造された機体ですが、一度も戦闘に参加しなかった機体だそうです。

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<B-29 Doc。ぴっかぴかで、周辺のひとが写り込んでます。シカゴのクラウド・ゲートみたい。>

秋水に話をもどします。


対B-29専用迎撃機としての秋水

1945年の3月10日の東京大空襲では、B-29が279機、作戦に参加したそうです。これ以前にも、大規模な空襲を日本は何度も受けていましたが、高々度を高速で飛び、4発の過給器付き大型エンジンを持つ新世代の爆撃機B-29には、従来の戦闘機や高射砲は歯が立たず、打つ手がない状態でした。そんな状況のなか、起死回生の手段として「ロケット推進で3分半で高度1万メートルに到達できる、対B-29専用迎撃機」としてとして作られたのが秋水だったりします。

秋水の完成した機体はおそらく7機程度と言われていますが(うち一機は7月7日の試験飛行で大破)、オリジナルの機体が1機だけ現存しており、それは米国、カリフォルニア州の、プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館にあります。

この航空博物館は第二次世界大戦の機体を、飛行可能な状態でコレクションしていることで有名なプライベート博物館なのですが、2019年のオシュコシュのデモフライトのあと、現存する秋水を見たくなり訪れました。

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<世界に存在する最後の一機のPlanes of fameの秋水。背景を柏か横須賀に変えたい…>
試験機に使われるオレンジ色で塗装された、丸っこい小さな機体。やはり「かわいい」と感じました。実際には推力1.5トンで急上昇して迎撃するロケット戦闘機なのに。ちなみに胴体が丸いのはコックピットの左右と真後ろに、酸化剤である過酸化水素水(濃度80%)を積んでいるからです。もちろんこれ、危険な薬品です。ちょっと扱い間違えると、爆発します。人にかかったら、人を溶かします。(そういう事故がモデル機であるドイツのMe163Bであったそうです)

ちなみにプレーンズ・オブ・フェイム航空博物館には、やはり世界で唯一の栄エンジンで飛ぶことが可能な零戦、零式艦上戦闘機五二型がコレクションしてあり、毎年開催されるチノエアショーでは、栄エンジンの音と貴重な飛行シーンを見ることができます。

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<零式艦上戦闘機五二型。エンジン下のオイルパンは、「飛行可能な機体」の証。剥製ではなく、生きている飛行機です。>

アメリカに行って感じたのは、資料を保管、保全し、歴史を記録することの大切さです。プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館にある秋水も、もとはスクラップにされる直前に、博物館の創設者、エドワード・T・マロニーによって買い取られて救われたおかげで、この世界に唯一残っている、という事実があります。

保存していないと失われる。

すべてのものがそうであると思いますし、美術館、博物館はまさにそのためにあるのだと思います。
そして、保管、保全するためには「残そう、伝えよう」という誰かの熱意が必要である、ということも。

75年前の戦争に関しても、その当時の方々の生の声を聞く機会は、本当に少なくなってきました。

『この世界の片隅に』という映画をご覧になった方も多いと思います。
こうの史代さん原作で片渕須直監督によって2016年にアニメーション化され、11月12日に公開されたこの映画は、(コロナで上映が困難になった1日をのぞき)なんと現在でも公開が続いています。

私も三回見に行ったのですが、見るたびに泣いてました。コトリンゴさんによるサントラも持っていて、車の中でiPhoneで音楽かけてて不意にかかったりして感情がフラッシュバックすることもあります。

あの映画を見た多くの方に同意してもらえると思うのですがそれはひとえに、片渕須直監督のリサーチの膨大さとスクリーンに当時の人・街の状況を再現しようとする熱意の量、なんだと思うのですよね。それがあの映画に厚みを与えていて、見た人をタイムスリップさせてしまう。別の人にも見てもらいたくなってしまう。(僕も学生連れて行きました、そういえば)

戦争に関わることを企画するのはなかなか難しいです。


特に、兵器に関するようなことは。
戦争は嫌だし参加したくないし、巻き込まれたくない。こちらから攻撃するのも攻撃されるのも一切が嫌だ。当然そう思います。
しかし、そう思うのならなおさら当時のことを知っておいたほうが良い、とも一方で思います。
当時の人が、どんな考えで、どんな気持ちで、そこにいたのか。何が作られ、なにが起きたのか。終わったときにどう感じたのか。もちろん、多くのことは本当はわからない、というのはあります。ただ、それにしても、手がかりになることや調べればわかること、ひそかに町中に残っているものもあります。

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小林エリカさんのドローイング。(C) Erika Kobayashi Courtesy of Yutaka Kikutake Gallery


今回は柏の葉にあった柏飛行場と、そこで配備される予定だった機体、秋水を題材に、そのあたりを探っていければ、と考えています。ただ基本の方針として、僕は今回のこの企画は、柏の葉に住む人達が、街への愛着が深まるようなものとして作りたい、とも思っています。
住んでいるこの街にあった歴史を知ることで、その街が好きになる。そういうことになればいいな、と思って企画しました。
その意味で、今回は以前からこの街を深く調べている、柏歴史クラブの方々に大変お世話になりました。柏歴史クラブの人達と、そして小林エリカさんと実際に町中を歩きながら作った街歩き動画も、展示とYouTubeで公開していきます。

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<柏歴史クラブ会長 上山さんに、飛行場ができる以前の柏の葉のことを聞いているところ。>

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<柏歴史クラブの櫻井さんに、こんぶくろ池自然の森のなかの、えんたい壕を案内してもらっているところ。「掩体壕」は戦闘機を隠すための場所です>

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<秋水研究者の柴田さんに、秋水について聞いているところ。後ろは実は燃料庫だったりします>

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<柏歴史クラブの小林さんの案内で燃料庫についてレクチャーしてもらいました>

これらの動画は近日公開予定です。

木村秀政さんが撮った、柏飛行場の写真

また、このページのトップに出している、写真。これは木村秀政さんという方が撮られた写真です。木村秀政さんはこの本の方。

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<木村秀政さんがいたから、日本の航空が生き残っている、とも思っています。鳥人間コンテストの審査員もやられてました>


この方は日本の航空界に多大な功績をもたらした航空機設計者で、例えば零戦の設計者 堀越二郎さんや飛燕の設計者 土井武夫さんと同じく、東京帝国大学工学部航空学科の出身の方です。戦前は日本最初の無尾翼機HK-1や世界記録を樹立した航研機、太平洋横断を目指した長距離機A26などに関わった方で、戦後は東大から日大に移り、多くの航空機エンジニアを育てました。そしてなにより、僕の機体を作ってくれた(有)オリンポス設立時の顧問となった方でした。だから、私の機体とも浅からぬ縁のある方なのです。
その木村秀政さんは、1945年の終戦の年、春から終戦の間まで、野田市に住み、柏飛行場で行われる訓練機秋草の試験飛行や秋水のエンジンテストに立ち会い、スナップ写真を撮っていました。これは非常に例外的なことで、当然ながら柏飛行場は軍事基地なので、基地内の私的な撮影は禁じられています。そんななか秋水担当の実験部隊「特兵隊」隊長の荒蒔少佐から無尾翼機の経験を頼って嘱託された木村さんだからこそ撮れた貴重な写真が残っていて、秋水研究者の柴田一哉さんにそれらの写真をお借りして、長く「記憶の解凍」プロジェクトをやってらっしゃる東京大学の渡邉英徳さんにカラー化をおねがいしました。また、特に航空機やパイロット服のカラー化に関しては、片渕須直 さんにアドバイスをいただきました。

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<1945年初夏、柏飛行場のMXY8「秋草」とパイロット
撮影:木村秀政 所蔵:田中昭重 提供:柴田一哉 
カラー化:渡邉英徳(「記憶の解凍」プロジェクト):カラー化監修 片渕須直>

現在、上記写真以外にもカラー化を進めています。

ずいぶん長いイントロダクションになってしまいました。

こういう考えで準備してきた展示を、2020年12月7日(月)- 20日(日)、柏の葉T-SITEで開催します。

展覧会見どころはこんな感じ。
1 柏の葉に7年間だけ存在した、首都圏防衛のための飛行場「柏飛行場」。その設置から廃用まで。
この地を長く調査してきた、柏歴史クラブの人達と、柏の葉に残る戦争遺跡を歩きながら探ります。

2 戦争末期に現れたロケット迎撃機「秋水」の痕跡を柏の葉に探る。
日本で最初で最後の「ロケット有人機」秋水。運用直前に終戦になったその機体を検証します。

3 柏飛行場とその日常
航空研究者、木村秀政氏が見て撮った柏飛行場の写真をカラー化することで、柏飛行場で行われていた訓練や、その日常を想像します。

<開催概要>

展覧会名称|柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020
会期|2020年12月7日(月)- 20日(日) ※会期中無休
開館時間|9:00-21:00 ※最終日20日のみ17:00まで
会場|柏の葉T-SITE(千葉県柏市若柴227-1)1F
観覧料|無料
主催|東京藝術大学、三井不動産株式会社
企画|八谷和彦(東京藝術大学 先端芸術表現科)
出展者|八谷和彦 柏歴史クラブ 渡邉英徳(「記憶の解凍」プロジェクト) 柴田一哉(秋水研究家) 梅原徹 鈴木みそ 小林エリカ 市川義夫(秋水史料研)
撮影・編集|髙橋生也
協力|柏市 柏市教育委員会 片渕須直 稲川貴大(インターステラテクノロジズ) 佐久間則夫(秋水史料研) 浦久淳子(柏歴史クラブ) 東京藝術大学 先端芸術表現科 NPO法人こんぶくろ池自然の森 柏の葉T-SITE
問い合わせ先|柏飛行場と秋水展 実行委員会 
(問い合わせ先、公式Webページは近日公開)


追加コンテンツや関連イベントなどは、今後このnoteにてご案内します。
展覧会開始前〜開始後もコンテンツ増やしますので、ぜひ見てください。

八谷和彦

更新した記事は、下記のマガジンに記載します。
柏飛行場と秋水 - 柏の葉 1945-2020| hachiya #note

https://note.com/hachiya/m/m0da130674dff

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