フルーツサンド

僕が小学生の頃、母に連れられて都内の大きめの公園のお祭りのようなものにつれていってもらった。お祭りといっても和風な感じの祭りというより、なんか洋風な感じというかイベントというかそういうやつ。母の大学時代の知り合いがフラダンス的なものに出るのを見に行ったんだと思う。公園の入って少しいったところにフルーツサンドを売っているお店があってそこで好きなものを買っていいよと言われ選んだ。生クリームたっぷり塗られたいちごのやつと、キウイのやつを一つづつ買ってもらった。綺麗に整えられた草が生えた広場でレジャーシートを引いてフルーツサンドを食べた。僕が甘いものが好きになったのはあの日のフルーツサンドがきっかけなんじゃないかと思うほどの美味しさだった。

母はいつも穏やかな人だけどその日はさらに穏やかに笑っていた気がする。母が大学生だった頃の話を聞くのが僕は好きで、ジャズ研に所属していて部室で先輩たちがたむろしていてタバコの煙が充満していたとか、暇があると大学近くのジャズ喫茶にいってずっと本を読んでいたとか。もったいなくて他の人にはこれ以上教えないけど、たくさん素敵な思い出話を聞かせてもらっていた。母が小さい頃、母の母にしてもらったことの話や母の兄がどんな人だったかそんな話も聞かせてもらった。僕がロックバンドの話をしていると、母が「ジャズじゃなくてロックを聴いていたらきっとそういうバンドも聴いていたんだろうな」と良く言う。僕は、母や父ほどジャズに詳しくないのでジャズの演奏者の話をしているのを聞くのが好きだ。僕のわからない、愛着のある事柄について優しく語る口調が好きだ。

自分の好きなことについての語り方を僕は知らない気がする。なんとなく伝えれていない気がする。余計なことを言いすぎてしまったり、順序立てた話が苦手で勢い任せだ。ただ僕の好きなことを歌詞にして歌うことができることに気づいた。それから歌詞を書くことが好きになった。長い文章を書くのは苦手だけど、歌詞だったら書きたいことが書ける。それがどんな伝わり方をしているかは想像できないけど、みんなの反応をみていると間違っていないんじゃないかと思える。なんか自分の話になってしまったが、フルーツサンドという曲は僕の好きなシーンを切り取った歌でそれはポジティブ、ネガティブってことではなくただキラメキという現象なのだと思う。裏とか表とか、上とか下とかではなく。

クタクタになっても眠れない日の苦しさ、小学生が笑っている走っていく声、先生がつける花丸、昼休みにこけてできた傷、出し忘れた給食袋。

悲しい気分が薄まりますように。

もう一度、あの公園で食べたフルーツサンドを食べてみたいと思うことがある。いちごやキウイの味、クリームの溢れていく食感、お腹が膨れて少し眠くなっていく午後の気温。どんな風景だったか鮮明に覚えている。

こんなくらいMVにするんじゃなかったなと思いながら、遮光カーテンで締め切った部屋から思い出す風景の歌だから、かまわないかとも思う。

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