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6月23日。
昭和21年に松本養蜂場(現;松本はちみつ家)を創業し、会津ではちみつと言えば松本という『常識』を作った爺さん、松本博信の命日。
大正11年生まれ。
生きてたら102歳。
この辺では有名な秀才だったらしく、当時酒造業を手伝いながらも早稲田大学に1発合格。
だが世情は戦争に...。

自ら志願し兵隊になるも、戦地に送られる船が爆撃を受け、8時間かけ台湾まで泳ぎ辿り着く。
台湾人の呂さんという方に拾われ、台湾人として生きろと言われ、あっという間に台湾語を習得し、戦時中は台湾の寺院で子供達に勉強を教えていたと、婆さんが書いた手記に書き記してあった。

ほどなくして終戦。
会津に戻った爺さんは、何もない時代にはちみつなら甘いから皆んなが喜ぶだろうと一念発起して養蜂業を学び、事業を立ち上げる。
一部では財閥とまで言わせしめるほどの豪商になるも、弟たちに事業を任せ、自分はある意味での自由人となり、ほぼ不動産収入で莫大な資産を築いた。

ある時、市から電話があり、ある台湾人が貴方を探していると連絡があり、役所に行ってみると当時教えを受けていた元生徒が大人になって爺さんに会いにわざわざ台湾から来てくれてた。
この出来事は少し新聞記事にもなったらしいが、それは定かではない。

いずれにしても僕はこの人の血を引いている。
長男である爺さんは完全なる平和主義者だった。
争い事を嫌い、何があってもその争いの場には足を向けなかった。
それが後々色々なことに繋がることだけは秀才でも気が付かなかったのか、はたまた試練を与えるためにやったのかは知らないけど、今俺はめっちゃ楽しんでやっているからな‼️
天から見といてな。
おー、俺の孫相変わらず馬鹿やってるなって笑ってたらしてやったりよ。

いずれにしても今日は爺さんの命日。
そんな僕は商談かました後にLIVEっすよLIVE‼️

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