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そうなるものだという予感

「ゆりちゃん」と呼ばれることの多い一年だった。これまで苗字か、ろくでもないニックネームで呼ばれることの多かった自分にとって、なかなか新鮮な体験だったように思う。

最後にそう呼ばれた記憶は小学生高学年の頃のもの。以降しばらくご無沙汰だった「下の名前+ちゃん呼び」がおよそ十五年ぶりに復活することになるとは。

「ゆりちゃん」と呼ぶのはオット、義両親、そして特別な関係の友人たち。皆「天真爛漫で素直でよく食べるから可愛い!」なんて言ってくる。ちゃん付けで呼ばれ、甘やかされ、褒められるたびに、皮膚の内側がむず痒くなる。それに、天真爛漫で素直でよく食べるだなんて、齢が10にも満たないような女の子に対して掛ける言葉だろう。
なので、この人たちは私が幼いものだから、少女を愛でるような気持ちでちゃん付けで呼ぶんじゃないかしらとか、今からでも何かしらの行動を大人らしく改めた方がいいんじゃないだろうかとか思うことも少なくない。

けれど、私を徹底的に甘やかしてくれる人たちいわく「何も遠慮することはない」そうなので、彼らの言葉がおべっかではないことを祈りつつ、特大ブルドーザーを公道でズイズイ走らせるような無遠慮さで生きている。

きっと私は、国産の軽の中古を慎ましやかに走らせようとしても、何らかの手違いで、気づいた頃にはブルドーザーのハンドルを握っているような人間なのだ。そして、見上げるほどの高さの運転席に座る私を見て呆気に取られている人たちを説き伏せるような、一種の小賢しさだって併せ持っている。これじゃあ少女じゃなくてしたたかな女狐みたいだなと思うが、そういう自分として重機を動かす選択肢を手に入れた自分のことは、存外嫌いではない。

・・・・・

数年前、美味しい焼き鳥屋さんに行ったことがある。予約困難な人気店で、席を抑えるためには決まった時間に電話で予約するしかないというお店だった。それが運良く二人分の席を押さえられたので、当時気になっていた人を誘って向かったのだった。

焼き鳥は「どのくらい美味しいのだろう」とか安直に予想していた自分が恥ずかしくなるくらい、絶品だった。ぼんじりはとりわけ格別の味で、二人揃ってお代わりをした。もちろん他の串物も格別で、酒も大いに進んだ。

左手にビール、右手にモモ塩串を持ってニコニコする私に、彼はこう口にした。「石岡さんって本当に美味しそうに食べるよね」。
私は肉に夢中になっていたので、何と返したのかは、よく覚えていない。けれど、彼が「美味しそうに食べるよね」と言ったことは、鮮烈に覚えている。その前に付き合った人も、またその前の人も同じことを褒めてきたからだ。みんな、私が大層幸せそうに食べ物を口にすることを好ましく思っていて、結果としてその正の感情を彼らが私に伝えた日が、二人の付き合いの入り口になっていった。

「美味しそうに食べるよね」と言われることで、相手にとっての恋が本格的なスタートダッシュを切ったことを確信していたのだと思う。あのときも。そのときも。そしてあらゆるものをオブラートに包みまくっていた私は、好ましい人と共にいるときだけは、美味しいものを美味しく食べる自分から被膜を全て剥ぎ取り、白々しいくらいに押し出した。不思議と、そうすることにはなんの躊躇いもなかったのだ。

私はもしかすると「石岡さん」と呼ばれているときから、既にブルドーザーのハンドルに手をかけていたのかもしれない。なんてことない顔で食べて飲んで寝て、人と同じような暮らしをしていますよ、という良き一市民のふりをしながら、地底にブルドーザーを眠らせて、いざというときに動かしてやるとニヤリとするような日々を送ってきていたのかもしれない。

最近は、何だかうっかりしているうちにブルドーザーが地上に頭を出してきてしまうこともままあって、そういうときは慌てて地底に押し戻す。けれど、心のなかのふしだらな自分が「もう別に外へ出しちゃってもいいんじゃない?」と誘惑してくることもある。やめてくれよと思いながらも、ブルドーザーのエンジン音が聞こえてくるのをわずかに期待している私がいて、ここ数年でもっとも自分のことが分からない。
いつも通りの幸せとほんの少しの普通でなさをはらんだ私が、今日もいつものようにご飯を食べて、笑顔でおいしいと言う。


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