精神安定剤を飲みながら 26

川を示しているんじゃないか。と継ぎの男が言ったとき、女性の店主が済まなそうな表情で「申し訳ありませんが、そろそろ閉店で……」と言った。継ぎの男は、「ああ、もうそんな時間でしたか」とそそくさと荷物を手に取って、勘定の支度を始めている。
私は女性の店主に「すみません、長々と居てしまって」と言いながら、財布を取り出して紙幣を何枚か取り出した。そして継ぎの男に向かって、「今日は奢りますよ」と言った。
継ぎの男は「いえいえ、そんな」と断っていたが、私が「私が引き留めてお話を聞かせてもらったので、そのお礼も兼ねてお支払いしたいんです」と言うと、「そうですか、それでは、ありがとうございます」と荷物の中に居れていた手を戻して、それを肩に担いだ。
二人分の勘定を終えて、店を出た私と継ぎの男だったが、私にはこの地図の街の話が途中になってしまった事が気がかりであり、継ぎの男に「もう一軒どうですか。さっきの話も途中でしたし」と誘ってみたのだが、継ぎの男は「すみません、これからまた気になったところを見つけていて、そこに行くのでもう行かなくてはいけません」ときっぱりと断られてしまった。
私はさらに引き留めようかと思ったが、継ぎの男は地図の街の話のことよりも継ぎの街の事について思案している顔をしていたので、「そうですか、それでは良い旅になることを願っています」とだけ言った。
「ありがとうございます。貴方もお元気で」継ぎの男は、そういうと私に背を向けて荷物を引きながら街の中へ消えてしまった。
それを見送りながら、私はあの継ぎの男が話した話がどうなれば、良かったのだろうかと考えた。継ぎの男が川を見つけたことと、この世界に戻ってくることがどのように繋がっているのだろうか。
家路を歩いている時、いくつか納得がいきそうな解決方法を思いつくことが出来たが、どれもあり得そうな方法であり、そしてそれは誰もが考え付きそうな方法だった。
その時、誰にも読まれず長い話を作り続けた男の話を思い出した。結局それは、人の目に触れることになり、一種の芸術として見なされることになってしまった。
人は誰しも記憶の中に思い出があり、そしてそれが物語として変化することがある。その物語は紙片が尽きない限りどのようにも作ることができる。しかし、人が語る必要が無いと思った時はそれを終わらせることもできる。
今回はたまたま居酒屋の閉店時間がそれだっただけのことで、人生の中では結末を聞くこともできず消えてしまう話が殆どであるのだ。
この話は私が精神安定剤を飲んでいる間続けようと思っていた話ではあるが、けれど継ぎの男の話はここで終わらせた方がいいと思ってしまった。彼がどうやって地図の街から出たのかは、どのように考えても構わない。あなたがこの話の結末を考え続ける限り、それは物語として残り続ける。

そして、私はまだ精神安定剤を飲み続けている。


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