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50日後にアメリカに行きたい金欠大学生 9日目~日記書くつもりが、小論文書いてた~

今日はプレゼン大詰め。

大学生が繋がりやすくなるSNS作りのプロトタイプとデモムービーの発表です。


「忘れる」ということについて風呂で考えてたら、小論文できました。
今受けている授業に全く関係ないのでどこにも出すところないんですけども。せっかくなのでそちらを掲載します。
なんで時間ないときに、全く関係ない小論文書いてるの・・・?って自分でびっくりしました。書くのって楽しいんですね。
明日は旅行会社に連絡して、ワクチン3回打たなくてもいけるのか・・?とかを聞いてみます


「脳はものごとを忘れたがっている説」

■なぜオンラインだと学習態度が緩むのか
■■なぜ同じ遊びをしなくなった友達とは話さなくなるのか
(ex.働いて時間がないと、友達とつながらなくなることは、なぜか密接な気がする)
■■■なぜ文化には価値があるのか

これらを説明できるのが、「常に脳は物を忘れようとしている説」である。
まず、この説は、常に脳は負荷を減らすために物を忘れようとしているということである。
実際、基本的人権の名のもとに生活は保障されているから、物を考えることや、幅広く解釈しようとすることは、エネルギー的には無駄であることが多い。狩猟採集から離れ、「こうすればもっとたくさん食べ物が取れるかも」という考えることは減っている。
だから、脳は常に物を忘れようとし、自分がいる場所や一緒にいる人などの情報によって、毎秒毎秒の状況に応じて、思い出して行動している。という説である。
ちなみに、何を思い出すかの、評価軸は「安全性」と考えている。■■■に後述する

この説によって、最初の問の答えを考える。
■一つ目は、「オンラインだと自分が今何をするのか忘れたときに、思い出すきっかけがないから」と考えられる。コロナで部屋から出ないと、勉強道具の他にゲーム機や食べ物、布団が目に入り、解釈が混乱するとも考えられる。
できる人の部屋が整理されているのは、場所ごとに行動が決まっていて、「思い出すことができる」からではないか。

■■2つ目は、人による行動の忘れ・思い出しについて。親しい人で「〇〇といたら何をするか」が決まっていない人物はいるだろうか。また、「今自分が暇で〇〇も暇なら、することはXX1択である」と決まっているのではないか。そして、それは学生の場合、安全が保障されている場合、「勉強」という選択肢は入らないのではないか。
逆に言えば、「XXをしないなら、〇〇とは話さない。」「XXができないなら、暇でも〇〇とすることはない」となる。
今仲がいい人と疎遠になることは、さみしい。なので対策を考えた。
対策するには、「時間がなくてもできる趣味でつながる」か「趣味以外の、大人以降も安全を保障する話題を今のうちに選んでつながっておく」ということがあげられるだろう。
ちなみにこれを満たしやすい関係に、恋仲が上げられる。将来的な安定性の低さの対策を積極的に行うという、共通目的が「安全性のある思い出し事柄」を作るのかもしれない。
 まとめると、人間関係はよく自然消滅するという。しかし、他の事柄の安全性を優先され、忘れて、思い出さなくなるのではないか。自然消滅とは忘れることであり、それを防ぐには、安定性の低い未来の想定と、それに応じた人間関係と、コミュニケーションの内容選択があげられる。

■■■文化には、安全性がある。それは食文化・服飾文化だけでなく、芸能文化も含むことができる。今回は芸能文化の忘れ・思い出しにおける心理的安全性について考察する。ここでは、心理的安全性を「一つのものを解釈し続けられる喜び と、コミュニティの力による脅威に対するの安全性」で考える。
科学的事柄に比べて、文化に特筆されるのは、「継承」についてである。思い出す工程において、「継承」の概念が多いと、一つのものを、新たな分析方法を用いず、文書や伝聞をもとにして、解釈をし続けることができる。これは一見脳のエネルギー的には損に思えるが、2つ目のメリットを大きくさせるからこそ、解釈をしたくなる。
 解釈をしたくなる原因は、「コミュニティ」である。まず前提として、「脳は10万年すごした、狩猟採集の時代の機能で止まっている」そして、「狩猟採集時代の、最も大きな生命に対する脅威は、人間である」。人間が自分の命の脅威になる原因は「コミュニティを存続させるため」である。食料を集めないのに餌を取る人間がいたら、取って来た餌が減る一方なので、殺されてしまうのである。しかし、人は食欲があるので「貯めた食料を誰かが食べた」ということが容易に起こる。
これを対策し、共通目標「食べ物」を確保するために「絆」が存在するとも捉えられる。

長くなったが、この絆の確認作業が、「芸能文化」である。お互いに時間やエネルギーを割いて、「この人は、良いことを思い出させてくれる」「この場所は、良いことを思い出させてくれる」という思い。これが次の世代も「これらを思い出すことは、とても良い」と感じ、何年も何百年もかけて良さを磨いたもの、それが芸能文化である。
あるいは、最初は文化の楽しさを、ご飯を盗み食べることに勝らせているだけかもしれない。しかし、それゆえに時代と共に進化する食べ物、コミュニティの共有財産。それらを独り占めすることが内容にひたすらに良さを求め、「文化的価値」がくっついたのだろう。

それゆえに、「文化的価値」の「継承」の解釈をしつづけることは、自分が盗み食べをした人と疑われないための「絆」の解釈である。それを思い出すことは狩猟採集の時代に刻まれた「絆」の大切さを思い出すことなのである。

余談だが
 生命的に大切であり、飛躍的に進化する「欲を満たすもの」と、一人占めする「背徳・独占感」これらに負けないよう進化し続けた「文化」。これが忘れる前の、触れられることなく消えていく。これは、単純にとても面白いものに触れられない可能性が、今回示唆されたため、暇があれば文化に触れると、より面白いものを作れるようになるのかもしれない。



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