お前の心はどこにある

東京と五島列島を行き来しつつ働くようになって、もうすぐ1年半が経つ。
出社は都内で、月に1度ほど。実質、ほぼフルリモートだ。
極端な話、どこで働こうとも、Wi-FiとPCがあればなんとかなってしまう。

けれど最近「土地に身を委ねない働き方」、本当にそれでよいのだっけ、と思う自分がいる。

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二拠点生活先の五島列島でリモートワークをしていた頃、わたしは夫が働くカフェの2階を借りて、そこで作業をしていた。

すると、仲良しのママさんがカフェを訪れたときに、わたしが2階にいるらしい、ということを聞きつけ

「はちこちゃーーーーん!!!!!」

と、店内に響き渡るほどの大声で呼び掛けてくるのだった。

当然こちらはWeb会議をしていることも多いので、大慌てだ。
いそいそとマイクをミュートにし、階下に降りて「すみません、今ちょっと立て込んでて……」と、ママさんに断りを入れる。 

オンラインでミーティングをしている、と話すと、ママさんは分かったような分かってないような、不思議な表情をするのだった。

わたしがリモートワークをしているという事実は、島でわたしたち夫妻を知る人なら皆が把握している。
「なのに、どうして仕事の邪魔をしてくるんだろう」と、二拠点生活を始めたばかりの頃は、腹立たしく思っていたこともあった。

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「島の人達には『リモートで仕事をする』という概念がないんだよ」

マットを広げた古民家の中で、お香に火をつけなからそう教えてくれたのは、島でヨガを教えてくれている、はるさん、というお兄さんだ。

「その場にいれば、いる。いなければ、いない。
画面の向こうにいる人は『いる』には該当しない。
だって、同じ場所に身体と心がなくて、届いているのは言葉だけだから。」

そう言いつつはるさんは、ぺたあ、と綺麗な開脚をする。

「例え、その場にいるはちこちゃんがなにか喋っていたとしても、その相手が画面なら、はちこちゃんはいない人と喋っている、ということになるね。」

「大事なのは、『その人の心や身体や言葉が、どこにあるのか』なんだと思うよ」

一通り話したあと、わたしたちはヨガの「戦士のポーズ」をした。

ぐらぐらと安定しない、わたしの体幹。震える脚。
対してはるさんは、見るものを安心させる佇まいで、両の脚を踏ん張り、重心をぐっと下に落として、正面を見据えていた。
「ここで生きる」と決めた者のまなざしだった。

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ワーケーション。多拠点生活。場所に縛られない生き方。
そうして生きている自分の根っこは、どこにあるのだろう。
言葉や身体や心を、わたしはどう扱っていけばよいのだろう。

答えの出ない問いは、一旦脇に置くことにしよう。
スマホを閉じ、軽く柔軟運動をして、戦士のポーズをする。
身体の小さな震えを感じながら、それでもわたしは足裏で大地を感じ、踏みしめ、そしてキッと正面を向いた。

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