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MRJ開発者インタビュー:日本のデザイン2010再録

2010年、「日本のデザイン2010」という企画で、六本木ミッドタウンのデザインHUBで展示を行いました。今回の「秋水とM-02J」展にはその展示の続き、という側面もありますので、当時モリナガ・ヨウさん、松浦晋也さんと取材した記事を、11年ぶりに再録します。(肩書、内容などは当時のものです)

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イラスト モリナガ・ヨウ

2010年3月19日 三菱重工業 大江工場にて

MU-300の思い出は、泥臭い話ばっかりです。ウォータースプラッシュ試験という、機体を水たまりに突っ込ませる試験があるのですが、そのための水たまりをまず自分で作るんですよ。土手を作って水撒いて… (藤本隆史)

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藤本隆史氏( ふじもとたかし)
三菱航空機株式会社
常務執行役員 MRJプロジェクトマネージャー 兼 機体設計部長

■MU-300、F-2、787、747、そしてMRJ

八谷:日本の製造業は長らく自動車と家電が飯の種だったわけですが、いつまでもそれで行けるわけではないと感じています。実際液晶TVなど家電は韓国などからの追い上げがあってかげりが出てきている。日本の次の産業として航空機はどうかという問題意識で話を聞かせてもらえればと思います。

藤本:了解です。

八谷:実は私もこんな飛行機を自分で作っています (と、オープンスカイの資料を渡す)。ホンダの藤野さんには「お腹の下にジェットエンジンが載っているんですか。勇気がありますね」と言われちゃいました。もしもジェットエンジンのブレードが飛び散ったらパイロットのお腹に刺さっちゃう可能性が…。でもまあこれはデザイン優先の自作機で型式取るわけではないのでOK、としているんですけどね。
 それでもだんだん自分のお腹の下でジェットエンジンが回ることにも慣れちゃうもので。今は、エンジンをかけての低速タキシング試験をやっているんですが。
 そうして感じることは、今の日本では飛行機を自作する人は少ないですね。そもそも飛行機を作った経験を持つ人があまりいない。そこで、数少ない経験者として、藤本さんが、どんな経歴で飛行機に関わってこられたのかをおうかがいしたいんです。

藤本:最近の話と過去の話と両方ですね。

八谷;そうです。お願いします。

藤本:会社に入ってすぐビジネスジェット機のMU-300を8年やりました。ご存じかと思いますが、アメリカのFAAが型式証明の審査基準がちょうど厳しくした時期のことです。次に航空自衛隊のF-2戦闘機を8年やりました。その後、課長とか部長とかの管理職をやった期間が6年ばかり挟まってます。そしてMC-5というJR東海のリニア実験線車両のプロマネも2年やりました。山梨実験線で走っている車両です。それからボーイング787プロマネですね。複合材主翼ができるかどうかで、これが試作機の6号機までの主翼を納めるまで4年間。続けて同じくボーイングの747-8の中央翼部分のプロマネを1年やって、そしてMRJです。

八谷:787の複合材の主翼はどうでした?

藤本:金属製の主翼は経験もありましたから、なんとかなるかと思っていましたが、ジレットというボーイングのチーフエンジニアが複合材を使うと決めまして、最初はだいぶ驚いたし危惧もしました。「あんな大きなものを複合材で作れるものなのか」と…

八谷:藤本さんにしても驚きの決断だったのですね。民間機と軍用機と両方やっておられますが、三菱重工での技術者のキャリアパスでそれは普通なのですか?

藤本;いや、ふつうは民間機か軍用機一筋です。

八谷:それでは787はF-2で複合材主翼を開発した経験を買われて、とか?

藤本:そうですね。787のでかい複合材主翼に関してはF-2の経験がある自分がやらざるを得なくなった、という部分はありました。

■MU-300と過ごした日々。

八谷:MU-300はダイヤモンドエアサービス所有の機体に乗ったことがあります。そのときはパラボリック・フライト、つまり無重力体験飛行ですね。パラボリックフライトは急上昇、急下降を繰り返すのですが、それに対応できるようにきちんと出来ている、と感じました。あれも1970年代設計の機体ですよね。このころにこういう機体が出来ていたなんてすごい、と正直感じました。

藤本:DAS(ダイヤモンドエアサービス)の機体は60数号機でしたっけ、けっこう新しいんです。実は三菱重工の社有機は試作2号機です。あの2号機は私の戦友みたいなもので、テキサスで2年間飛行試験をやったときは500回以上乗りました。今年3月一杯にリタイヤの予定なので、引退後は小牧工場の資料室に展示してくれないかな、と願っているんですけどね。
 テキサスでの飛行試験は、パイロットとメカニックはアメリカ人で、飛行試験のディレクターとして自分が指示を出しました。当時アメリカでは試作1号機と2号機と2機飛ばしたんですが、FAAの型式証明(TC)が一応取得できたら、主要メンバーはみんな日本に帰っちゃった。でもって、入社2年目の私と係長と2人で残る業務を全部やりました。係長は基本的に飛行機に乗りません。乗るのは私だけです。機体を整備して、飛行計画をつくって、乗って、デブリーフィングして、データを名古屋に送るという仕事を全部ひとりでやっていました。
 FAAの代理の人間(DER)とネゴシエーションして、設計変更についても「いやこっちの主張が正しい」とやるわけです。

八谷;そんなタフネゴシエーションを新人時代によくこなしましたね。

藤本:当時、MU-300を開発していたのは社員全部で30人ぐらいです。しかもオイルショックの後で新規採用を控えていたものだから若手がいない。自分は5年ぶりの新入社員だったので「じゃ、いってこい」ということになったんですよ。

八谷; そういえばホンダの藤野さんからも新人でMH02を担当されたときの話をお聞きしました。

藤本;ああ、ホンダさんもあの頃の自分らと同じ事をしているんでしょうねぇ。MU-300の思い出は、泥臭い話ばっかりです。ウォータースプラッシュ試験という、機体を水たまりに突っ込ませる試験があるのですが、そのための水たまりをまず自分で作るんですよ。土手作って水撒いて…
 速度を計るピトー管と静圧孔には水が入っちゃいけないのですが、「機体のこの部分に水が飛んではいけない」という部位が規則で指定されているんです。水がかかったかどうかを調べるのは食紅です。機体に食紅を塗っておいて、水たまりに突っ込ませる。水がかかると食紅が流れて、「あ、水がかかったぞ」って分かりますからね。その食紅も自分でスーパーで大量に買ってきて機体にせっせと塗って。で、試験の準備ができるとおもむろにFAAの人間がやってくる。


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三菱航空機株式会社 社屋

八谷:すごいローテクですよね。そのMU-300の開発・認定からずいぶん間があいてしまってますが、もう当時の人はいないですよね。

藤本:名航に残っているのは私が最後の一人ですね。※1

※1 三菱重工本社には当時の担当の方がいらっしゃるそうです。
  ちなみに名航とは三菱重工 名古屋航空宇宙システム製作所のこと。

■日本で型式を取ることの困難さ。

八谷:FAAの型式認定(TC)を取るのは非常に難しいわけですが、ホンダはそこをスムーズにするために機体もアメリカで製造しています。しかしMRJは日本国内で設計製造している。日本国内でどうやって試験して、アメリカの型式認定を取るのか、という点をお伺いしたいのですが。最終的にはアメリカと欧州の型式認定を取らないと、世界中に販売できないわけですよね。

藤本:MU-300はホンダジェット同様に、日本ではなくアメリカのFAAの形式証明から取っていったんです。これにはマーケットにいちはやく届けるという意味もありました。
 一方MRJはJCAB TC※2という日本の基準から取っていきます。JCAB TCですがFAAにもEASAにも申請しています。シャドウTCという手法で、FAAとEASAがJCABを通して間接的に審査するという方式です。お互いにいったりきたりすることで同時並行で型式をとっていきます。

八谷:日本の場合、そもそも官の側の審査官にも経験者は乏しいですよね。特にこんな大型の旅客機の審査はYS-11以来で相当大変だと思うのですが。

藤本:そうですねえ。審査官のほうにもMU-300が日本の型式を取った頃の方はほとんどいません。その後三菱のMH-2000と川崎のBK-117C2といったヘリコプターで型式認定の作業を経験した方々がいます。そういった人たちが中核になって、今は名古屋空港にTCセンターというものを作ってもらって、我々は今毎日そこにいって審査をしてもらっています。審査官チームは40人ぐらいです。

八谷:MRJは補助金がいくらついた、というようなところばかりが報道でクローズアップされますけれど、本当はきちんと日本で型式証明の審査ができるかが最も重要ですよね。でないと今後継続的に日本で飛行機を開発することができなくなる。

藤本:そのあたりは継続的にできるようにして欲しいとお願いしています。審査官チームにはJAXAやエアラインからも出向してもらっています。

※2 JCAB TC 日本の国土交通省航空局(JCAB)の耐空審査型式証明のこと

■日本で試験飛行をするには・・・

八谷:こういう試作段階の航空機を飛ばすことに関する法律はどのようになっているのでしょう。

藤本:法令的には11条但し書きです。

八谷:あ、私の自作機と同じなんですね。じゃテスト中の機体番号もJXナンバー※3?

藤本:通常のJAナンバーはTC以降になります。

八谷:なんだか急に親近感がわいてきました。(笑)

藤本:型式上は通常機のN類、旅客輸送のT類という大きな区分があるんですが、それとは別に試験機のX類という区分がありまして、それを使うことになります。MRJは基本的には国内で飛行試験を行います。伊勢湾沖と小松沖に設定されている試験空域を使います。どちらを使うかは、現地の天候で判断します。

八谷;国内だけで試験を行うんですか?

藤本:日本ではできない試験もありますよ。ナチュラルアイシングという主翼にわざと天然の氷を着氷させる試験は天候的に国内では難しくて、アメリカに機体を持っていく必要があります。その場合アメリカ国内でFAAのX類として飛ばすことになります。
 そのほかリジェクテット・テイクオフ(離陸中断試験)はUFOで有名なロズウェルでやったことがあります。機体を低温環境に置いて動作させる試験も機体が入るの低温棟がアメリカにしかないのでこれもフロリダにある施設で行うことになります。

八谷:やはりアメリカでやるんですね。

藤本:型式証明を取る技術がなければ、飛行機の開発はできません。安全性に関する法律はきびしくなる一方です。それを商品性を保ちつつクリアするというあたり、航空機の開発は新薬開発に似ていますね。

八谷:リジェクテッド・テイクオフって、離陸滑走途中で離陸をやめて急ブレーキをかける試験ですよね。

藤本;そうです。スピードが乗っているところから一気にブレーキをかけますから、ブレーキは真っ赤かになって、しかもタイヤはパンクする。炎が出ることもある、過酷な試験ですよ。滑走路の反対側に消防車が待っているところに突っ込んでいくわけです。MU-300でリジェクテッド・テイクオフ試験をやった時は、パイロットと私が、最後に機体から飛び出して逃げる手はずでした。まず私が逃げて、次にパイロットが逃げるはずだったんですけれど、気が付くと私よりも先にパイロットが逃げていた(笑)

八谷:それはひどい(笑)

藤本:ブレーキやタイヤの温度を測る必要があったんです。今なら電波で計測データを送信することもできるでしょうけれど、当時はそうはいかなくて、機体から計測ラインを引き出さなきゃならなかった。私が計測ラインを抱えて敷設しつつ機体から逃げることになっていたんですが、もたもたしているうちにパイロットのほうが先に逃げちゃったという、まあそういうわけです。

※3 JXナンバー 試験飛行中の機体は、型式証明がとれていないため、航空法上の特例措置である「航空法11条ただし書き」の特例措置で試験飛行を行うことが許可される。この場合、試験飛行中の機体にはJAではじまる通常の機体記号ではなく、JXを先頭とした機体記号が与えられる。
ちなみにM-02Jの登録はJX0122。

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MRJの客室内モックアップ。オレンジや青の線は、競合機のサイズを示している。

■技術立国日本の進む道

八谷:そろそろ核心の質問もしたいのですが、日本の産業の中で航空機産業は次世代の日本を支えることができるとお考えですか? 今の日本は極言すれば自動車と家電製品で食べているわけですけれど、いつまでもこの2つの製造業が日本経済を支えられるとも思えないんですよね。そのとき、例えば航空機は日本という国を支える産業たりうるのかというのがこの企画の大きなテーマなんですが。

藤本:飛行機はシステム製品です。大きなシステムをきっちりとインテグレーションするところにしか、技術立国日本の進む道は残されていないんじゃないかと思います。品質を確保しつつ効率もクリアする、他の国が追いつけないところをやっていくしかない。航空機の開発と製造は日本の取るべき手段のひとつだと思います。やるべきだしやれると思っています。

八谷:それも、今やらないと間に合わなくなる…ですよね。

藤本:それはあります。

八谷:きっとMRJだけでは終わらないですよね。別の機体とか後継機とか、次々に検討して開発していかなくっちゃならない。でないと「なんだ、後継計画もないのか」とエアライン各社が三菱の機体を信頼して買ってくれないでしょう。別のラインの飛行機を三菱航空機が作る可能性はあるのでしょうか。例えば小型のビジネスジェットとか30〜50席程度の旅客機とか。MRJよりも大きな機体を開発するとなると、ボーイングが黙ってはいないと思うんですが、なにか、こういう機体を作ったら面白いというような考えはありますか。

藤本:次の展開ですよね。まずはこのMRJを立ち上げたところから話すと、経済産業省のグリーンジェット構想が動き始めた時、実は旅客定員19席のコミューターを代替する30〜40席ジェットを開発するという構想でした。それが段々大きくなって、今のMRJに至っています。
 今はMRJでリージョナルジェットの分野における盤石の体制を作ることだと思っています。サポート体制を完備してお客様に満足してもらえるまで10年、20年とかかるでしょう。その次は、やはり大手と競合しないような分野、ちょっと大きな機体とか——で、ビジネスモデルを考えることになるでしょう。しかし、リージョナルジェットの分野で基盤を確立しないと、その先のビジネス展開はありえないでしょう。

八谷;構想は30〜40席からはじまったわけですから、そのあたりの小さな機体を開発する可能性はありますか。

広報:今、MRJファミリーの中で100席クラスの検討が始まってます。

八谷;むしろ、ちょっと大きな機体のほうがニーズがあるという判断ですね。

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■リージョナル機の難しさ

藤本:20年前は19席程度の小さなコミューターがアメリカで3000機ぐらい飛んでいたんですよ。当時はその代替機を目指していたわけですが、今はそれよりも大きな機体サイズのところに市場のフォーカスが移ってきました。お客様にとっては、使いやすくてコストが安くて安全な機体がなによりです。厳しい世界ですね。

八谷:路線バスに近い世界ですか。

藤本:リージョナル機はビジネス機に比べても、設計に遊びは入れられないです。なにしろ機体寿命中に8万フライトを要求されますから。機体も格納庫に入れて大事にしてもらうというわけにはいかず、野ざらしの駐機もあり得るでしょう。それでも機体は安全に飛ばなくてはなりません。設計上はなによりも実用性を最優先しないといけません。

八谷:三菱の機体って技術的には素晴らしいですよね。

八谷:そう、MU-300は機体としては本当に素晴らしかったんですよねえ。色々あって、機体の権利をビーチ・エアクラフトに売ってしまった後、米空軍が練習機に採用したぐらいですから…

松浦:その一方で、ユーザーニーズをくみ上げる部分が今ひとつという傾向がなきにしもあらずという印象があるんですけれど…旅客機のお客さんって、3種類あるじゃないですか。航空会社、パイロットや整備員、そして乗客って。この3つのお客さんのニーズはそれぞれ違っているけれど、でもきちんと全部満たしていかなくちゃならない。

藤本:そのあたり、私たちも十分に注意しています。ローンチ・カスタマーを始め航空会社とは緊密に連絡を取りつつ設計を進めています。MRJでは三菱プロパーだけではなく、航空会社勤務経験者を採用して、ニーズのくみ上げにも努めています。去年行った大規模な機体設計の変更もその結果のひとつと考えてもらえればと思います。


(2010年3月19日 三菱重工業 大江工場にて)




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