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【コトダマ010】「私たちは訓練を受け・・・」

私たちは訓練を受け、特殊な理論や技法を学ぶ。そのことによって、クライエントの役に立とうとする。そうすることで、見えにくくなるのは、特別に取り組まれている専門的作業の外で、「ただつながっている」ことにクライエントが支えられているという素朴な事実である。

東畑開人『ふつうの相談』p.66

著者は心理療法家ですが、この言葉は援助職全般に言えることではないかと思います。
ただ、どう捉えてよいか、ちょっと難しいですね。

「そんなに肩肘張らなくても、『ただつながっている』だけで十分なんだよ」という意味にも取れますし、

「小手先の『専門性』にばかりとらわれて、クライエントとつながっているという基本的な事実を忘れてはならない」という警鐘とも読めます。

個人的には、このくだりを読んだとき、ちょっとホッとしたのを覚えています。
「何もできていないように思えても、つながっているだけで、ひょっとしたら役に立っているのかもしれない」って。
いや、著者が言っているのは、「専門的作業」ができているのが前提の話でしょうから、これは「曲解」なのかもしれませんが。

ゴミ屋敷の住人の方とか、ひきこもりの方など、そもそも介入が難しいケースと関わっていると、「何もできていない」と焦ってしまうことがあります。
サービスにも医療にもつなげられない、じっくり話をすることもできていない、等々。
でも、あなたが訪問しているというだけで、
どんなに拒否されても、定期的に顔を見せてくれるというだけで、
ひょっとしたらその人は、どこか救われているかもしれません。
それが蜘蛛の糸のような、細い細いつながりであったとしても。

この言葉、こんなふうに理解しては、いけませんかね。


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