2018年12月10日(月曜日) 日記10日目

 毎日の事をだらだらと書こうと思った日記も二桁になりました。もとよりインターネットで日記を書くこと自体は慣れたもので、どうでもいい事をぐちぐちと考える癖も、何か面白い言葉を文章に入れてしまおうとする癖も、ほとんどインターネット黎明期に、文章とwebデザインだけでビューを稼ぐ有名人のいた時代を経験していたためだと思います。
 インターネットの通信環境が今よりも酷かった時代、インターネットは言葉をやり取りする世界でした。それは現在のSNSでの言葉の即時的なやりとりではなく、それぞれに自身のサイトを持っていました。
 そこでサイト運営者は反応を得られるような文章や画像(動画を掲載することは難しい時代でした)を掲載し、そのサイトに訪れた読者から反応を確認して、また時間をかけて新しい文章を書く、という時間の隔たりがある言葉のやり取りでした。
 その当時からすでにサイトを持つ人たちですから、やはり交流とビューという目標があったと思います。ビューを稼ぐために面白い話のネタを作り、オチに向けてどうやって話を転がしていくかを工夫したり……。
 こうしてインターネット老人会の思い出を少し書いてみて気づいたのですが、現在もやっていることはそんなに変わらないですね。動画配信サイトの youtube で時間をつぶすのがごく当たり前になった今、交流やビューを稼ぎたい人たちは今日の動画のネタを考え、最後まで見てもらえるようにどのように素材を編集するかパソコンの前に向かっているのですから。
 さてインターネット黎明期に、ちゃんとビューを稼げていた有名人たちは、その後、ウェブ関連の企業を立ち上げたり、そのままウェブ上を駆け巡るライターになったり、はたまた本当に作家になってしまったりと……、まあ、いろいろな人生に変化していますね。
 その後全く話を聞かないという人もいますが、それはインターネット上であっても、現実上であっても同じことです。
 まだ興味があれば、そのうち出会うだろうし、出会わなければ記憶から消えてしまう。結局、思い出にふける人にとって、当人の現在の生死は問わない。その時、経験したことだけが私にとっての当人の全てです。なのでもし、その当時の有名人たちに会う機会があるとしたら、幻滅したりもするんんじゃないかなぁ。面白いところしか見てなかったから。
  こういう記事があると、すぐインターネット老人会と揶揄されてはいますが、昔話といってもたかだか20年のこと。いろいろな訃報に接することは多いですが、あの当時の思い出話をいま現在もネット上見る事も多いです。たかだか20年程度では、あの当時にいた全員が死ぬことができないのです。
 あの当時に関わっていた全員が死滅したら、それらは後世に価値のある記録(サイトの内容や通信伝達技術などなど)として、未来の人たちに検証閲覧されるのでしょうけど……。どうせ未来のSNSで面白く消化されるだけに決まってるんだよなぁ。

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